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一年の猶予

 それは両家とってもあまりに突然のことだった。

 王城に呼ばれたトレナス辺境伯家とカテドラ侯爵家の当主が国王陛下から伝えられたのは、嫡男ジョルジュ・トレナスと次女マリエル・カテドラの婚約の打診。

 「打診」という言葉がわずかな逃げ道を示してはいたものの「王命」を匂わせた陛下の物言いに、二人は黙って首を縦に振った。

 正確に言えば、辺境伯は国王陛下からの慈悲に感謝の意を持って頭を下げ、侯爵はひどく迷いながらも項垂れるように了承した形だ。

 国防の要として北方の強国との国境に位置する辺境伯領は、領地の大半を占める険しい山々と地の利を活かしながらもそれに依存することない圧倒的な武力によって、文字通り「王国の盾」となっていた。

 しかし、そんな辺境伯家を王都に住む一部の貴族は野蛮だと揶揄していた。

 緊張する隣国の状況に厳しい自然環境も相まって、辺境伯家が王都を訪れるのは年に一度の王家が主催する重要な晩餐会のみ。

 それ故、貴族らしい振る舞いは身につけているものの、流行には疎く会話の話題にも乏しかった。

 だが、王都に暮らす華やかに着飾るだけの男性達にとっては、鍛え抜かれた体躯に日々の生活で培われた精悍さを合わせ持った辺境伯家の男達は色々な意味で脅威だったのだろう。

 一部の愚かな人間が有る事無い事を周りに吹聴した結果、いつの間にか事実として受け入れられることになってしまった悪評。

 それには我関せずの辺境伯家だったが、ただ一点においてのみ頭を悩ませていた。嫡男ジョルジュの結婚相手についてだ。

 元々生活環境の厳しい辺境伯領に娘を嫁がせたいと思う家は少なかったが、それでも話がなかったわけではない。

 むしろ、良家に嫁げると積極的な声もあったが、無責任な噂が流れてからはそれも皆無となってしまっていた。

 そんな理不尽な状況に心を痛め手を貸したのが国王陛下だ。陛下はトレナス家の辺境伯としてのあり方を高く評価しており、彼らの不遇についても耳にはしていたが、貴族同士のいざこざに必要以上に介入することには慎重だった。

 しかし嫡男ジョルジュが今年二十六となり、いよいよ婚姻についてどうにかしなければというところで、陛下は王命という形で助け舟を出した。

 そして、そのお相手として陛下が指名したのがカテドラ侯爵家次女マリエル。

 この国で歴史のある侯爵家の一つであるカテドラ家は長きに渡り王に忠誠を尽くしてきた名家で、その暮らしぶりも非常に堅実であるばかりか貴族らしい華やかさも忘れてはおらず、周りの貴族達からも一目置かれる存在だった。

 つまり、そんな貴族のお手本とも言える侯爵家の娘が王の計らいでトレナス家へ嫁いだとなれば、王国が「王家の盾」に絶大な信頼を置いていることは一目瞭然。根も葉もないくだらない噂など一掃されると踏んだわけだ。

 だがそれはあくまで辺境伯家から見た事情であり、カテドラ侯爵家にとっては話が別だ。

 無論、侯爵も娘に政略的な結婚の話がくることは重々承知していた。だがそれが辺境伯家となれば一人の父親として手放しに応じることができずにいた。

「マリエル……本当にすまない」

 家に戻るなり彼女を呼び出し婚約の経緯を伝えた後、カテドラ侯爵は力なくそう言って俯いた。

「お父様、お顔を上げてください。私はカテドラ家の娘としてこの度のお話、大変名誉なことだと思っております」

 微笑みを浮かべながらそうはっきりと言い切ったマリエルを見つめ、侯爵は堪えきれず涙を浮かべた。

 だがそれは彼女の今後を憂いたものではなかった。もちろん人々の噂を信じ悲嘆しているわけでもない。

 辺境伯領での厳しい生活を心配する思いは少なからずあれど、自分の娘ならいずれは辺境伯夫人としての役割も立派に全うできると自信を持っていた。

 それでも侯爵にとってどうしても我慢ならない思いが涙となってその目から溢れて出してしまったのだ。

「マリエルー! 辺境伯領なんてあんな遠い所に行ったらすぐに会えなくなるじゃないか!」

「もうお父様ったら! そんなことで泣かないでくださいませ」

 そう、カテドラ侯爵は超がつくほど娘を溺愛するただの父親。

「もちろんマリエルがそのうち結婚するってことは分かっていたさ。でもやっぱりいざそうなると……うぅっ!」

 目にいっぱいの涙を浮かべ大袈裟に嘆く父を見つめ、長女である姉が結婚した時と全く同じ状況が目の前で再現されていることにマリエルは侯爵の深い愛情を感じていた。

 国王陛下の希望であるなら恐らく日をあまり空けずに辺境伯領へ向かうことになるだろう。ならば、この家での残り少ない日々を家族と有意義に過ごそうとマリエルが決心した矢先、目の前で泣いていたカテドラ侯爵が思いもよらぬことを口にした。

「それでね、今回はあまりにいきなりだったから私から国王陛下に一つだけお願いをしたんだ」

「お願いですか?」

「あぁ、婚約を受け入れる代わりに娘と過ごす時間を一年間ください、と」

「……はい?」

 マリエルは父親の言ってることを理解できずそう口にするのがやっとだった。そんな彼女を見ながらもカテドラ侯爵は満足そうに言葉を続ける。

「だってそうだろう? 私とマリエルを引き離すんだからそのくらいは待っていただかないと」

「あの……お父様、陛下と辺境伯様は何と?」

「ん? お二人共笑っておられたから許してくださってるだろう?」

「……いいえ、それは呆れていらっしゃるだけです」

 堪えきれず大きな溜息をついたマリエルは思わず天を仰いだ。

 どんな時も冷静に判断できる父が子供達のことになるとネジが外れたようになってしまうのにはとうに慣れているとはいえ、今回は相手もあること。

「お父様、まずはお相手のジョルジュ様にお会いしましょう。具体的なお話はそれからです」

「いや、辺境伯殿には君達の顔合わせは来年の王家主催の晩餐会まで待ってくれとお伝えしてあるから大丈夫だ。だから、それまではマリエルは私のそばにいていいんだよ」

「お父様!」

 その後マリエルからお説教された侯爵は彼女と共に辺境伯の元を訪れた。

 娘を大切に思っていたとはいえ、あまりに自分本位な言動を侯爵は謝罪したが、元より辺境伯は気にしてすらいなかった。

「貴殿のお気持ちは子を持つ者として理解しております。それに我が辺境伯領は王都に比べなかなかに生活が厳しい」

 そう言って辺境伯は視線をゆっくりとマリエルへと向けた。

「マリエル嬢、我々も貴女を迎えるにあたっては十分な準備をしたいと考えている。ここはお父上のご不安を和らげる意味も含め我々にも少し時間をもらえないだろうか?」

「辺境伯様、身に余るご配慮をいただき感謝の言葉しかございません。ですがジョルジュ様はそれでご納得いただけるでしょうか?」

「息子には私から話をするから問題はない。ここまで独り身だったんだ。あと一年それが伸びようが大したことではないよ」

「……それでは私からの手紙をお渡しいただけないでしょうか?」

「手紙?」

「はい。ジョルジュ様はまだ私達が婚約することすらご存知ないのに、その上顔合わせまで一年あると聞いたらそれこそご不安になるでしょう。ですのでできるならば私の気持ちをきちんとお伝えしておきたいのです」

「わかった……それならば私が責任を持って届けさせてもらおう」

「ありがとうございます」

 辺境伯に対し深々と頭を下げたマリエルがそう言っていた通り、次の日の朝には辺境伯の元に彼女からジョルジュに宛てたやや厚みのある封筒が届けられた。

 まだ見ぬ婚約者の瞳の色と同じ深い藍色のインクで書かれたこの手紙が、顔を合わせることはなくてもお互いに相手を想い愛を育んでいくきっかけとなったのは言うまでもない。

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