【終わらせて】(後編)
大岩山の東にある醍醐山との間には、広い谷状の平地が南北に伸びている。その北には、近江に繋がる山科があった。山科を抜けようが、醍醐山を越えようが、近江へ向かうには、確実にこの平地を通らなければならない。
官兵衛はそこの、陵墓が点在している辺りを仮の本陣とした。重囲を切り株に例えるとすると、南東に出っ張ったこぶのような位置である。万が一近江から敵が来ても、対処が容易な位置でもあった。
山科川を越えたすぐそこに伏見城がある。だが、相手の大砲が届くほど近くではなかった。そのような危険性を負う必要性など、今の官兵衛には無い。
仮の本陣を定めてすぐ、伝令を方々に走らせ、自分の位置が移動したことの逓伝と、各前線の状況の確認をさせていく。
半刻後、前線の状況が分かった。大岩山にいたままであれば、倍の時間はかかっていただろう。
「数の差の割に、苦戦しておるな。まあ、仕方がないが……」
一領具足は、全員戦うための訓練を受けており、装備も火縄銃という高級な武器を装備している。対してこちらの兵は、何の訓練も受けておらず、装備もこれまでの戦いで分捕った物である。対等の戦いを期待する方が愚かであろう。
農民兵たちが突然の夜襲に右往左往し、まとめ役である配下の侍たちが、それらの統率と、眼前の敵小部隊の対処に苦しんでいるのが手に取るように分かった。
「さて、手を貸してやるか」
官兵衛は軽い調子でそう言うと、次々と指示を与えた。
「近くに大きな屋敷が丸々残っているはずだ。そこを抑えろ」
「置盾が足りないなら、戸板を積み上げればよい」
「撃ち合いに付き合うな。一度引き込んで、囲んで叩け」
「無理に追おうとするな。どうせ追いつけん、辻を固く守るだけで勝てる」
「敵の狙いは、こちらを惑わし、疲弊させることだ。後方の部隊と交代しながら戦え」
「戦う意思のないものは放っておけ。どうせ、残りでも勝てる」
「深追いして城の近くまで行くな。手痛い反撃を喰らう」
「敵の目的は、穴を作ることにある。柵を破られないようにしろ」
一つ指示が下る度、人が走る。
銃声が鳴りやまない戦場では、陣貝や陣太鼓の伝達能力もたかが知れるため、人を走らせるしかない。といっても、例え包囲陣の隅々にまでそれらを響かせられたとしても、先の様な簡単な命令すら伝達できないため、人を遣ることに変わりはなかった。
醍醐山の向こうにもこの騒動は伝わっているだろうが、夜の出来事である。このまま詳細な情報を与えなければ、動きはしないだろう。
伏見城から、特徴的な金管の音が聞こえて来た。城外にも金管手がいるようで、違う方角からも同様の音色が聞こえてくる。
「一領具足は、あの音に従って手足のように働くという。何らかの指示があったと見て間違いないだろう」
とはいえ、初めて聞く音色なため、流石の官兵衛にもそれが何かは分からなかった。夜空に響く音とはいえ、流石に近江まで届きそうにはない。
半刻が経って、その命令の一端が官兵衛にも分かるようになった。
「『敵がこちらの陣に潜り込んできている』、か……」
さっきまで、包囲網の内側をくすぐるように戦っていた一領具足たちが、突如戦いを避けつつ、前進してきたのだ。
焼けたとはいえ、元は市街地である。新月の夜ということもあり、三十人という小部隊であれば隠れる場所はある。
「重ねた布に水滴がしみ込むようだな……」
時間がなく、全周を柵で囲うようなことはできていない。その穴を衝いて、一領具足たちが深く、深くへ、潜り込んできている。
この戦法の影響は、すぐに出た。
「……少し減ったな」
送った伝令が、二人帰ってこない。
これがなにを意味しているのか、官兵衛は瞬時に理解した。
「──前に出るぞ」
おそらく、伝令は内部に浸透してきた一領具足にやられた。もし、それらへの対処を指示したとしても、半刻前よりも数を増した一領具足たちに同じように倒されるだろう。
このまま後方にいれば、軍全体が機能不全に陥る。その状態であれば、何百倍の数があっても楽に突破を許してしまうだろう。それを未然に防ぐために多少の危険はやむを得なかった。
官兵衛は、山科川を越えた辺りまで押し出した。大岩山の麓であり、何の因果か明智光秀が農民に討たれたという竹藪が近くにある。
伏見城下町の発展は、この辺りには流石に届いていないようで、閑散としている。
城に近づいた分、銃声が近くに感じられるようになった。
というよりも、近すぎる。
前方には四層程の陣があったはずだが、それらをすり抜けている敵部隊がいるようだった。
現に、一領具足の姿が遠くに見える。
「……確かに三十人程だな。よく、連携がとれておる」
別の三十が、その三十を援護している。別の三十も、さらに別の三十が助けている。関係が際限なく連なっている。少数だからと侮り、五十や百であたれば、あっさりと負けてしまうだろう。かといって千を以て戦おうとすれば、快足を活かして逃げ去るに違いない。
「厄介なことだ」
とはいったものの、官兵衛は近くの部隊を統括し、あっさりと一領具足数個組の完全な包囲に成功した。
戦い方がまるきり違った。まるで、のたうち回るだけだった巨人の体が、突如頭部を得て知性を持ったかのようだった。
もとより数はこちらが圧倒的に多い。直に戦わずとも、順を追って敵を圧迫し続ければ、簡単に誘導できるものだ。
むしろできない方が、可笑しいだろう。とさえ、官兵衛は思った。
しばし戦闘の音が連続した後、三百人の殲滅に成功したという報告が来た。
「この調子で続けよう。敵が二百に分かれていようと、十ずつ分けて戦えばいいのだからな」
続けて、官兵衛は味方を励ます伝令を走らせた。
「狼狽えるな。敵を包囲の外に出さなければそれでいい。むやみに追いかけたりせず、己が持ち場を守れ」
一応、複数人ごとに送っているが、それでも励ましが到達しない箇所はあるだろう。だが、こういうのは動く姿勢を示すのが大事なのだと官兵衛は割り切っていた。
一領具足たちは、年輪を食い荒らす白アリのように各処に食らいつき、無差別に穴をあけている。けれども、それだけで倒木することはない。結局のところ、外部から大斧を振り降ろされない限り、揺るぎもしないほど太いのだ。
「もう少し前に出るぞ」
官兵衛がやることは決まっていた。さっきと同じように、一領具足を数部隊ずつ追い込み、完全に取り囲んで、潰す。
虱潰しという言葉がぴったりな作業であった。
銃砲弾が届かない位置にいるよう心掛けながら官兵衛は戦場を変え、また一領具足を囲んだ。
「潰せ」
哀れな敵の小勢を目の前にして、何の感傷も持たぬまま、官兵衛は言った。突っ込むか逃げるかしかできない農民兵たちも、この分かりやすい命令には簡単に従える。
一領具足も、当然無抵抗でやられるわけがない。官兵衛に向けて、構えた。
「無駄なことを。弾など届かん」
だが、一領具足が構えたのは、火縄銃ではなく、飛ばしたのも、銃弾ではなかった。
──無機質な金属の絶叫が木霊した。いや、木霊だけではない。戦場各処から同様の叫びが重なり、輪唱のようになっていた。
明らかに、何かの仕掛けであった。
「赤備えが出るか……?」
この金管の音は、出陣の機を知らせるものとしか思えなかった。
官兵衛は伏見城の方を見た。しかし、城門は開かれない。金管はなおもやかましく、鳴っている。
代わりに、四方八方に乱射されていた砲撃が、こちらの方に一挙に指向されるようになった。
「違う! 金管は儂の居所を知らせるためのものか!?」
よく聞き分けると、目の前の金管と、他方から聞こえてくる金管の音は明らかに違う。おそらく目の前の金管は、ここに官兵衛がいることを意味し、他方の金管は、その演奏がどの方角から聞こえているのかによって演奏を変えている。これなら瞬時に、広範囲の者が目標の位置を大まかに知ることができた。
蝙蝠は暗夜を自在に飛べる。それは、光ではなく音を頼りにして飛ぶからだ。今まさに、金管の音を頼りにした三百羽の蝙蝠が、たった一つの獲物に向けて集まりつつあった。
「兵を集めろ! 敵の全軍がここに集結するぞ!」
そう命じたものの、頭の別の部分は、この危急の命令がどこまで届くのかの計算を始めた。目の前の敵の撃破でなく、敵陣の深くまで浸透することを優先していた一領具足の狙撃から何人が逃れられるだろうか……。
「こんな戦い方があったとはな……」
官兵衛が知っている戦いの原則は、戦力を相手よりも多く集中させることが勝利の近道であった。戦力が一ヶ所に集まれば、それだけ指揮官の指揮も届きやすい。
しかし、一領具足がやっているそれは、真逆であった。これだけ部隊が分散していれば、元親の指揮も届いてはいないだろう。
「……いや、指揮は元から取っていないのか」
そんなことがあるのだろうか。確かに、戦いによっては別動隊を複数に分けたりするし、率いる部隊も、結局は各武家の寄せ集めであり、最終的にはその当主がどう動くかどうかによる。大将というものは、それらをいかに一つの動きに連動させるか苦心するものだ。
銃声がほうぼうから近づき、激しさを増している。驚いたことに、背後の方からも聞こえてきた。
官兵衛は、体の奥底からくる笑いをこらえられなかった。
「こんな戦い方があるのか」
自身の才能に絶対の自信を持つ官兵衛には、到底できない戦い方であった。
いや、自信がなかったとしても、いきなり農民兵に自由に戦わせたところで勝負にならないだろう。これは今まで受けていた訓練と教育を受けてきた一領具足によってでしかできない戦い方であるのだから。
「輿を降ろせ」
戸惑う家臣に、官兵衛は言った。
「逃げるなり、戦うなり、好きにしろ」
そう言ったにもかかわらず、三人、官兵衛の周りを離れなかった。
「まあ、好きにしろとは言ったか……」
官兵衛は、フッと笑った。
近くの空き地にで胡坐をかいていると、銃声がどんどんと近づいてきた。数発、頭上を銃弾が通った。
銃声の合間に、近づいてくる足音が聞こえた。戦いの最中だというのに走るどころか急いでもいない。
「思いのほか早かったな、元親殿」
「やっと見つけた……」
元親と官兵衛が出会って間もなく、続々と一領具足が集まり、数百人規模になった。言ってみれば、伏見城を囲う大包囲網の一角に、小さな包囲網ができたような状態である。
その中心の空白地帯にいるのが元親と官兵衛である。元親のすぐ後ろには、親直と盛親が控えている。官兵衛の後ろにも、三人いた。
「そちらの勝ちだ」
官兵衛は素直に負けを認めた。
「勝ちはしましたが、貴方を上回ったとは決して思っていません」
この元親の言葉は本心からだった。一領具足が優れていただけのことである。
「何を、負けた方が劣っているのは自然の摂理よ」
元親は返す言葉がなかった。
官兵衛がまた口を開いた。
「あの戦い方はどこで習った? 南蛮か?」
元親は少し躊躇した後、官兵衛に近づき、小声で言った。
「四百年のちの世で」
二十世紀、大量の砲弾と肉弾をぶつけてようやく、一つ前の塹壕を手に入れられる戦いがあった。そんな不毛な戦いの最中編み出された、戦法。それを元親は使ったのである。
これはある意味、家ごとの家臣団を引き連れて、主家の戦いで槍を振るうこの時代戦いに似ている。それだけ、下部の者の裁量の範囲が大きい。しかし、この時代の戦いが自分の主君の大まかな作戦に従いつつも、己の栄達と功名心を秤にかけて行動するのに対して、未来の戦いは、指揮官の考えた作戦の遂行を最優先に考え続ける。
そこが、決定的な違いであった。一領具足であればこそ、伝令を討ち続けるという功にもならない戦い方を続けられたのである。
三百組だろうと千組だろうと、勝利のために戦う。この軍隊の手綱を、元親が常に握る必要はなかった。
元親の答えを受けて、官兵衛は笑った。
「四百年か……。到底生きられんな」
未来から来たという荒唐無稽な話であるが、なぜだか嘘を言っているように官兵衛は思えなかった。
官兵衛には、まだ気になるところがあった。
「なぜ、わざわざ儂を探すような真似をした? このまま戦い続ければ、突破もかなったであろうに」
元親は言った。
「こうした方が、無用な人死にが出ませんから」
「……こちらの被害を抑えるためにか」
近江から秀忠の軍勢がやってくれば、官兵衛の軍は瓦解し、従っていた農民兵は大量に死ぬ。
元親は照れ臭そうに言った。
「ええ」
「なんとも器の大きいことだ」
官兵衛は後ろの三人に、降伏を知らせる合図を出すよう命じた。
法螺貝が響く中、官兵衛はこの男に負けて良かった、という思いが胸の内に湧き起こった。それと、新たな願いも。
元親は言った。
「同道したよしみです。腹を召されよ」
官兵衛は、大笑いした。相手に悪気がないことを感じ取ったからこその大笑いであった。
どんなに面白くとも、いつかは笑い疲れる時が来る。波が引くように笑い声が小さくなり、やがて止まった。
そしてその瞬間、仕込み杖を抜き放ち、元親を襲った。
白刃の煌めきが、やや湾曲して元親の首元に近づいていく。
しかし、その煌めきは、途中で地面に落ちた。控えていた親直が、官兵衛の右腕を切り上げたのだ。
体の均衡を失い、地面に倒れる官兵衛の眼に、短筒の銃口の中が映った。
自分に向かって噴き出してくる火薬の光は、思っていたよりも大きく、綺麗だった。
官兵衛は、仰向けに倒れた。頭を地面に打ち付けた痛みすら彼には感じなかった。
「……最後まで儂の思い通りになったな」
官兵衛の襟元からロザリオが飛び出して、篝火の灯かりを小さく反射している。
盛親がそれを見て、恐る恐るという感じで言った。
「キリシタンは、自害が許されない。なのでこのような暴挙に出たのでしょうか?」
それだけではない。と官兵衛は言いたかったが、体が思い通りにならなかった。
官兵衛は、それから間もなく、死んだ。
降伏の合図が届いたのか、官兵衛の軍勢の抵抗が徐々に弱まり、数が急激に減っていった。戦死したというよりも、逃げ出した者の数の方が多い。所詮、官兵衛の声望と銭によって集められた農民ばかりということだろう。
醍醐山から顔を出した日の出が、伏見城を照らした。
「これで、全部終わったな」
元親の視線は、官兵衛に向けられているが、死体に話しかけているわけではない。
盛親が、反応した。
「ええ。でもこれから、忙しくなるでしょう。なにせ新しい、徳川の時代が来るのですから」
元親は苦笑した。
「他人事みたいに言っているけど、これからは、盛親、お前が当主だよ。徳川とのあれこれは、お前に任せる」
「ええっ! 今ここで!? 父上はどうされるおつもりで!?」
驚きのあまり、盛親のぎょろりとした目がさらに大きくなる。
「四国に帰る。残り少ない人生だけど、やれることがあるんでね」
それから、半年後、元親は死んだ。
まるで予期していたかの様な円滑な家督相続に、死期が本当に分かっていたのではないかという噂がまことしやかにささやかれた。




