第五十六話:射す夕焼け、茜が凍る
La vostra fortuna, raccontiamola.
放課後の教室はカーテンが全開で、斜陽を遮るのもがない。そんな茜色の教室に二人残っている。
今日一日、なんとかして昨日のマッシュくんの名前を知ることに専念していたのだが、不運が重なり苗字すら知ることはできなかった。出席簿はほとんど先生が持っていってしまうし、永井先生に聞こうにも夏休み前の成績処理だなんだで忙しそうだった。さすがにクラスメイトの友人に聞くのは躊躇うし、クラスで問題児として印象づいてる俺には気軽に名前を聞ける相手なんていない。こうなったら…
「お前、何て名前なんだよ」
その質問に、後ろの机に座るマッシュくんは戸惑っていた。
「本当に僕の名前知らなかったんだ…」
「だから教えろって言ってんだろ」
いくらなんでも本人に聞くのは…と昼までは思っていたが、もう手段は選んでられない。
なんでここまでして知りたいのかって?最初はちゃんとお礼を言いたいからだったけど、正直それは俺をここまで突き動かした理由ではない。
本当の理由としては…今日の朝から、マッシュくんは俺が一人になったタイミングで必ず話しかけてくるようになった。内心は話しかけてくれた嬉しさと好き好んで問題児に近寄ってくる怪しさ、それと…話すたびに「命苫くん、命苫くん」って呼ばれる悔しさで三つ巴を起こしていた。三つの感情が争った結果、悔しさが勝ち今至るというわけだ。
「ちょっとショックだな…」
マッシュくんは不貞腐れたように、頬杖をついて口を尖らせている。
「悪かったって。話したことないから仕方ないだろ」
なんだろう、この人と話してると問題児キャラが崩れてる気がする…
「じゃあ、当ててみてよ」
「は?」
「僕の名前、なんだと思う?」
…話聞いてた?話したことないから、名前を知ろうとしなかったんだって。そもそもクラスメイトの名前ほとんど覚えてないから分からねぇし、また適当に言ったところで…
「僕、葉山っていうんだ」
「葉山…?」
「そう、葉山。実はね、このクラスにいるもう一人の葉山は双子の兄弟なんだ」
唐突に告げられた信じがたい事実に、何一つ言葉が出てこない。
「僕が弟で、優希が兄なんだ」
「でも、アイツそんなこと一言も…」
「僕ら兄弟はあんまり仲良くなくって…だから優希も黙ってたのかも」
まあ、どんなに仲の良い友人にも隠し事の一つや二つあるよな。俺もそうだし。
「まさか葉山に弟がいたなんてな…信じらんねえ…」
「信じられないよね、まあ噓だけど」
信じられないけど、葉山が話してくれるまでは触れないようにして…
「えっ?」
「噓だって。僕葉山じゃないし、葉山くんと血縁関係じゃないよ」
何だって?噓?なら葉山に兄弟はいないのか?まずい、頭がこんがらがってきた。
「えっと、どゆこと?」
「…」
真偽を尋ねるも、返答はない。
「お前と葉山は兄弟で、お前は葉山じゃなくって…」
「ふふっ…」
ダメだ。このまま考えてたら混乱してしまう。すると…
「あっはははははは」
マッシュくんが笑いを噴き出した。あまり表情が変わらない人だったので、声を出してわらうんだと驚いた。
「なんだよ…」
「命苫くんって、案外ピュアなんだね」
「はぁ⁉」
小学生の頃はあの子や他の子にピュアだと言われてたけど、問題児を演じるようになってそんなこと言われたのは初めてだ。
「はははっ、こんなに笑ったの久しぶりだよ」
「チッ…」
問題児らしく舌打ちしてみたが、多分本心だ。
「それで僕の名前だっけ」
「そうだよ、早く教えろ」
予想外のアクシデントに本来の目的を忘れそうになる。
「えっとね…」
「もう噓つくなよ」
あっ、目逸らした。またやる気だったな。
「分かったよ…僕は縁卜境磨。ちょっと難しい名前だけど覚えてくれると嬉しいな」
「縁卜…珍しい苗字だな」
すると縁卜は紙とペンを取り出し、その名の漢字を書き記した。縁に占いの卜か…俺はあまり見られない漢字に少し疑いを持つ。
「今度は本当だろうな」
「さぁ…」
俺の質問に、縁卜は唇に人差し指を当てて一言。その含みのある表情に信じる心が揺れてしまう。
「それよりさぁ、命苫くんに聞きたかったことがあって」
「なんだよ」
いきなり話を変えられたが、葉山と区別する呼び方があるのならそれでいいか。
「何でも聞けよ。今なら何でも答えれる気がするわ」
「あのさ、この三ヶ月ずっと気になってたんだけど…」
三ヶ月ずっとって、入学してからかよ。結構長い間溜めてたんだな。
「いや、でもな…」
「もったいぶらずに言えよ」
「んー…」
ここにきて何やら悩んでいる。あそこまで言われたら気になるだろ。
「早く言えよ。なんなんだ」
「いやぁ…そのさ」
何を躊躇っているのだろうか。三か月も気になってると言われたらこっちが気になる。あまりに話さないものだから素でイライラしてきた。
「いいから言えって」
「どうして命苫くんは、問題児のフリしてるの?」
ようやく口を割った縁卜の問いは、一瞬にして空気を凍てつかせた。縁卜が躊躇ったのも分かる。俺は無理矢理聞き出したことを後悔する。『どうして問題児のフリしてるの?』エコーがかかったみたいに耳の奥で何度も反響する。
「なんでって…」
二人ともなにも喋らない。この沈黙が、細い針になって身体に突き刺さる。
「僕はね、ばあちゃんの影響で心理学が得意なんだ。だから誰かが噓ついてるとかすぐ分かっちゃう」
「…」
再度、沈黙が訪れる。何も喋れないわけじゃない、何を喋ればいいかわからないんだ。
放課後の教室はカーテンが全開で、斜陽を遮るのもがない。そのせいでもあったのだろう。教室が、視界が、真っ赤に染められる。そんな凍てついた茜色の空間に二人残っている。
「まあ、無理に聞きはしないよ」
「…え」
「話したくないなら、聞く気はないよ」
縁卜の言葉に魔法がかかっているかのように、徐々に空気が熱を取り戻す。あれだけ真っ赤だった世界も、夕陽が山に隠れた今はどんどん暗くなってゆく。
「暗くなってきたし、僕先帰るね」
「あぁ…」
俺は安堵したと同時に、嵐に巻き込まれなような気分になった。
「あっ、それと…」
「まだなんかあるのかよ」
もう帰る寸前の縁卜が、振り向いて何かを告げようとする。俺は意識的に警戒する。
「命苫くんって葉山くんとは篠原くんと仲いいよね」
「そうだけど…」
いきなり葉山と尚輝の名が出され、警戒を強めていた全身がだらしなく崩れていく。
「二人がどうかしたか?」
「うん…あの二人なにか隠し事があるみたいなんだ」
「隠し事って、誰にでもあるだろ」
ごく当たり前のことを言われてつい小さな笑いがこぼれる。
「そうじゃなくって」
「あ?」
「なんていうか…君に知られたくない秘密があると思うんだ」
この時の俺は、その言葉に隠された真の意味を理解できなかった。
「そりゃそうだろ。俺だって秘密くらいあるしな」
「んー…そっか。じゃあね」
「あぁ、じゃあな」
そうして縁卜が教室を去り、日が沈んだ薄暗い教室に俺は一人残される。まだ内心の焦りや冷や汗は引かない。
「俺も帰るか…」
初めての状況に、さらに焦りは強まる。どうして道化のことがバレたんだ…しかも入学直後からって…
俺の頭の中は、俺の問題児を騙る道化としてのやy=\a{:kくj;u-^]\._[● 役割が見抜かれたことでいっぱいだった。だから、縁卜が帰り際に告げた言葉なんて、まったく気にも留めていなかった。
道化がクラス全体にバレることを危惧したこの時の俺には、葉山や尚輝が抱える秘密には気づきすらしない。
それを知るのはまだ先の話…
一時期タロット占いにハマってた時期がありまして、この小説に時折出てくる役割はタロットカードを参考に考えてるんですよ~
自分はやっぱり愚者が一番好きですね~




