はじめての手紙
婚約の話があった一週間後、辺境伯は自領に戻ってすぐジョルジュを書斎に呼び出した。
「長旅お疲れ様でした。王都の様子はどうでしたか?」
「まぁ、いつも通りだ。こちらとは違って穏やかな時間を過ごせたことで我が辺境伯領の存在意義を再確認できたよ」
「……それは何よりです」
父の口から語られる王都の状況にジョルジュも胸を撫で下ろした。
国の平和のために我々はどうあるべきか、それは彼が幼い頃から何度も教えられてきたこと。辺境伯である父の背中を追い続け大人になった今でもジョルジュにとって彼は最も尊敬する人物に変わりはない。
「ジョルジュ……お前に大切な話がある」
「何でしょうか?」
「実は国王陛下よりお前の結婚相手について打診があった」
大切な話と言われた時点でなんとなく予感はあった。個人的なことを言えば結婚を特に急ぐこともないと思っていたが、辺境伯領の今後を考えれば国王陛下が心配されるのは至極当たり前のことだ。
「……それで、お相手はどなたでしょうか?」
「カテドラ侯爵家のマリエル嬢だ」
カテドラ家と聞いてジョルジュが真っ先に思いついたのは、彼女の父であるカテドラ侯爵のことだった。
目立つ存在ではないが堅実な仕事ぶりと優しげな見た目には似合わず思い切りのいい決断力を持った優秀な人だと記憶している。そして、彼のそばで微笑みながら時折会話にも参加していた落ち着いた雰囲気の若い女性の姿があったことも頭の片隅に存在していた。
「ありがたいことにカテドラ家からは婚約について了承をいただいた。ただ少し事情があってな、二人の顔合わせは一年後になった」
「一年後、ですか?」
「あぁ、恐らくこの手紙に詳しく書いてくれているんだろう。マリエル嬢がお前にと手紙を託してくれたよ」
そう言って辺境伯が差し出したのはシンプルな白い封筒。
受け取ったジョルジュは自分の部屋に戻った後、早速手紙の封を切った。
——ジョルジュ・トレナス様、はじめまして。カテドラ侯爵家マリエルと申します。
そんな挨拶から始まった彼女の文章は、流れるような綺麗な文字で便箋いっぱいに書かれていた。
まず最初に今回の婚約には自らの意思で了承したことがはっきりと書かれており、それに続けて丁寧な自己紹介や家族に関する話が添えられ彼女の生真面目な性格が伺えた。
そして、自分の父親が娘を溺愛するばかりに顔合わせが一年も先になってしまったことに対する謝罪が書かれたくだりでは、少々大袈裟な愛情表現に戸惑っているのがひしひしと伝わり、まだ見ぬ彼女の困った顔でも想像したのか普段はあまり表情を変えないジョルジュから思わず笑みが溢れた。
その後には、辺境伯領での暮らしに向けた不安を素直に吐露しつつも将来領主となるジョルジュを精一杯支えていきたいという決意が綴られ、最後は年頃の女性らしく「夫となる貴方に会える日を心待ちにしている」という期待に満ちた文章で結ばれていた。
読み終えた手紙を机に置きジョルジュは小さく一度だけ溜息をついた。
恐らく彼女にとってもこの婚約は突然のことであっただろう。それに加えて国王陛下がいる場で父親がそんなことを言い出したとなれば、マリエル嬢の驚きは相当なものだったと安易に想像がつく。
それでもこうして婚約相手を気遣い手紙という形で自分の想いを伝えてくれた未来の妻の誠実さに対し、ジョルジュは自らも彼女に対しきちんと決意を伝えるべきだと強く感じていた。
善は急げとばかりに彼は引き出しからペンとインク、それに数枚の便箋を取り出すと大きく息を吐く。
剣を振るうのは得意だがペンを走らせるのはどちらかと言えば苦手な方だし、何かと理由をつけてはそういったことを逃げてきた節もある。
それでもこの手紙は自分で書かなければ意味がない。万が一おかしな文章を綴って彼女に笑われるとしても、不誠実なことをするよりはよっぽどましだ。幸い久しぶりに出番を迎えたペン先もインクも問題はない。
まっさらな便箋を目の前に置き、もう一度大きく息を吐いたジョルジュは徐ろにペンを手に取った。
とはいえ、一体何を書けばいいのか。
報告書なら勝手もわかるが、女性に宛てた手紙の内容など皆目検討もつかなかった。
「女性に手紙なんて書いたこともないしな。ましてや恋文なんて……」
ジョルジュはそこまで口にしてから、とんでもない失言でもしたかのように顔を赤くし狼狽えた。
だが、すぐに部屋には自分一人であることに気付いたのか、何事もなかったかのようにまた静かに便箋を見つめた。
そして、一度は封筒にしまったマリエルからの手紙を取り出し便箋の横に並べると、それを読み返しながら少しずつ彼女に向けた言葉を書き始めた。
多少情けなくもあるが彼女の手紙に倣う形で少しずつ便箋を埋めていく。
きちんと伝わるよう字は下手でも一文字ずつ丁寧に、自分という人間をわかってもらうために嘘偽りない事実を書くことを心掛けた。
「……よし」
会えるのを楽しみにしていると伝えてくれたマリエルに対し、彼もこの手紙の最後をそれに応える言葉で締めくくり、なんとか書き終えることができた。
ぎこちない字で埋められた三枚の便箋を眺め、満足げに微笑むジョルジュ。
だが、あまりにまっすぐな手紙の内容がマリエルにあらぬ誤解を与えることなど、この時のジョルジュは知る由もない。