第六十一話:汐風に晒されて
海
ただ
眺めて。
潮風がそよぐ。うんざりする夏の暑さを忘れてしまうほど快適で涼しい。
磯のにおいが鼻頭を撫でる。眼前に広がる青い海が童心を思い出させる。彼方に延びる水平線が自分の存在をちっぽけに感じさせる。
支配人は俺たちが使っていたお椀等を片付け、再び襖から姿を見せた。
「君たち、この後の予定は埋まってるのかい?」
俺と目を合わせた支配人は、やにわに予定を尋ねた。もちろん今すぐにでも夕凪の幻を試したいが、何日か滞在するので今日じゃなくてもいいと思っている、そのような旨の返事を返すと支配人は狐目をさらに細めて言った。
「なら真ん前の海で遊んできてはどうだい?」
当然、全員が即答でイエスと答えた。海で遊ぶことは前々から考えていた、それを支配人の方から提案してもらえるとこちらとしても行きやすい。
そうして海に行って遊ぶことが決まり各々が準備をし始める。そうして全員の準備が整い、楽しさを隠し切れずに葉山たちは走り出す。
俺も走ろうと踏み出した足を、一握の迷いが引っ張る。
俺は何をしにここに来たんだ?
「将也ー!!なに突っ立ってんだよー⁉」
ただ、その迷いはあまりに小さくて、向こうで待つみんなを見てすぐに揺らいでしまう。三人の級友が海ではしゃいでるのを見せられれば、気分の高揚はもう止められない。
「まさか命苫泳げないのかよー!?」
なんかやっと高校生らしいことができてる気がする。それに…
「命苫くーん、早く!!」
あの子とこの海に来た時のこと思い出すな。俺を呼ぶ声の中に、もう一つ声が聞こえたらなぁ…まあ早乙女とあの子は声もそっくりだけどな。ていうか…あの子に似てるってだけで全然意識してなかったけど、早乙女って結構かわい……虚無だ、俺。
ちゃんと青春してるのって初めてかもな。今だけは道化じゃなくても…許してくれるか、明日香。今だけ、今だけ俺に、「普通」の高校生でいさせてくれるかい?
どれだけ赦しを請うてもいつかの白いワンピースはどこにも見えない。この海の伝承で明日香が姿を現してくれたら、俺はどれだけ救われることか。
「おーい将也」「何してんだよ」「大丈夫?」
少しだけ行ってくるね。
「ごめんごめん、今行くよ」
今の俺は、「普通」の学生なんだから、全力で楽しまなくっちゃ。
気づけばもう夕暮れ時。夕日が水平線に顔を隠そうと足早に駆けて行く。
「そろそろ暗くなるな。戻るか」
「そうだな。夜は危ない」
葉山と尚輝はきりの良いタイミングで切り上げ、体を旅館に向けている。俺もそろそろ戻るかな。ただ…
「えっ…みんなもう戻っちゃうの…?」
一人、波打ち際に膝を立てて座っている早乙女が一向に立ちあがろうとしない。
「いやいや早乙女さん⁉︎これから暗くなるよ⁉︎」
「でも…まだ明るいし…」
小動物のように力弱く反論している。今は日没直後でまだ周りが見えるが、すぐに真っ暗になるだろう。特にこの辺りは灯りになりそうな光源は無く、旅館の電気もここらを照らしてくれるほど眩しくはない。
「早乙女、また明日も来ればいいだろ」
「……」
「それに支配人さんにも迷惑かけれないだろ」
「うっ…」
ぐうの音も出なくなったのか、顔を伏せて逃げの姿勢に徹している。往生際が悪いな…
「私…誰かと海に来たの初めてだから…」
いきなり語り出した早乙女の口調からは、どことなく哀愁を感じる。暗い中でも存在を感じさせる海のせいだろうか。
「つい…楽しくなっちゃって…」
この重々しくなった雰囲気が、声を上げることを許さない。俺たちはただ、早乙女が綴る言葉を黙って聞くしかなかった。
「お母さんにもこの海、見てほし…」
「早乙女さん‼︎」
突然、この雰囲気に場違いな声量で早乙女を呼んだのは尚輝だった。
「支配人さんがご飯作ってくれてるし、それにここ露天風呂もあるって言ってたから…戻ろうよ」
尚輝…今の早乙女にそれは弱いんじゃ…と思っていたのも束の間。
「えっ、そうなの⁉︎」
その場を離れる動作を全く見せていなかった早乙女が、瞬間に立ち上がった。どっちに反応したのか…どっちにしろ現金な奴だなぁ。
「それなら早く言ってよ〜みんな戻ろう‼︎」
早乙女はそう言い残して、颯爽と旅館まで駆けていった。どこまであの子にそっくりなんだ…
「じゃ、俺たちも戻ろうぜ」
早乙女がいない今も、この場の雰囲気は重たいままだった。
「将也、もう少しだけ海眺めてようぜ」
葉山と尚輝、二人は完全に真っ暗になった海を、波打ち際に足を晒して眺めている。さっきまで一番に旅館に戻ろうとしていたこいつらが、今度は留まる側になっていることに驚きはしなかった。
その理由はなんとなく分かっている。
去り際、早乙女の頬から落ちる一粒の雫が目に入った。最後に明るく気丈になっていたのは空元気だろう。
どうしても早乙女の言っていたことが気になる。
お母さんにもこの海見てほしい…
その一文から様々な連想ができるも、そのどれもが嫌な想像ばかりだ。
「将也…もう少しだけここにいさせてくれ」
きっと葉山は、そんな早乙女を気遣ってここに残ろうと言っているんだ。相変わらず掴めない奴だなと思うも、心のうちに留めておく。
けど、海を眺める葉山の背中が少しだけかっこいいとも思ってしまった。
俺は気づかなかった。早乙女が旅館に向かって走る姿を見ている時。
早乙女ばかりに目がいって気に留めていなかった。
視界の端で、葉山が尚輝に囁いていた。
「尚輝、サンキューな」
何に対して感謝しているのか。なぜ気づかれないように囁いていたのか。
俺は、それに気づいた時にきっとこう思う。
例え友人になって、どれだけ深い仲になっても、所詮は他人なんだ。友達って、近いようで遠いんだな。
海で遊ぶなんて青春もいいとこですよね。
全く羨ましい限りです。
まあ折角なので、海をエンジョイするだけの回も書きましょうかね…




