お初にお目にかかります
国王陛下からの紹介を受けトマスと名乗ったその男性はマリエルに向け丁寧な挨拶をした後、満面の笑みを彼女に向けた。
年齢は恐らくマリエルと同じくらいのようだが、人懐っこいその笑顔だけを見れば彼女よりも随分年下に見える。
「トマスはジョルジュの側近の一人で領地を離れられない彼に代わり定期的にこちらに報告に来る役目を担っておる。せっかくだから一度マリエル嬢にも紹介しておいた方がいいと思って声をかけてみたんだ」
「そうだったのですね。マリエル・カテドラと申します。どうぞマリエルとお呼びくださいませ」
「マリエル様お気遣いありがとうございます。私のこともどうぞトマスとお呼びください」
「ありがとうございます。トマス様、領地のみなさまは婚約の件きっと驚かれていらっしゃいますよね」
「突然のことで驚かなかったと言ったら嘘になりますが、我が領に来ていただけること大変嬉しく思っております」
「そう言っていただけたら心強いです。これからどうぞよろしくお願いいたします」
丁寧に頭を下げるマリエルにトマスも慌てて頭を下げた。
「こちらこそよろしくお願いいたします! もちろんジョルジュ様もマリエル様がいらっしゃることを心待ちにされていると……そうだ! ジョルジュ様から手紙を預かって、あれ? どこにしまったっけ?」
慌てて服のあちこちを探すトマスの姿はなんだか可愛らしさがあり、マリエルが堪えきれずクスクス笑うと彼も照れながら上着の内ポケットから手紙を取り出した。
「すみません、お待たせしました。こちらお預かりしてきました」
「ありがとうございます。」
渡された封筒の表面にはぎこちないながらも丁寧にマリエルのフルネームが書かれていた。
「あの……ここだけの話なんですけど」
そう前置きしながらトマスは内緒話でもするみたいに手を口に当てる。
「実はジョルジュ様は字を書くのがどうにも苦手のようでして。書類とかいつも後回しにして溜め込んでは不機嫌になるんです。自分のせいなのに」
人懐っこいトマスがさらりと暴露する婚約者の意外な一面にマリエルからまた笑みが溢れる。
「この手紙もすごく悩んで失敗して長い時間かけて書いたと思うんです。それはもう朝日を迎えてしまうくらいには」
「もしかして寝ずにこのお手紙を……」
「朝まで部屋の電気が付いていたので多分そうかと。だからその日の稽古が少しは楽できるかな〜とか密かに期待してたんですけど、全然そんなことなくて逆にしごかれちゃって! 本当あの人の体力どうなってるんだろう」
「まぁ……」
トマスにすればちょっとした笑い話くらいのつもりだったが、マリエルにとってそれはまだ読んだことのない物語に出会ったくらい心踊るものだった。
「トマス様、もしご迷惑でなければジョルジュ様のこと、もっとお聞かせいただけませんか?」
「もちろんです。私でよければ喜んで!」
やや前のめりにそう願い出たマリエルの姿に国王陛下を始めその場にいた者達は少し驚いたが、婚約に前向きな彼女の姿に気を良くした国王陛下によって彼は後日ジョルジュの遣いとして侯爵家へ出向くこととなった。
帰り道、マリエルは馬車に揺られながら静かに外を眺めていた。
側近であるトマスの口から語られた婚約者ジョルジュは軍記に登場するような孤高の英雄ではなかった。
だが、彼女はそのことに落胆したわけではない。むしろ、器用とはいえないその様子はマリエルの中で憧れでしかなかった彼を変化させていった。
本の挿絵のように別世界にいたジョルジュがモノクロから鮮やかなカラーに、そしてひんやりとした紙の手触りから血の通った肌の感触さえ感じられるくらい生々しくなった彼の姿を思いながらマリエルは人知れず頬を染めていた。
家に戻るとすぐマリエルは自室に向かい封筒を開けた。
中には白い便箋が三枚。角が揃えられ丁寧に二つ折りされたそれはトマスから聞いた彼の様子と重なり彼女の口から自然と笑みが溢れた。
『マリエル・カテドラ様、お初にお目にかかります。ジョルジュ・トレナスと申します』
「……ジョルジュ様、まだお会いできておりませんのよ?」
不器用すぎる彼の人柄と緊張が伝わってくる最初の一文に、マリエルからまた笑みが溢れる。
その後もぎこちない表現が多く誤字もちらほらとみられる文章が続いたが、不思議と嫌な気は全くしなかった。
そればかりか、一文字一文字が丁寧に書かれているその手紙には彼の誠実さが詰まっていて、マリエルはお世辞にも上手とは言えないその文字を真剣に目で追っていた。
婚約者になってくれたことに対する丁寧な礼の後でジョルジュは彼女の手紙を倣う形で言葉を続けた。
まずは自己紹介とばかりに彼の戦歴が詳細に並べられ貴族のご令嬢にとっては面食らってしまう内容だったが、マリエルには興味しかなかったようで先を急ぐよう読み進めていった。
その後は自領の紹介。こちらも下手に取り繕うことはなく真実のみが述べられ、彼がいかに辺境伯領に思い入れがあるか伝わってきた。何より領民に対して真摯に向き合う言葉は彼女の心をしっかりと掴んだ。
そして、最後はジョルジュも婚約者としての気遣いを見せようと甘さを含んだ言葉を綴る。
「私もカテドラ嬢にお会いできることをとても楽しみにしております。会えない間は貴女を想い過ごします。そして、会えた時は互いのことを二人で朝まで語り明かしましょう」
「朝までって……もう!」
恐らくジョルジュには他意はない。きっと本当に語り明かしたかったからこそ書いたのだけなのだが、その言葉をマリエルがどう捉えるかというところにまでは気が回らなかったようだ。
思わずあらぬ想像をしてしまい首まで真っ赤になったマリエルは、あまりの恥ずかしさにパタパタと便箋で顔を仰いだ。多少行儀悪くもあるが誰がいるわけでもないし、何よりこの体の熱をなんとか逃す方が先だ。
「……思ったより女性の扱いに慣れていらっしゃるのかしら」
ふと口から出た言葉にわずかに胸が痛む。それでもまだマリエルはそれが気のせいだとしか思っていなかった。