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蝙蝠亡き島に飛ばされて  作者: 昼ヶS
【飛び上がって】

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82/86

【再び関ヶ原にて】(前編)

 東方から関ヶ原に進入する経路は二つあり、そのどちらも南宮山に沿うようにして通っている。


 一つは、北側。去年、家康が逃げ去った道。


 もう一つは、南側から西側にかけて伸びており、松尾山などに挟まれた長い谷の中にあった。


 元親は、その谷の中に西軍が来ると予想し、陣地を構えた。


 細かく言えば、今も構えている最中であった。


「ここは窪んでいるから、あまり掘りすぎるなよ」


「水をかけてから叩けば、よく固まるぞな」


「そこは大砲の邪魔になるから、土を盛らん方が良さそうや」


 一領具足たちは、銃を鋤や鍬に持ち替え意気揚々と穴を掘っていた。その穴は谷を横断するように東西に繋げられ、長い溝となった。


 排土は、溝の南側のふちに盛られた。盛土は、傍から見れば、堤のように見える。しかし、高さや厚みが僅かしか無い。それに、流出を防ぐ石の保護も無い。堤として水流を受け止めるには貧弱な構造をしている。


 だが、それでよかった。土盛りが受け止めるのは、水流ではなく鉛弾だからである。一領具足たちが作っているのは、塹壕であった。


 野良着を着て甲斐甲斐しく働く一領具足は、まさに農民そのものであった。識別用の色付きの襷がなければ、労働力として雇った地元住民と判別がつかなかっただろう。


 蟻の群れが手分けして巣作りしているような光景を、そうするよう命じた人物は、ボーっと眺めていた。


「体調が宜しくないのでしたら、指揮を代わりましょうか?」


「……いや、大丈夫」


 そう、親直に返したものの、元親の体調は確かに悪かった。熱があり、体がだるい。咳も出る。半年どころか、一週間も持ちそうになかった。


「どう見ても、大丈夫に見えませんが……」


「……本当に大丈夫。それより、そっちの方の準備は大丈夫?」


 親直は、二個連隊を率いて、南宮山北側の道を塞ぐ役目を担っていた。


「やれるところまではやれました」


「一領具足たちの規律に緩みは見られないか?」


「いいえ。今まで以上によく働いてくれています。それで、話を戻しますが、佐和山城の盛親様と交代なされた方が良いように思われるのですが……」


 関ヶ原のすぐ近くにある佐和山城は、三成に過ぎたる城と言われるほどあって、堅く、兵の士気も高かった。


 西軍本隊が関ヶ原に来るまでに、とても落とせそうにない。そう判断し、応急処置として、盛親に一個連隊を与えて抑えを務めさせている。


 さりげなく話題を変えようとしたのに、強引に戻された。親直のあまりのしつこさに辟易していると、伝令が慌てて走り込んできた。


「敵軍来襲! その数、およそ三万!」


「来たのか……」


 今までは、戦の度に程よい緊張と高揚があった。たとえ数万の命のやり取りになるとしても、道を究めた者同士が腕を競う、試合の様な楽しみがあった。けれどもそれが、ない。これも、目的の見えない戦いだからだろう。死んでいく者たちに対する引け目の方が、今は強かった。


「総員、戦闘態勢。──そっちも、任せた」


 戦いが始まるというのに主君の体調の心配をするほど、親直は意固地ではなかった。


「お気をつけて」


 その一言に複数の意味が込められていることを、元親は感じとった。


「早う穴に入れ! 味方に撃たれてしまうぞ!」


「そういうおまえは、鋤じゃなくて鉄砲を持ってこんか!」


 木霊する演奏と、戦いの準備に奔走する一領具足によって、谷が一気に賑やかになった。その賑やかさには、程よい緊張感と高揚が入り混じっている。


 元親は、その賑やかさから仲間外れにされているように感じた。


 何気なく空を見上げると、雲一つない快晴であった。突然の雨で火縄が濡れるということは起きそうにない。


 温かな陽気の下、一領具足たちは元気に駆け回り、次々塹壕に飛び込んで行った。


 塹壕は、腰の辺りまで掘った溝と、胸の高さまで盛り上げた土で構成されている。その少し南方──敵方には、敵の突撃を阻止する柵や、逆茂木が大量に植えられていた。


 野戦築城によって数を補い、谷に引きずり込んだ敵を東軍と挟み撃ちにする。それが、ここでの基本戦術であった。


 とにかく、時間さえ稼げれば、それで勝つ。そういう状況であった。


 敵の偵察だろうか。二、三騎だけやってきては、退き返していく。


 それが五度、繰り返された後、敵軍が姿を現した。


 おそらく、半分は後方からくる東軍に備えているのだろう。目の前にいる数は、一万五千程だった。七千の一領具足の、倍以上、いる。


 竹束でできた置盾が、城壁のようにびっしりと並んで距離を詰めてきている。その上方には、関ヶ原で見たことがある旗印が翻っていた。


「敵の将は、大谷吉継か……」


 見覚えがあるというと、竹束の隙間から、派手な色が見える。七手組の小袖だろう。前に見たのは浅葱色の小袖の組だけだったが、今回は七組全てがいるようで、他の六色──赤・黄・藍・紫・緑・黒も見えた。


「まあ、七手組だとしても負けることはないだろう」


 七手組が相手だろうと、土の胸壁に守られた一領具足が撃ち負けるはずがない。彼らが一領具足を完全に上回っているといえるのは、生まれてから鍛えこんできた武芸による白兵戦技ぐらいであろうから……。


「大筒を撃たせろ。それと、大砲も。合図は無い。各個に撃てばいい」


 元親の命令によって、まばらに砲撃が始まった。すると、向こうからもすぐに撃ち返してきた。こうして、序盤の定石となりつつある砲戦が始まった。


 盛土は、よく大筒の砲弾に耐えた。敵の竹束もそれ用に改良を施しているのか、大筒に耐えている。しかし、大砲の威力には無力なようで、直撃する度、竹と持ち手が散乱した。


 吉継はそれを予期していたのか、予備の竹束を即座に前線に投入し、徹底的に七手組を保護し続けている。


「射撃戦を仕掛けるつもりか……」


 それならば、大砲の支援もある分、こちらが勝つ。大黒丸二号から比較的軽量な砲を降ろしており、現在、四門もあった。


 絶え間ない砲撃の中、吉継の軍勢は歩みを止めなかった。一発着弾するごとに着実に距離を詰めてきている。そして、躊躇なく火縄銃の射程距離にまで踏み込もうとしていた。


 竹束が射程内に達した瞬間、元親は射撃の号令をかけた。


「撃て!」


 元親がいる中央部分を起点にして、横並びになった火縄銃が順に火を噴いていく。その火点は谷の端まで途切れることはなく、正面から見ていた者は、炎の体をした二頭の龍が、体をくねらして横切ったように見えただろう。


 谷全体を薙ぎ払うような射撃。だが、敵の損害はあまりないようだった。大量の跳弾が地面に突き刺さり、もうもうと土埃を上げている。


 竹束のせいで効果が薄いのは承知のうえであった。相手に損害を与えるというよりも、牽制の意味合いの方が強い。もし、装填の隙を衝く突撃が来ても、柵がある。防ぐのは容易であった。


 敵軍は、一斉射を受けてから前進を止めた。盾の向こう側から七手組を繰り出して銃撃を行おうともしない。


「牽制が聞いたか……? それなら、あとは楽に終わる──」


 ──兜に何かが当たった。


 それは、兜に弾き返された後、地面に突き刺さった。


「まさか!?」


 咄嗟に頭上を見上げると、影が出来ていた。


 空を覆うそれは、雲ではなかった。むしろ真逆の存在だった。雲は柔らかく、丸く、空に浮かぶ。だがそれは、硬く、尖り、空から落ちてきている。


 矢。それも、七千本もの矢が、空から降り注いできたのだ。


 真横に飛ぶ弾雨と違い、上空から降り注ぐそれは、まさしく雨だった。重力の力のみで加速し、自分たちの落下地点に何があろうと気にしないのだから。兜どころか傘すら被っていない一領具足の体に、それらは良く突き刺さった。


 一領具足を保護するための塹壕も、上から来る矢には無力であった。それどころか、一領具足を密集させてしまい、狙いを絞らせてしまっている。役立ったことといえば、中で折り重なった死体の処理が容易にすむことぐらいだろう。


 弓取りという言葉が戦上手を指すことから分かる通り、弓は武士の嗜みである。武家の出である七手組の者が扱えるのは当然であった。


 軽装の一領具足の短所。そして、七手組の出生。それら二つの要素を吉継は上手く利用したのだ。


 あっという間に第二射が来た。先程と違い、一領具足の傍らには、矢を防ぐ肉壁が転がっている。蓑のようにそれを背負い、身を守る者が多く、損害は第一射ほどではなかった。


 手をこまねいていては、被害が拡大する一方である。かといって、退却してしまえば七手組を含んだ倍の敵相手に野戦を挑むことになってしまう。


「まず全連隊を集結させて──」


 ──発作のようになっていた咳が、ここできた。今までにないほど激しく、満足に呼吸できない。酸欠のせいか、視界が明滅してきた。


 今倒れたら、全滅してしまう。


 そう思いつつも、咳が止まらず、命令が下せない。体をくの字に折って咳き込み続けるしかできなかった。


 やがて視界に、もやがかかり、端から暗くなっていった。それに伴い、意識も徐々に薄れていく。


 集結を意味する金管の演奏が、ものすごく遠く聞こえた。


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