【出会って】
五月の初頭。一万の一領具足が大坂近郊に上陸した。
それを迎え撃つは、西軍の総大将毛利輝元率いる留守の二万。
戦いは、一方的であった。一万が二万を圧倒している。
ただでさえ、一領具足と留守部隊で火力に決定的な差がある。その上、海上の大黒丸二号が援護砲撃を行っているともなれば、一万の差など無いに等しかった。
海上にも、戦場にも、濃霧のように煙硝が立ち込めている。これほどまでに連続した射撃ができるのは、元親が大坂からせしめた火薬や弾丸があればこそだった。西軍に宣戦布告するまでの間、何かと理由をつけては四国に送らせていたのだ。
それを今、返却している。
快勝は、時間の問題であった。指揮官にとって、至福、或いは安堵の時だろう。
だが、元親の表情からは、そのどちらも読み取れなかった。
「第十連隊を前進させろ」
元親の呟きの様な命令を、金管手はどうにか聞きとり、それを音に乗せた。第十連隊はそれを聞き、丘の裾野にある十字路目掛けて、駆けた。
今、何のために戦っているのか? そう問われれば、元親は答えに窮するだろう。絞り出してやっと、『惰性』と答えられるのかもしれない。
今まで、天下を取るために奔走してきた。準備をしてきた。犠牲を出してきた。
それに何より、状況が止まることを許さない。
対岸まで泳ぎ切ると激流に身を投じたのだが、泳ぎ切る体力がないと着水してから気づいた。そんな心境であった。
ただ、溺れないよう必死にもがいている。激しく流されながら、身を落ち着けられる場所を探している。だが、岩の一つ、枝の一本すら、見えない。
どうすればいいのか迷っていても、戦いは続いている。元親が思案している間にも、第十連隊は順調に歩を進め、十字路にあともう少しで到達というところまで来ていた。
しかし、突然、止まった。
「違う! 止まるな! そこじゃ、退路が断てないだろう!」
珍しく怒りに満ちた状態で、元親は金管手に言った。
「今すぐ、前進命令を吹け!」
滅多に見ない指揮官の様子に、金管手は驚きながらも言われた通りに命令を伝達した。二度、間違えつつも。
今日の会戦で初めて分かったが、一領具足が勝手に動くようになっている。
指定した位置から、少しとはいえ、移動する。時に、隊形が横向きの長方形から弓なりになったり、縦長になったりする。なんなら、隊員間の間隔がやけに広い。
連隊長の指示、というわけでもなさそうだった。どちらかと言えば、隊員個人個が好き放題動いているような。
元親からしてみれば、今まで自由に動かせていた手足が、痙攣したり、麻痺したり、自儘に動きだしたりしたようなものだ。
「盛親は何をやっていたんだ……!?」
今までの一領具足であれば、この様な未熟さは無かった。規律の維持は、何よりもまず徹底させるべきことだ。指南書作りや一領具足の訓練を一任したのはやはり、間違いだったのかもしれない。
金管手が繰り返す演奏も虚しく、第十連隊は前進しなかった。それどころか、突如反転して退き返してきた。
第十連隊が退路を断ち、大黒丸二号の射程内に敵軍を押し込み続け、砲撃によって殲滅する。その作戦が、これで不意になった。
元親は思わず、切断された左腕で鞍を叩いた。
「何をしている!? 勝手に停止したどころか、逃げ帰ってくるとは! これは明らかな──」
──所属不明の軍勢が、十字路に姿を現した。
大きく息を吐き、空気と怒気を吐き出した元親は、命令を伝えた。
「全軍、後退。戦線を一度、引き直す」
金管手は、今度は失敗することなく吹けた。
新手の軍勢は、規模の大きな一揆の様であった。野良着の農民が群れて戦っている。
侍どころか、足軽でさえ少数派に属している。全体的に装備は貧弱で、多くの者は具足を身に着けていない。そこだけ見れば一領具足と変わりはないが、得物が決定的に違った。彼らが手にしているのは、粗末な槍だった。それすらも用意できなかったのか竹槍の者も珍しくは無かった。
ただ、数が多い。二万程度が壊滅寸前の西軍に襲い掛かっているが、それでも、丘の向こう側から来る後続が後を絶たない。
「……一応、味方か?」
その問いの答えは、向こうからやってきた。侍の姿をして。
「こちら、お味方にござる! 土佐守にお目通り願いたい!」
その侍の旗指物は、黒田家の家紋である藤巴が描かれていた。
「倍の敵を相手に圧勝されるとは流石、噂に名高い一領具足! それに希代の名将の采配が加わり、天下無双ですな!」
調子良く、黒田官兵衛が言った。輿に乗って、馬上の元親と連れ添うように大坂へ向かっている。
この奇妙な道連れに、元親は戸惑いを隠せなかった。官兵衛が九州を掌握したのは知っていたが、まさかこうして、大坂城に向かうことになるとは……。
曖昧に返事をし、かすかな愛想笑いを続ける元親に対して、官兵衛は調子を落とさず話を続けた。
「捕らえた輝元殿の情報によれば、既に敵の本隊は関東を発っているようでして、その日から逆算して……、あと五日もすれば、大坂に来ることでしょう」
そこで一旦区切り、声の調子を落とし、表情を締めて言った。
「これからの話なのですが。我らの力があれば、如何に天下の名城と雖も、空の城を五日で落とすことは容易い。しかし、それでは、やりすぎているような気がしないでもありませぬ」
大坂城には豊臣家当主の秀頼がいる。もし、自分たちが大坂城を手中に収めてしまうと、家康に在らぬ疑念を抱かせる可能性がある。それを官兵衛は言っているのだろう。
「そこで、東海道から畿内に通ずる二つの道。これを拙者と元親殿で手分けして塞ぎ、内府の軍勢と挟み撃ちにして討つというのは?」
奇しくも、元親が描いていた戦略構想と同じであった。勿論、異存はない。
「それで、宜しいかと」
どちらがどちらの道を塞ぐかは、自然と決まった。何故なら、一人はそこでの戦いを経験しているからである。
素通りすることが決まった大坂城には、数に余裕のある官兵衛が抑えを置いた。
それから、山城国に差し掛かった辺りで、二軍はそれぞれの目的地へ向かった。
別れ際、官兵衛が思い出したように訪ねて来た。
「そうだ、元親殿。西と東、どちらの方がお好みか?」
元親は、首を傾げながら答えた。
「……西?」
「ほほう。元親殿は西の方がお好みか」
官兵衛は、一人満足して、自分の道を進みだした。人の頭の中を覗けない元親には、官兵衛の意図が分からなかった。
「道が塞がれたようだな」
「ああ。柘植と関ヶ原に敵がいる」
吉継と三成が語らっている場所は、尾張の清州城であった。月を分厚い雲に覆い隠され、燭台の仄かな輝きに頼るしかない暗夜であった。
「で、どちらを通る?」
三成が尋ねた。軍事に関しては、目の前の親友をあてにするのが最良であることを、彼は知っていた。清州城からなら、美濃の関ヶ原にも、伊賀の柘植にも、行ける。
吉継は間を開けず答えた。
「関ヶ原にしよう」
「土佐の親父殿──というより、一領具足がいるからか」
「そうだ。彼らと戦うために七手組を預かっているからな」
「勝てるか? いや、勝ってくれ。そうでなくては、骨を折った甲斐がない」
七手組の指揮権を吉継に与えるために、三成はかなりの運動をした。彼の働きがなければ、七手組は今頃大坂城で死蔵されていただろう。
「心配するな。自分の手足のように動かせる兵を率いて負けるなど、考えられん」
「向こうは一万に増えているらしいが、それでもか?」
「問題はない。秘策もあることだしな」
吉継は即答した。
「……そうか。ならば問題なのは、後ろから追いかけてきている奴らだな」
大坂への後退を開始してすぐ、東軍は追撃を始めてきた。まるで、あらかじめ決められていたかのような動きだ。
三成は言葉を続けた。
「前後を敵に挟まれている状態で戦うというのは、誰がどう見ても得策ではない。この清州城に兵を置いて足止めにするか?」
吉継からの反応は無かった。目をつむったまま、微動だにしない。
頭の中で、自分の組み立てた戦略が実現可能か計算しているのだろう。三成はそう見当をつけ、邪魔をせぬよう静かに暇を弄んだ。
長らく待ち続け、ふと燭台に目をやると、新品であった蝋燭がほぼ溶けかけている。
人呼んで新しいのに交換させても良いが、それだと吉継の思考を乱してしまう。自分で換えてしまおうと静かに立ち上がり、ふすまに手をかけた瞬間、吉継が口を開いた。
「……これは戦略というより政略の類なのだが」
そう前置きして、重々しく続けた。
「ここから大坂まで、軍を二手に分けよう。関ヶ原には、俺とお前、それと、真に豊臣に忠誠を誓う者たち。合わせて三万弱ぐらいはあるだろう。残りには、柘植の方に行ってもらう」
吉継が政略の類といっていた訳が、三成にも分かった。席に戻り、それを口に出す。
「外様の者たちを囮にするのだな?」
「そうだ」
せっかく敵を殲滅できる好機ならば、より多数の方を狙いたがるものだ。勿論、少数の方にも兵を差し向けるであろうが、その戦力はかなり少なくなるだろう。
「このままこの戦いに勝利したところで、恩賞による加増によって、第二第三の家康が出て来る可能性が高い。それならば、いっそ、悪い芽を敵に摘み取らせてしまえ。そう、言うのだな?」
さっきと同じ返事が返ってきた。
「柘植に行った彼らがことごとく倒されても、我らが最終的に勝つというのか?」
「勝てる。七手組の力と、お前の頭脳があれば」
吉継の白濁した眼に、蝋燭の炎の色が染みついている。
「紀之介、お前が勝てるというのなら、信じる。勝った後は、二人で豊臣の世をより良いものにしよう」
ボトリ。と何かが吉継から落ちた。燭台の丁度影の辺りに落ちており、見えづらい。
吉継が落ちた物を拾い上げた。灯りに照らされ、三成にもそれが良く見えるようになった。
落ちたのは右耳であった。腐り落ちたのだろう、切断面がぐずぐずになっている。
「……いや、戦の後のことは全て任せた。俺には後が無いようなのでな……」
「紀之介……」
涙を流すことのできる者は泣き、それすらできない者は瞼を閉じ続けた。
それは、蝋燭が完全に溶け、完全な暗闇になっても続いた。
病に蝕まれた両雄が関ヶ原で相まみえたのは、それから二日後のことだった。




