第48話:選べ
Menti sempre.
そいつは僕に訊いてきた。(おまえハソレデしあわせカ?)僕は答えた。『彩子がいないセカイでしあわせになれるわけないだろ』
またこの夢だ。あの事件以降、蜈蚣の如く僕を苛む悪夢。夢だと分かっていても覚めることはできない。顔の黒いそいつが僕に問いかける、その問いに僕は答える。そんな尋問みたいな時間が延々と過ぎるだけの夢。この空間は、何の前触れもなく場面を変える。目覚めの直前、それは決まってあの時の光景が再演する。初めこそ目を抉りだしそうになったが、慣れてしまったこの頃はもう「憎たらしい夢だな」と仕方のないものだと思うようにしている。
またこの夢だ。相も変わらずそいつは訊いてきた。
*****
こんなに体を動かしたのはいつぶりだろうか。思い返せば、最後に本気で走ったのなんて高校生の時…僕は運動が苦手だったから、いっつも彩子に笑われてたっけな。それが悔しくていじけたこともあったっけ。
そんな淡い回想を、僕は無理矢理止めた。今僕が行っているのは運動なんて生温いものではない。もっとおどろおどろしい行為。制裁…いや、制裁という皮を被った暴力だ。彩子との思い出をこんな汚れたことで汚染したくない。回想なんてことが済めばいくらでもできる。
足元に倒れている標的を、かれこれ一時間は痛めつけている。体が裂けるほど憎んだ命苫将人の子息、体中全身に痛みを与える。これだけ痛ぶり続けても意識があるようだ。もっとも、抵抗する体力は残ってないようだ。人は意外にも頑丈につくられているのだと改めて思う。
「でもこれじゃあ、ただの拷問とかわりないね」
ただただ痛めつけたいわけではない。自らの肉親が犯した罪を、償ってくれればそれでいい。それが本人でなくとも、父が彩子を殺したことを知っていたのだから同罪だろう。
「そろそろ本題に入ろうか」
人生には今後を左右する大きな選択がいくつも迫りくる。あの時ああしてれば、あっちを選んでればなんて後悔したのも一度や二度じゃない。僕だってあの日…
彼らには自らの選択で罰を選んでもらう。自分自身で選んだ方法で、しっかり償ってもらう。
動くことのできない命苫将也に背を向け、横たわっているその妹を抱き上げる。そのまま近くにあった埃かぶった椅子に座らせる。これで準備は整った。
「楓葉…なに…を…」
「まだ喋れたんだ。意外にタフだね」
我ながら白々しい。言葉を発するのに必要な体力はきちんと残しておいた。でないと、僕の裁きは成立しないから。
「さて、どちらの審判を受けたい?」
得意げに話す僕を、命苫将也は今にも力尽きそうな弱々しい眼で睨む。その強気な目は、僕の闇を燻るのに充分だった。ポケットに忍ばせていた物を取り出して、麻樹ちゃんの首元に添える。
「ゔっ…!!やめ…」
麻樹ちゃんの首元に添えられているそれを見て、命苫将也は細々と開けていた目を大きく開く。まぁ当然、これを大切な妹に向けられたら誰だってそんな反応になるだろう。それでいい、それが君の選択だ。
「命苫将也、君が選ぶんだ。君か麻樹ちゃんのどちらかの命を」
「ッ…!!」
僕は手に持つ物を麻樹ちゃんの首元から放して、眼下で痛んだ体を震わせる命苫将也に向けた。僕の持つタガーナイフは無表情に、彼に鋭い刃を向ける。例え刃渡りの短い刃物でも、首元を切れば命を落とす。僕は本気だぞ。汚れた命苫の業を浄化してやるさ。
「さぁ選べ。自分の命か妹の命、どちらかをここで捨てろ!!」
平凡な人生を謳歌してきたただの高校生にとっては酷な選択肢だろう。僕としてはどちらを選んでも命苫に罰を下せるからそれでいい。
「こんなことしたって…」
こんなことか…まだ随分と余裕があるみたいだ。無駄口を叩く命苫将也の横腹に三発の蹴りを入れる。躊躇なく加減なく、悶える声すら耳に届かない。
「君と僕の違いは、憎しみに対する執着だ。君の憎しみがもっと確固たるものであれば僕のように成っていたよ」
「お前…みたいな…下劣な奴なんかに…成るわけ…」
耳障りな声に耐え切れず、開かれた口が付いている顔面を地面に押し付ける。すぐに髪を引っ張って顔を上げさせる。頭から血がドロドロと流れ、床に水溜まりを作っている。
「選ばないならどちらも殺す。早くしろ、もう我慢の限界だ」
今更になって思った。さすがにやりすぎただろうか。あれだけ思いっ切り頭を叩き付ければ意識もろとも飛んでしまうだろう。
「だったらこのまま殺すか」
ナイフを持つ手を天に向かって伸ばす。これが初めて、初めての殺人。それでも彩子を奪った輩に一矢報いることができるなら、そんなこと構わない。躊躇なんてない、戸惑いもない。迷わず殺せる。
僕は目を瞑って、勢い良く伸ばした手を振り下ろした。
まさか恋愛小説で命の危機に瀕するとは思いませんでしたねえ…




