虐げられてきたネガティブ令嬢は、嫁ぎ先の敵国で何故か溺愛されています~ネガティブな私がちょっぴりポジティブになるまで~
心地よく、ぽかぽかとした温かな陽気が続く今日この頃。
私はいつもと同じ時間に起き上がり、いつもと同じように伸びをして、のそのそとベッドから這い出した。
カーテンを開ければ、大きな窓からさんさんと降り注ぐ太陽の光。
普通の人なら、「さあ!今日も気持ちの良い一日のはじまり!」なんて、清々しい気持ちで部屋を飛び出すのでしょうけれど、私は到底そんな気にはなれません。
「さて、急がなくては…」
私は慌てて寝巻から着替えると、その上にエプロンを付けて重い足を引きずりながら厨房へと向かう。
「おはようございます…」
「おはようございます、クラリス様」
私が挨拶をしながらそそくさと厨房へ入ると、もうすでに侍女達が朝食の準備を始めていた。
大きな城にしては数の少ない侍女達に混ざって、私、クラリス・フォートレットも朝食の支度を始めた。
ここは北に位置する小さな国、アレス国。
鉱脈や資源が豊富ではあるけれど、世界一寒いと言われている国である。
そしてこの城は何を隠そうそのアレス国の国王が住まう城だ。
私は現国王の正当な血筋である、第三王女のクラリス・フォートレット。
私には、血の繋がらない二人の姉がいる。
第一王女のマリア・フォートレット。
第二王女のユリア・フォートレット。
二人の姉は、双子である。
私が第一王女であったのは、生まれて数年の間だけ。五歳くらいまでだったのかな。
私を生んでくれた母が病気で亡くなって、数日後に一人の女性と二人の姉妹がやってきた。
小さい私は訳も分からないうちに、第三王女になっていた。
気が付けばこのアレス国は、どこから来たのかも分からない、私の義母クリスティーナとマリア、ユリア姉妹に乗っ取られていた。
クリスティーナを筆頭に、マリア、ユリア姉妹は好き勝手し放題の生活。
あらゆる国からあらゆる高価な洋服や宝石を取り寄せる日々。
気に入らない侍女がいれば簡単に追い出すので、たくさんいた侍女や召使、コックに庭師まで、次々に屋敷を出て行った。いや、出て行かされた。
そんな好き放題の義母達を、現国王である私の父、サビウス国王は特に咎めることもせず、ただただ好きなようにさせている。
そんな中、私はひたすらに勉学に励んだ。
後から突然この城にやってきて、私よりも王位継承順位が高いことに少し納得のいかない部分もあったけれど、お姉様二人のお役に立てるよう、色んな知識を付けておこうと勉学に向き合ったのだ。
しかし、双子のお姉様達の態度は酷くなる一方で、その矛先はついに私へと向かってきた。
「クラリス、あんた料理好きだったわよね?」
とある日の午後。
急に呼び出されたと思ったら、マリア姉様にそんなことを言われた。
「え?あ、はい…作るのは、好きですけど…」
「このシフォンケーキ激まずなの!これを作った侍女はクビね!」
隣でユリア姉様が言った言葉に、傍に立っていた侍女がびくりと肩を揺らした。
「クラリス、あんたが代わりに作ってみて」
「え?私がですか…?」
「そうだって言ってんでしょ?いいから早く作ってきなさいよ!」
マリア姉様とユリア姉様の言葉に、私は慌てて厨房へ向かった。
この城に来た時こそ、お義母様もお姉様方も優しかったのだけれど、私に対する態度は日に日に酷くなっていった。
いつしかクリスティーナお義母様が、お姉様達に言い聞かせているのを聞いてしまったことがある。
「いい?二人共。クラリスにこの国を取られては駄目よ。マリア、ユリア、貴女達がこのアレス国を支配するの。貴女達こそが、この国の正当な後継者なの。間違ってもクラリスなんかにこの国を渡しては駄目。あんな下卑た女の子供なんて、碌な王にならないのだから」
その言葉を聞いた時、ああ、この新しいお母様は、決して私を愛してはくれないんだろうな、と幼心に気が付いてしまった。
その頃からだ。
お義母様やお姉様が私にほんの少し使っていたであろう気遣いすらもなくなったのは。
「うーん、まぁまぁね」
「侍女よりマシって程度」
私の作ったシフォンケーキと紅茶を品もなくずずずと啜りながら、お姉様達は私の作ったお菓子をそう評価した。
「まぁいいわ、今度からあんたが作りなさい」
「え?」
「え、じゃないわよ!あんたが私達のご飯作れって言ってんの!何度も言わせないで」
マリア姉様とユリア姉様二人から睨まれて、私は文字通り蛇に睨まれた蛙状態だった。
また別の日。お姉様達に言われたように、厨房でお菓子を作っていると、お義母様が驚いたようにやってきた。
「クラリス?」
「お義母様…」
何を言ってくれるのかと思ったけれど、お義母様の口から出たのは、彼女らしい言葉だった。
「貴方が料理しているの?まぁなんてぴったりなのかしら!そのぼろぼろのエプロンもよく似合うわ!貴方は王女というより、侍女って感じですものねえ!」
綺麗に笑っているような表情を作っていながらも、目だけは決して笑っておらず、心底不快そうに思っているのが分かった。
私は幼心に悟った。
この人達の為になにかしてあげたいと思うなんて、馬鹿馬鹿しいことだったのだと。
彼女達は、私なんか家族だと思ったこともなく、あまつさえいなくなってほしいのだと。
そんな三人は、お父様に媚びを売っては欲しい物を買ってもらい、勉学は私に押し付け、あまつさえご飯すらも侍女の作ったものよりもマシだからと、私に作らせるようになった。
お父様はそんな風に扱われている私を見ていたはずなのに、何も言ってくれることはなかった。
大好きだったお父様は、お母様が亡くなった時にいなくなってしまったんだ…。
もちろん落ち込んだし、悲しかった。
一人で過ごすことの多くなった私は、どんどんと卑屈になり、気付けばネガティブな思考に捕らわれるようになった。
どうせ私なんかが頑張ったところで、お義母様もお姉様方も優しくなったりなんてしない。
私が勉強も出来て、情勢に詳しかったところで、この国を動かせるわけでもない。
今日も嫌なことを言われるに違いない。
私はこれから先も誰にも認められないんだ。
そんな風に虐げられながらネガティブに生きているうち、私は十七歳になっていた。
「今朝のスープ、作ったのはだれ?」
「不味すぎるんですけど?あたし、かぼちゃのスープが嫌いって言ったわよね?」
私の傍に立つ侍女が、「も、申し訳ございません!」と勢いよく頭を下げる。
「このお肉を調理したのはクラリス?」
「はい…」
「まぁまぁの出来だけれど、あんた料理の腕が落ちたんじゃない?」
「クラリスから料理を取ったら何が残るって言うの?あんたが私達の義妹じゃなかったら、とっくに追い出しているところよ」
マリア姉様とユリア姉様の怒涛の批判にも、慣れ始めている自分がいることに嫌気が差した。
私なんかが何を作っても結局文句を言われる。この二人が満足することなんてないんだわ。
ユリア姉様がうんざりしたようにフォークを置いた。
「とにかくそこの侍女はクビね。出て行って」
「そんな!!私は以前お作りした料理でユリア様にも美味しいと言って頂いたことがあって…」
「だから何!?」
ユリア姉様の金切り声が部屋中に響き渡る。
「私が出て行けって言ったんだから、出て行きなさいよ!!」
侍女は放心したように力なく部屋を出て行く。
「ユ、ユリア姉様、その、そこまで言わなくても…」
「何!?なんか文句あるわけ!?」
「あ、…いえ……」
ユリア姉様は今にも私に噛みつきそうな形相で睨み付けてくる。
「あんただって本当はいらない子なんだからね!お父様の慈悲に感謝しなさいよ!!」
…....いらない、子……......。
ユリア姉様の言葉に、マリア姉様もお義母様も馬鹿にしたような薄笑いを浮かべた。
咄嗟にお父様の顔を見たけれど、特に気にしたようすもなく黙々と食べ続けていた。
期待なんてこれっぽっちもしていなかったけれど、やはりお父様は私を気に掛けてはくれなかった。
「もっと一流のシェフを呼んでよ、お父様」
マリア姉様が甘ったるい声を出す。
「そうだな。そうするとしよう」
お父様はマリア姉様の言葉に適当に頷き返す。
一流のシェフだって、結局マリア姉様とユリア姉様が追い出すくせに…。
以前いたシェフ達も皆、簡単にクビを言い渡されていた。きっと今回も同じだろう。
もうきっとずっとこのままなのだ、この城は。
私の大好きなアレス国も、家族もいなくなってしまったのだ。
また少し時が経ち、アレス国の寒さが厳しくなってきた時のことだ。
何事にも無関心なお父様が、焦ったように隣国の会談から帰って来た。
ここ数日、お父様は周辺国の国王たちが集まる、首脳会議へと出席していた。
定期的に行われるこの会議では、各国の情勢や資源の問題などが話し合われる。
ここ数年は大きな戦争もなく、特に重大な議題もなかったはずなのだけれど、お父様の稀有な慌てように、城内は色めき立った。
「サビウス様。いかがなされたのです?そのように慌てて」
お義母様が恐る恐るお父様に声を掛けた。
お土産を期待してやってきたマリア姉様にユリア姉様も、不思議そうにお父様を見ている。
侍女たちと掃除をしていた私も、城内の騒がしさに気が付き、広間へとやってきた。
お父様は険しい顔をしながらも、ようやく重い口を開いた。
「まもなく、戦争が始まる」
その一言に騒然とする場内。
「せ、せんそう…?」
戦争を経験したことのない双子の姉様達は、お父様の言葉にきょとんとした顔をしている。
もちろん私も経験したことはないけれど、歴史の文献での知識くらいはある。
しかしこんな小さな国に攻め入ろうとは、どこの国だろうか?
クリスティーナお義母様は、震える唇でお父様へ質問を投げかける。
「ど、どこの国がそんな…」
「ルプス帝国だ」
「ルプス…ですって…!?」
お義母様は目を見開いて、愕然としている。
私も目をぱちくりとさせてしまった。
話に置いて行かれている姉様方は、「ルプスってどこ?」「聞いたことないけど」などと呟いている。
私はお姉様方に向かって小さく説明した。
「る、ルプス帝国は、このアレス国の南西に位置する国であり、周辺国随一の軍事国家です…。噂によるとルプスに喧嘩を売った国は、容赦なく国家滅亡に追い込まれるとか…。世界でも屈指の戦闘民族からなる国だと言われています…」
私の説明にお姉様方もようやく事の重大さを理解したのか、二人そっくりに顔を引きつらせている。
私もそのように聞いたことがある程度だけれど、小さなアレス国が太刀打ちできるような国ではない。
驚きと恐怖でなにも言えなくなっている私達姉妹をよそに、お義母様が口を開いた。
「あ、あなた…どうしてそのようなことに……」
お義母様の疑問は至極もっともである。
アレス国とルプス国は近隣国であり、国同士の仲はそれほど悪いものではなかったように思う。
急に戦争となるような理由が思いつかなかった。
お父様は重々しく口を開く。
「ゼウラウスのやつ、我が国の資源を寄越すように言ってきたのだ」
ゼウラウス・サイラス。
軍事国家ルプス帝国の国王である。
前述したように、アレス国は鉱脈に恵まれており金銀銅の含まれる鉱物の採掘はもちろん、鉱床も多い。
どの国も欲しい資源だろう。今まで狙われていなかったのが不思議なくらいだ。
今までも国外に輸出などはしていたはずだから、その量で揉めた、ということなのだろうか?
「あれは幼少の頃から頑固でな」
そうだった。お父様とルプス国国王、ゼウラウス様は幼馴染みだと聞いたことがある。
だからこそ小さな国であるアレス国は他国から狙われることがなかったのだ。
アレス国の後ろには、ルプス国がいると思われていたから。
しかし続くお父様の言葉に、城内の誰もがぽかんと大きく口を開けることになる。
「売り言葉に買い言葉というやつだ」
「…………………。」
アレス国国王の一言に、誰もがぽかんとした。
長いと感じる沈黙を破ったのは、やはりクリスティーナお義母様だった。
「……え?売り言葉に買い言葉で、ルプスと戦争をすると言うの…?」
「そうだ、こちらも譲るわけにはいかん」
「「お父様!!考え直して!!!」」
お姉様二人の言葉が重なった。
そんなくだらない理由で国ごと巻き込んで戦争だなんて、信じられない。
小さなアレス国なんて、あっという間に攻め入られて支配下に置かれて終わりだ。無益な戦いすぎる。
「しかし…」
尚も食い下がるお父様に対して、お義母様とお姉様は必死に説得を試みた。
なんとかお父様を妥協させるべく、さまざまな案を提案してみたものの、お父様は「何故私が妥協せねばならんのだ」の一点張りだった。
お父様は昔から頑固で意地っ張りなところがある。
もしかしたらこのまま本当に戦争が始まっちゃうのかもなぁ、なんて半ば投げやりに思っていると、「そうだわ!」とクリスティーナお義母様が声を上げた。
「クラリスを差し出しましょう!!」
「………へ???」
蚊帳の外だった自分の名前が突然呼ばれ、私はきょとんとするしかなかった。
勉強は不得意のはずのお姉様達まで、お義母様の言いたいことがわかったみたいに、にんまりと口角を上げる。
クリスティーナお義母様は、お父様に向かってこう説明する。
「確か、ルプスの第一王子は、お妃様をお探しでいらしたわよね?クラリスを材料に交渉しましょう!」
私の意見などまったく聞くことなく、とんとん拍子で話が進んでいく。
お父様やお義母様、その他アレスのお偉いさん方が集まって会議を開く。
お義母様がこんなにも必死に国の政治に関わるところを見るのは、これが初めてだった。
それはそうだろう。戦争など始まってしまったら、贅沢な生活はおろか王位も危い。
この国が支配下に置かれるかもしれないのだから。
あれよあれよという間に、私は敵国ルプス帝国の第一王子に嫁ぐことが決まった。
ルプス側もそれでこの争いを収めようと、合意したみたいだった。
まさか私なんかが嫁ぐことで解決するとは思わなかったな…。
嫁ぐ、というとおめでたいように聞こえるけれど、端的に言えば、私はアレス国を追い出されるのだ。
お義母様もお姉様方も、それはもう嬉しそうにしていた。
戦争はなくなり、邪魔者である私もいなくなるのだから、三人にとってこれほど嬉しいことはないだろう。
私はただただ、自分の行く先を受け入れるしかなかった。
足掻いたところで現状が良くなるとも思えない。
何も力を持たない私なんかでは、自分の未来さえも変えることはできないのだと、また思い知らされただけだった。
出国の日。
その日はあっという間にやってきてしまった。
持ち物は使い古したお洋服と少しの小物。小さな鞄一つに入り切ってしまうようなものだけだった。
「クラリスお嬢様、お元気で」
見送りに来てくれたのは、数人の侍女達だけ。
お義母様やお姉様、お父様の姿すらそこにはなかった。
「ありがとう、みんなも元気で…」
後ろ髪を引かれることもなく、私は城を出た。
「さようなら、アレス」
私の生まれ育った国。
さようなら、お母様。
用意してくれた馬車に身を任せながら、私はルプス帝国に向かった。
気が付けばアレス国周辺を覆っていた吹雪を抜け、暖かな日差しが降り注いでいる。
小さくなっていくお城を見ながら、やっぱり何の感情も沸いてこなかった。
お義母様もお姉様も、お父様だって私のことが嫌い。
あそこには私なんかいない方がいい。その方が、みんな幸せなんだ…。
これから私はどうなるのだろう。
交渉のために使われた私が、ルプスでいい扱いを受けるとも思えない。
表向きは友好のために嫁ぐことになってはいるけれど、もしかしたら人質や、あるいは奴隷として扱われるのかもしれない。
きっとそうだ、そっちの方が頷ける。
だって、私なんかを妻に迎えようだなんて、そんなことあるわけがないもの。
幸せな結婚はあり得ない。
相手は軍事国家だ。
もしかしたら命さえ危ないのかもしれない。
私は漠然とそんなことを考えながら、馬車に揺られ続けた。
数時間馬車に揺られ、ルプス帝国に到着する頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
アレス国から着てきていたもこもこのコートが少し暑く感じるくらいには、ルプスはとても温暖な気候だった。
ルプス帝国の中心である国王が住まう城へと到着し、馬車を降りた私はその目に映る光景に目を見開いた。
「ようこそ、クラリス・フォートレット王女」
ずらりと並んだ侍女や執事達が、私に向かって頭を下げる。
「え、えっと…?」
衛兵らしき人々も集まっているが、皆一様に笑顔である。
これは、どういう状況…??
アレスから人質、あるいは生贄という認識でやってきたのだが、ルプス側の対応は私の想像の斜め上を行くものだった。
これではまるで、私が本当に妻として歓迎されているかのような…?
いえいえ!油断してはだめ。これはルプス側の何かの策略なのかもしれない。
私を油断させ、またアレスに不利な条件を出してくるのかもしれない。
そうなっては小さな国であるアレス国では太刀打ちできない。私が上手くやらなくては。
一人の綺麗な侍女が私の前へとやって来る。
「クラリス様。お初にお目にかかります。私、本日よりクラリス様の専属とさせていただきます、リビアと申します。身の回りのお世話や、その他諸々、私が担当させていただきます」
「え、あ、よ、よろしく、お願いします…」
私の小さな挨拶にも、嬉しそうににっこりと笑顔を向けてくれるリビア。
うう、笑顔が眩しい…。
「それではこれよりこのリビアが、クラリス様を国王及び、王太子殿下の元へご案内いたします」
「こちらです」とゆったり歩いて行くリビアにくっつくように、私もその後を追う。
いよいよルプス帝国の国王、ゼウラウス国王と対面だ。
何を言い渡されるのだろうか…。
良くて監禁人質生活、悪くてその場で処刑かもしれない。
自然とごくりと喉が鳴るのが分かった。
覚悟を決めなくてはいけない時が、もう目の前に迫っていた。
「クラリス様をお連れいたしました」
リビアがそう王との謁見の間らしき扉の前で声を掛けると、「入れ」と地に響くような低音が返ってきた。
扉を開けてくれたリビアの横を通り、私はゼウラウス国王の前へとのそのそとやって来る。
ゼウラウス国王は、荘厳な真っ白な髭を蓄え、王座に腰を降ろしている。
その右隣には、ふわふわの金の髪をなびかせる美しい女性。
おそらく、ゼウラウス国王の妃である、ミラ王妃だ。
そして左隣には、綺麗な銀髪の若い男性。
この方が、レオナルド・サイラス様……?
ルプス帝国国王の第一王子であり、帝国軍第一軍事部隊隊長。
その名はアレス国でも有名だ。
クールと言えば聞こえはいいけれど、平気で人の命を奪う惨忍で冷酷な男。
釣り気味の目に、白い肌。
見た目も氷のように冷たい印象を受ける。
その冷たい目が、私を睨みつけるように凝視していた。
殺されるんだわ。
私は咄嗟にそう思った。
こんな怖そうな男性が、妻を大事にするとは思えない。そもそも結婚など望んでいなかったのではないかと思う。
やはり結婚は口実…。私は、ここで死ぬのね…。
「クラリス・フォートレット王女」
ゼウラウス国王の声が王の間に響く。
その声にびくっと肩を揺らしてしまう私。
「は、はい…」
何を言われても、もう覚悟は出来ている。
さようなら、お父様お母様。そしてアレス国のみんな。
お世辞にも楽しい人生とは言えなかったけれど、この世に生を受けられたこと、神に感謝いたします……。
「よおうこそぉ!!ルプス帝国へ!!クラリス王女!!!」
「…………へ???」
ゼウラウス国王は大きく手を広げてこちらにやってきた。
そうしてそのまま私を抱きしめると、優しくぎゅっとしてくれた。
事態ののみ込めない私は、ただただポカンとするばかり。
「もうっ!貴方、ずるいじゃないのぉ!私もぎゅっとさせて!」
ミラ王妃もぱたぱたとやってきて、私にぎゅっとハグをする。
そこに慌てたようにリビアが割って入る。
「国王様!王妃様!クラリス様が戸惑っていらっしゃいます!まずはスキンシップなしでご挨拶を!」
リビアの言葉に、ゼウラウス国王とミラ王妃は楽しそうに笑う。
「はっはっは!そうだったそうだった!いかんいかん。驚かせたなぁ!」
快活に笑うゼウラウス国王に、「やだぁ!クラリスちゃんが可愛くてつい!」とミラ王妃も笑っている。
「???????」
一方私の頭の中ははてなマークでいっぱいである。
これはいったいなに?どういう状況なの……?
「いやあ久しぶりだな、クラリス王女。幼少期に一度会ってからはご無沙汰だった」
「小さい頃から可愛かったけれど、こんなに綺麗になっているなんて!」
「レオもようやくクラリス王女に会えて喜んでおるわい」
そうゼウラウス国王に言われて、咄嗟にレオナルド殿下の顔を見るけれど、相変わらず私を睨みつけるように鋭い視線を向けていた。
いやどう見ても全然喜んでない……!!
国王と王妃は嬉しそうに笑う。
事態がまったくのみ込めない。
ごほん、と慌ててそれらしく咳払いをしたゼウラウス国王は、ゆっくりと話し出す。
「クラリス王女、長旅ご苦労であった。アレス国からは遠かったであろう」
「あ、い、いえ…」
「先の交渉により、我が国へと嫁ぐ決意をしてくれたこと、大いに感謝している」
「え?はぁ…」
「レオナルドはシャイでな。なかなか結婚相手も見つからず、やきもきしていたのだ。そんな折、クラリス王女が来てくれるとサビウスから聞いて、ルプス一同楽しみにしていたのだ」
「たの、しみ……?」
なんだか我が国での情報とは違うように思う。
「お、恐れながら、申し上げます…」
私が恐る恐る口を開くと、「おお、なんだ。申してみよ」とゼウラウス国王は寛大に私の言葉を聞いてくれる姿勢をとった。
「私は、第一王子との婚姻のため、こちらに参りました」
「うむ」
「しかしそれは、アレスとルプスの協定の結果、両国での争いが起きぬよう、歯止めとなるようにという、誓約のもとの婚姻と承知しております…。つまりは、ルプス帝国が小さな国家であるアレス国に攻め入ることのないよう、私はその人質のような役割と存じており……」
「ク、クラリス王女よ?」
「は、はい…」
私の言葉を静かに聞いていたはずのゼウラウス国王は、慌てたように私の言葉をストップした。
「サビウスがなんと言っていたのかは分からないが、それはまったく違う」
「え?」
「戦争云々とかそんな難しい話ではなく、我がルプス帝国はただ普通に、クラリス王女をレオナルドの妻として迎えたいだけなのだが」
「……………え?」
王の間にいる全員、いやレオナルド殿下は違うかもだけれど、が、頭の上にはてなマークを浮かべていた。
「サビウスが資源がどうだの、クラリスをやるからどうだのと言っていたが、我が国としては、クラリス王女が嫁いでくれればなんでもよかったのだが」
私はぽかんと口を開けるしかなかった。
つまり、どうやらこういうことらしい。
ゼウラウス国王が、お父様に資源をもう少し回してもらえないか相談したところ、お父様はもちろん断った。
ゼウラウス国王は冗談交じりにアレス国ごともらっちゃおうかなぁ、と発言したところ、それを本気にしたお父様が、大きな戦争に発展すると勘違い。
焦って私、クラリスをルプスに送り、懸け橋となるよう和平を結ぶことに。
どうして急に私を嫁がせてくれる気になったか分からないながらも、ルプス側はレオナルド殿下の嫁探しに困窮していたので、快く承諾。
というのが事の真相だった。
つまり…………?
「歓迎するぞ、クラリス王女。いやもう娘になるのだな、クラリス」
どうやら私は人質にされるわけでも、監禁されるわけでもなく、普通に時期王妃として迎え入れられるらしい。
本当に…………??
未だに信じられない気持ちを抱えながらも、リビアに自室を案内された。
私が生まれ育ったアレスの城の自室よりも、綺麗で広い部屋だった。
「クラリス様。こちらがお部屋になります。本日はお疲れだと思いますので、お食事はこちらに運ばせていただきますね」
「あ、ありがとう…ございます…」
リビアはほんわかとした雰囲気ながらも、てきぱきと私の身の回りの世話をしてくれた。
こんな風に誰かに世話をしてもらうなんて、いつぶりだろう。
小さい頃は私付きの侍女もいたように思ったけれど、お義母様やお姉様方がやってきてからは、一人でなんでもやらなくてはいけなかったし、なんなら私が侍女扱いだったのだ。
なんだか贅沢すぎる気がして、物凄く気が引けると言うか…。
今の自分の身の丈に合わない生活が始まってしまったような気がして、どうにも落ち着かない。
「湯を張りましたので、お先に入られますか?」
「え?ええ…」
リビアに案内され、自室に備え付けられているバスルームへと足を踏み入れる。
「クラリス様、お背中お流ししますね」
「えっ!いえいえけ、結構です!自分でできますっ!」
私の身体を洗う気満々だったリビアは、「あら、遠慮なさるなんて、クラリス様って本当に謙虚なんですね」と笑っている。
そうじゃないの…、少し一人でゆっくり考えさせてほしいだけなの…。
「いつでもお呼びくださいね」と微笑むリビアに、引き攣った笑顔を向けながらも、私はようやく一人の時間を手に入れた。
「はーっ……」
温かな湯船に浸かり、私は大きく伸びをした。
これは、本当のことなのかしら…。
未だにその疑念が尽きない。
酷い扱いをされるものと覚悟してやってきたわけだけれど、それどころか、自国でもされたことのないくらいに手厚く扱われている。
普通の国の王女って、こんな風に扱われるものなのかしら?
私にはまったく分からない。
王族でありながら、侍女のように扱われてきた私には、王女のいろはすら分からなかった。
思いっきり頬っぺたをつねってみる。
「いひゃい…」
当然のことながら、これは現実のようである。
現実であるならば、これはドッキリ、ということはないだろうか?
人質の私を油断させ、実は私の知らないところでアレス国が今にも滅ぼされそうになっている、とか…。
しかし私を騙すことに、ルプス側に何のメリットがあるというのだろうか。
「…本当に、…私を妻として迎え入れようとしている…?」
ゼウラウス国王もミラ王妃も、嘘を付いているようには見えなかった。
私なんかに他人の嘘を見抜く力なんてないけれども…。でも…。
「温かかったな……」
二人に抱きしめられたとき、すごく温かかった。
物理的な温度だけではなくて、本当に歓迎してくれているかのような、優しい温かさ。
私は鼻まで浴槽に浸かり、ぶくぶくと温かな世界を味わう。
これが、本当のことならいいのに……。
優しい人達に囲まれて、優しい世界で穏やかに生きたい。
私の願いは、ただそれだけ。
けれどその願いを抱くことすら、私には罰当たりなことなのだろう。
風呂を出ると、リビアが丁寧に髪を乾かしてくれた。
少しして運ばれてきた夕ご飯は、とても温かくて美味しかった。
こんな贅沢な暮らし、私なんかがしていいのだろうかと時々リビアの顔を窺っていたけれど、リビアは「ルプスの料理、お口に合いましたか?お魚なんて身がぷりっぷりでしょう!」だとか、「あーんしましょうか?」とか、とにかく私に優しかった。
こんな優しい人が、私を騙しているとは考えにくい。
でも、でも、と現状をなかなか受け入れられない自分がいた。
お腹がいっぱいになると、急に眠気がやってきた。
暖かく美味しい料理をお腹いっぱいに食べたのと、長旅で疲れたのかもしれない。
私はあまりの瞼の重さに耐えきれなくなって、大きな天蓋付きベッドへと雪崩れ込んだ。
リビアが優しく布団を掛けてくれたまでは憶えているけれど、以降の記憶はなかった。
次にふと目を覚ましたのは、なんだか冷たい風を感じたような気がしたからだ。
目を開けると部屋の中は真っ暗で、月明かりだけが辺りを照らしていた。
深夜に月が見られることなんて、アレスでは滅多になかった。
アレスはこの時期、吹雪に覆われることが多く、いつも薄暗かったから。
その窓際に人影があるように見えた。
…?誰だろう…?
寝ぼけ眼で少し身を起こすと、窓の外を眺めていた人影が、ゆっくりとこちらを振り返った。
「…ああ、起こしてしまったか…」
「ひ…っ…」
振り返った人物はゆっくりとこちらにやってきた。
そうして私のベッドへと手を付くと、至近距離で私の顔を見つめる。
私は恐怖で身体が動かなくなっていた。
れ、レオナルド殿下……!
氷のように冷たい目と、にこりともしない表情が、私を射抜くように見つめている。
頭の中で、先程のゼウラウス国王の言葉がこだまする。
『レオもようやくクラリス王女に会えて喜んでおるわい』
やっぱりそんなわけない……!!
目の前にいるレオナルド殿下は、今にも私を殺しそうな狂喜に満ちた表情をしている。
そんな彼が、私に会えて喜んでいるわけがない。
誰がどう見たって、今にも私を殺めようとしているようにしか見えない。
「クラリス・フォートレット」
「は、はいっ……」
殺される…っ、そう覚悟を決める。
「明日、私の部屋まで来てくれ」
「え…?」
「話をしよう」
その言葉とともに細められた目に、ああ、私は明日死ぬのだと悟った。
「おやすみ」
そう言って部屋を出て行くレオナルド殿下の背中を見送る。
…やっぱり私は、殺されるんだわ…………。
レオナルド殿下のあの冷たく鋭い目。
私を生きては帰さないと言わんばかりの、冷たく狂気に満ちた目。
「束の間の休息…だったのね…」
アレスを出た時に、覚悟は決めていた。
やはり私なんかが、幸せになれるはずなんてなかったのだ。
「うう…頭痛い……」
あれから一睡もできずに朝を迎えた。
当然だ。覚悟してはいたけれど、死は怖い。悠長に眠れるはずがなかった。
「そうだ…、朝食の支度をしなくては……」
私は適当に身支度を整え、部屋を出る。
しかしそこで困り果ててしまった。
あれ?そういえば厨房はどこにあるのかしら?
昨日はリビアが部屋にご飯を運んでくれたため、どこで作っているのか分からない。
そこにちょうど、リビアがやってきた。
「クラリス様!もうお目覚めでしたか!遅くなってすみません!」
「あ、いえ…」
慌ててこちらにやってくるリビアに、重い頭を抑えながら私は問い掛けた。
「あの、厨房はどこにあるのでしょうか?朝の支度をしなくては…」
私の言葉に、きょとんと可愛らしいお顔を傾げるリビア。それからすぐに笑顔になる。
「クラリス様、何を仰っているのですか!そのようなことは私共の仕事です。クラリス様はゆっくりなさってくださいまし!」
「さあさあ!」と部屋に押し戻され、私はベッドに腰掛ける。
そうだった。私はもう、朝食の支度をすることはないのだった。
アレスにいるときの癖でつい早起きをし、厨房に向かおうとしてしまった。
今日殺されるかもしれないのに、なんて呑気なことだろうか。
寝不足とそれによる頭痛に加え、人生が今日で終わるかもしれないという恐怖から、上手く頭が回っていないようだった。
私の髪や服を整えてくれていたリビアが、私の顔を心配そうに覗き込む。
「クラリス様?大丈夫ですか?」
「…?」
「少々顔色が悪いように思います。昨日の疲れがまだとれていらっしゃらないのではないでしょうか?」
疲れが取れていないどころか、体調も悪ければ気分も最悪である。けれど。
「大丈夫です…、今日は、殿下とお約束がありますので…」
そう言うとリビアはにんまりと笑顔を浮かべる。
「そうでしたか!でしたら今日は特別可愛くして差し上げねば!」
リビアは腕を捲り、嬉々として私の化粧を始める。
「クラリス様はもともとかなり美人様でございますので、それほどいじる必要もございませんが、ちょっとだけお色入れますね」
美人?私が?
ぼーっとした頭のなか、聞こえてきた単語に首を傾げる。
美人だなんて、リビアはとても優しい子だわ。
私が死ぬまでのほんの短い付き合いであるとしても、私の気分を上げるような優しい言葉ばかりをくれる。
私が美人だなんて、そんなはずがあるわけないというのに。
「さ!できましたよ」
鏡に映る私は、私でないみたいに綺麗だった。
こんなに素敵にしてもらったことは、人生で一度もない。
「ありがとう…、リビア」
「とんでもないです!クラリス様はもともとがお綺麗ですから」
「でも本日は無理はなさらないでくださいよ!やっぱり顔色があまりよろしくはないですから」とリビアはお母さんのようなことを言ってくれた。
私は苦笑いを零しながらも、「分かりました」と返事をした。
午後のお茶の時間。
ついに殿下の元へと足を運んだ。
日中は職務で城を出ていたようで会うことができず、この時間になってしまった。
レオナルド殿下が戻るまでの時間、私はただただその時が来るまで部屋で静かに待ち続けた。
何をするでもなく、時に身を任せながら。
頭痛は酷くなる一方だったけれど、そんなことを気にしている場合ではない。
告げられる言葉は大体予想できるけれど、なんと言われるのだろうか。
「貴様の処刑日が決まった」、「お前にはここで死んでもらう」、「汚らわしいアレスの血め」。
どれもレオナルド殿下なら言いかねない。
何も言わずに殺される、というパターンもあるのかもしれない。
ああ、もうどうせ死ぬのだ。言葉などどうでもいい。
この酷すぎる頭痛をどうにかしてほしい…。
私は小さく二回扉をノックして、レオナルド殿下の職務室に足を踏み入れた。
「…クラリスです…失礼、いたします…」
机に向かっていたレオナルド殿下は顔を上げて、こちらに視線を向けた。
「ああ、来たか。そこに座ってくれ」
「…はい…」
仕事机の前にある、応接用のソファへと腰を降ろすと、向かいにレオナルド殿下が座った。
こちらに視線を投げる殿下の目は、やはり今にでも私を殺さんとするかのような鋭く冷たい視線だった。
コンコン、と扉がノックされ、一人の侍女が部屋に入ってくる。
「失礼いたします。お茶の準備をさせていただきます」
「ああ」
こんな時までお茶だなんて、なんて悠長なのかしら…それともこれが俗に言う最後の晩餐というものなのかしら…。
侍女は紅茶を私とレオナルド殿下の前へと置き、その中心にバターのいい香りをさせるクッキーの乗ったお皿を置いた。
「ありがとう」
レオナルド殿下が表情一つ変えずに侍女へと礼を述べると、侍女はにこやかに退出した。
殿下は紅茶を一口含むと、私へと向き直る。
ああ、いよいよ……。
「君のこれからについてだが、」
何を言われても大丈夫よ、もうあらゆるパターンを想像してきた。
ネガティブ思考の強い私は、これでもかという程に悪いパターンを想像することに長けている。
第三王女ながらもアレス国で虐げられてきた私が唯一得意なことだ。
私は膝の上の拳をぎゅっと握りしめ、殿下に向き合った。
続く言葉を、静かに待つ。
「君のこれからについてだが、国王から話があった通り、正式に我が妻として迎えようと思っている」
………。
「それに際して、式典も執り行うつもりだ。そこで近隣諸国への発表を予定している」
……………。
「異論はないか?」
……………………え?殿下は今なんと??
「ありますっ!!!」
ぽかんとしていた私が急に前のめりになったので、レオナルド殿下が初めて驚きのような表情を浮かべた。
「異論、あるのか…」
「ありますっ!何故私は処刑されないのでしょうか!?」
「は?何を言っているのだ、君は」
「私はアレスとルプスの和平のためにこの国へとやって参りました。てっきり人質や奴隷として扱われるものとばかり思っていたのです。それなのに…、」
この国に来てから、優しい人達ばかり。
余所から来た私なんかに、みんな優しくしてくれる。
そんなことってあるのだろうか?
自国でも愛されなかった私が、ルプス帝国になんの利益ももたらしていない私なんかが、どうして大切にされるというのか。
レオナルド殿下が静かに口を開く。
「君がどうしてそのような卑屈な考えばかりしてしまうのかは分からないが…。先程も言った通り、私は君を妻に迎えたいと思っている」
「…っ、でも、」
「父の言った通りなのだ」
「え…?」
レオナルド殿下の氷のような表情が、少し溶けたような気がした。
殿下は私から少し視線を背けると、ぽつりぽつりと話し出す。
「君が私の妻となる日を、ずっと待ちわびていた」
私は思わず眉間に皺を寄せる。
そんなわけ…。
「そんなはずがないと思っているか?」
まるで心を読まれたようにそう言われて、私の身体がびくっと跳ねた。
「君は憶えていないのだろうな…。あれは、まだ五歳の頃だ」
そうレオナルド殿下が話し出したのは、遠い日の思い出だった。
レオナルド殿下が言うには、私と殿下は幼少の頃に一度会ったことがあるらしい。
そういえばそのようなことを、ゼウラウス国王も仰っていたかもしれない。
当時八歳だったレオナルド殿下に対して、私は五歳。
とある近隣諸国の会合を兼ねたパーティーでのことだった。
そこには隣国のお偉い様方のご子息や時期国王となる継承者達がいて、私もその中の一人だった。
甘い物が大好きなレオナルド殿下は、用意されていたスイーツを片っ端から食べていた。
それを見ていた近隣諸国の子供たちは、「うわっ!男のくせにあいつ甘い物ばっかり食べてるぞ!」「社交の場でご飯に夢中だなんて、ルプスの将来が不安だわぁ」などと、馬鹿にされたそうなのだ。
悔しく思いながらも、当時のレオナルド殿下は強く言い返すことも出来ず、ただ俯くしかなかった。
そこに割って入ってきたのが、私、当時はアレス国の第一王女であった、クラリス・フォートレットだった。
その時の私はどうやら、こんなことを言ったらしい。
「わぁ!!そのスイーツ!とっても美味しそうっ!私にも頂戴!」
「うっわ!またスイーツ馬鹿が増えたよ、アレスもルプスも、将来滅んでるんじゃねえ?」
ぎゃはははと笑う数人の子供達に、私はまったく怯むことなくこう言った。
「どうして用意してもらったご飯を食べてはいけないの?これは、大国セシウスが用意してくれたものでしょう?あっちは小国だけれど、自然豊かな中立国アリアが用意してくれたもの。どのテーブルもその国の特産物を使った、その国独自の郷土料理が並んでる。私達子供が他国を理解するのに、その国のご飯を食べるのが手っ取り早いと思わない?このフルーツがたくさん使われているから、温暖な気候なんだろうな、とか、凝った料理が多いから食に力を入れていて、手先が器用な人が多いんだろうな、とか。社交も大事だけれど、私達子供にとっては、そういう小さなことから国を理解することも大事なんじゃないの?」
私の言葉に、そこにいた子供達は黙り込んでしまったらしい。
それを横目に、料理を取り分ける私。
「あ、あの、ありがとう…」
レオナルド殿下は、自分よりも小さな私が言い返していたことに、心底驚いたらしい。
「ん?なにが?私はただ、この国のスイーツが食べたかっただけだよ!」
「そう口いっぱいにスイーツを頬張り、クリームだらけの口の周りを気にすることもなく笑った君に、私は恋をした。いつか立派な男として成長し、君を守れるようになったら、君を妻に迎えようと、そう決意したのだ」
レオナルド殿下が妻を取らなかったのは、機を窺っていたかららしい。
話を聞き終えた私は、またしてもぽかんと口を開けていた。
「話、作りました?」
「そんなわけないだろう」
どうやら本当のことらしい。
私にはそんな記憶、これっぽっちもないのだけれど。
私が五歳の頃というと、まだ母が生きていた頃だ。
その頃の私はきっと、何も苦しいこともなくて、ただただ平穏に、この先も自分がアレスを背負って立っていくものだと思っていた頃だろう。
今のようにネガティブな考え方もすることはなくて、純粋な子供だった頃の話だ。
「そう、でしたか……」
にわかには信じがたいけれど、いつも冷たそうな表情を浮かべているレオナルド殿下が、本当に照れくさそうな顔をしていたので、嘘ではないのだと思う…多分…。
レオナルド殿下は、もしかしてそんな小さい頃から私のことを想ってくれていたというの?
ただの一度きりしか会ったことのない、そんな通りすがりのスイーツ好きの食いしん坊な私なんかのことを?ずっと…?
殿下はわざとらしくこほんと咳払いすると、私の目を真っ直ぐに見つめる。
「そういうわけだから、君には絶対に私の妻になってもらう」
「……………はい…」
真剣な瞳に見つめられて、私の口は勝手にそう返事をしていた。
って、なに勝手に承諾しちゃっているの私!
レオナルド殿下はほっとしたような、嬉しそうな表情をしていた…ような気がする…。
「さて、今日のところはこのくらいにしておこう」
「え?」
レオナルド殿下は立ち上がると、私の傍までやってきて急に横抱きに抱え上げた。
「なっ、で、殿下っ!?なにをなさるのですかっ!?」
「随分と顔色が悪い。部屋まで連れて行く。今日はもう休め」
「わっ、分かりましたっ!ですが、自分で歩けますからっ」
確かに今朝から頭はぼーっとするし頭痛も酷かったけれど、レオナルド殿下に抱えられて、ますます身体が熱くなってきたように感じる。
もしかしたら熱が出てきたのかも…。
「うっ…」
殿下の腕の中でもがいていた私は、あまりの倦怠感に大人しくするしかなかった。
ぼーっとしている間に自室へと到着。
部屋の掃除やベッドメイキングをしてくれていたリビアが、私を抱えて入ってきたレオナルド殿下に驚いて声を上げる。
「殿下!?それに、クラリス様っ!」
「リビア、ちょうどいい。彼女に白湯と薬を用意してくれ」
「は、はい!」
レオナルド殿下の指示を受け、リビアはぱたぱたと慌てて支度を始める。
その様子をぼんやり眺めていると、私の身体がふかふかのベッドに横たえられた。
「今日は無理をさせてしまったな…悪かった」
私は小さく首を横に振る。
「クラリス様、お薬です」
温かなお湯で薬を喉に流し込むと、すぐに眠気がやってきた。
「おやすみ、クラリス」
そう愛おしそうに呟くレオナルド殿下の声を聞きながら、私は目を閉じる。
意識を手放す瞬間、唇になにか柔らかく温かいものが触れて、同時にリビアの「きゃっ!」みたいな可愛い声が聞こえた気がした。
目が覚めると辺りはもうすでに明るく、日が高そうだった。
どうやら丸一日眠ってしまっていたらしい。
酷かった頭痛はすっかり消え去り、なんだか頭もスッキリしていて、清々しい気分だった。
ん~っと大きく伸びをしたとき、ちょうど部屋がノックされ、リビアが入ってきた。
「クラリス様、お目覚めでしたか」
「あ、ちょ、ちょうど今起きたところで…」
「お加減はいかがでしょうか?昨日よりはとても顔色が良いように見受けられます」
「ありがとう、お陰様でもうすっかり元気です」
「良かったです!」と笑顔を浮かべるリビアは、今日も相変わらず聖母のようである。
「しばらくはゆっくり休むようにと、レオナルド殿下から仰せつかっております」
「そ、そうですか…」
レオナルド殿下、とリビアの口からお名前を聞いただけで、何故か私の心臓がドキリと跳ねた。
「えっと、レオナルド殿下は、本日はどちらに?」
「城内にいらっしゃいますよ~」
「そ、そう…」
なんとなくレオナルド殿下にお会いするのが恥ずかしかった。
私に好意を寄せ、本当に妻に迎える気のようだし、そのような男性に会ったことのない私は、殿下とどう接して良いのか、よく分からなかった。
というか、本当の本当に?
本当に私が、このルプス帝国の第一王子であるレオナルド殿下と結婚を?
未だに信じられない。
処刑されるどころか、愛の告白。そして私が普通の人であるかのような、幸せな婚姻生活が目の前に迫っている。
「本当に、私なんかで…」
「クラリス様…?どうかされましたか?」
私の呟きに可愛らしく小首を傾げるリビア。
「あ、ええと…、私なんかが、本当にレオナルド殿下の妻になってしまっても良いものかと…」
尻つぼみになりながらもごもごと伝えると、リビアは驚いたように目を見開いた。
「なにを仰っているのですか!レオナルド殿下にクラリス王女!とてもお似合いのお二人ではないですか!」
「そう、でしょうか…。小さな隣国の第三王女であり、なんの取柄もない私なんかが、大国であるルプスの第一王子、軍事部隊隊長のレオナルド殿下と、釣り合うとは到底思えないのですが…」
言っていて悲しくなるけれど、これは紛れもない事実である。
私と殿下では、釣り合わない。
きっと誰しもがそう言うに違いないし、それによってルプスの評判が落ちるようなことになったら、きっと今度こそ処刑されるに違いない…。
リビアは私の言葉に驚いて目を丸くしている。
「クラリス様、よくお聞きくださいませ」
ずいっと近付いてきたリビアは、声を潜めるように私に耳打ちする。
「レオナルド様は、クラリス様のことが大好きでございます」
「いや、でもそれは、」
「私は昨晩見てしまったのです」
「え?」
見た?何を?
「レオナルド様がクラリス様に、愛おしそうにキスをするのを…………!!!」
「きっ…キス!?!?」
ぼんっと音でもするのではないかと言うくらいに、身体中の体温が一気に高くなった気がする。
「き、き、キ……っ!?!?」
お猿さんのようにキキっしか発音できなくなってしまった私に、リビアはにまにまと笑う。
そうしてリビアは手近な机に置かれていたハンドベルを無造作に鳴らした。
リリリリン!!!!!
部屋中はおろか、城中に響き渡るかのような大きな音だった。
私は慌てて耳を抑える。
「りっ、リビア!?これは一体…」
一体何事?そう訊こうとしている間に、遠くから慌てたような足音が近付いて来る。
「クラリス!無事か!?」
バンっと扉が大きな音を立てて開き、慌てたように息を切らしたレオナルド殿下が入ってきた。
「で、でで殿下っ!?!?」
「何事だ!?」
「いやそれはこっちのセリフなのですがっ!?」
どうやらあの凶悪なほどに大音量のハンドベルは、レオナルド殿下を呼ぶためのものだったらしい。
一侍女が一国を担う次期国王をハンドベル一つで呼ぶとは、なかなかに極刑ものであるように思うが当のレオナルド殿下は特になにも思っていないらしかった。
ここに来てから薄々感じていることではあったけれど、王族や侍女や召使の身分差など関係なく、この城は一つの家族のような気さくさがある。
侍女であるリビアも、ゼウラウス国王やレオナルド殿下に敬意は払いつつも、物怖じすることなく接しているし、それを国王や殿下も良しとしている。
これがルプス帝国の在り方、なのかしら…。
聞いていたルプスのイメージとはかなりかけ離れているようにも思う。
アレスでは考えられないようなことばかりだ。
やはりその国を真に理解するには、まだまだやることがありそうだった。
レオナルド殿下と私が同じように首を傾げているようすを見て、リビアがこほんと説明を始める。
「殿下、お呼び立てして申し訳ございません。クラリス様があまりにネガティブで自分を卑下してばかりでおいででございましたので、ここはびしっと殿下から仰ってくださいませ」
「びしっと、とは?」
「もうっ!クラリス様のことが好きー!とか愛してるー!とかそういうことですっ!まったく殿下は本当に乙女心が分からないのですからっ!私は退出いたしますので、あとはしっかり!ですよ!」
やはり少しお母さんのような態度のリビアが部屋を出て行って、私とレオナルド殿下の二人が残された。
レオナルド殿下は少し気まずそうに、ベッドに腰を降ろした。
「クラリス、体調はどうだ?」
「え、あ、もうすっかり、大丈夫です…」
「そうか、よかった」
ほっと安堵の表情を見せる殿下に、私はぽつりと言ってしまった。
「殿下は、思ったよりも表情豊かな方なのですね…」
その言葉に、レオナルド殿下は少し表情を引き締める。
「どこがだ。不愛想だの怖いだのよく言われる」
確かに会ってすぐは私もそう思った。
顔立ちから冷たくきついように見えるからだ。
しかしその実、こうして私のために飛んできてくれるくらいには、優しさも持ち合わせている。
私のことを、本当に大事にしようとしてくれている……?
そんな都合の良い考えが浮かんでしまい、私は大きく頭を振る。
そんなわけない。そんな人、いるわけがない。
私は愛されてこなかった。
きっとこの先も、愛されることなんて、決してない。
「どうした?また体調が?」
私が黙り込んで俯いてしまったのを勘違いした殿下は、私の顔色を窺おうと近付いてきた。
そのあまりの近さに驚いてしまった私は、「だ、大丈夫ですっ!」とレオナルド殿下の胸を押し返そうとして、その手を握られてしまった。
「で、殿下…っ」
「クラリス、リビアの話は本当か?」
「え…?」
「私の愛が信じられないか?」
「……っ」
信じられない…のかな。
騙されているのではないか、と未だに思う。
こんなことが本当に、私なんかの身に起きていいのかって、そう思ってしまう。
ずっと、願っていた。
私を愛してくれる誰かがいて、ただただ穏やかに暮らせる日々を。
もしかしたらそれが、もう目の前に来ているかもしれないのに、ネガティブな私は、それを素直に受け取ることができない。
言葉に詰まった私をどう思ったのか、レオナルド殿下は私の手の甲に優しくキスを落とす。
「…………!?!?」
「今はまだ、信じてもらえないかもしれない。けれどこれから少しずつ、私の気持ちを伝えていくつもりだ。クラリスがいつか、自信を持って私の隣に立てるようになるまで」
「…殿下…………」
レオナルド殿下は私の頬に優しく触れる。
殿下の氷のような瞳に吸い寄せられて、目が離せなくなる。
気付けば互いの唇が重なり合っていて、私はその温かさに身を委ねていた。
この人のことがもっと知りたい。
そう強く思った。
レオナルド殿下と接していくうちに、根深くなってしまったこのネガティブな思考も、少しは明るい方へと向かってくれるのだろうか。
私なんかが、未来に希望を持ってもいいのだろうか。
ネガティブな私がポジティブになるまでには、まだまだ時間が掛かりそうだった。
終わり
お読みいただきありがとうございました!
少しでも楽しんでもらえていたら嬉しいです。