【聞いてみて】
「本州に、もう兵を送られると?」
「そう。関東にいる水軍の規模じゃ、四国に上陸するのは不可能。それに、もたもたすると守りを固められてしまう、二点の理由から、動く」
浦戸湾湾口に築かれた浦戸城。そこで、元親と親直が今後の方針を協議していた。城の窓から浦戸湾の方を見下ろせば、初陣を終えた大黒丸二号や他の長曾我部水軍の船が停泊しているのが見える。
「時期尚早な気がするのですが……。九州の黒田の動向も、不穏でございますし……」
そういって親直は渋ったが、元親は推した。
「東軍に付くことを明確にした味方の動向を、考慮する必要はない。それより、一領具足の方は動かせそう?」
「白地から来た報告によりますと、新しく加入した者たちでも、最低限の動きができるようになっているみたいです。ただ、盛親様が言うには『あと半年あれば満足する出来になる』と」
「半年ぃ!?」
驚いた拍子に咳が出た。軽い、コンコンとする程度のものだ。船上であったような激しい咳は、あれ以来ない。咄嗟に着いた嘘のつもりだったが、本当に煙硝が気管に入ってむせただけなのかもしれない。
心配そうな親直に対して話を続ける。
「……とにかく、兵を招集してくれ。最低限の動きができるならそれでいい。指揮に従ってくれるだけで充分だ。今までずっと、そうだったんだから」
「戦に向かうにしても、養生なさってからの方が宜しいのではないのでしょうか?」
「いや、大丈夫。軽い咳が出るだけだから」
一領具足の動員の決定がなされて間もなく、浦戸城からいくつもの早馬が飛び出した。彼らは地域ごとの一領具足の集結地や集結時期、武器弾薬などの輸送手順、等々を細かく記した書状を携えている。それは、元親が事前に考え、整備した動員計画を元にして書かれたものだった。
「早くて二週間後には、大坂に上陸できてるだろう」
車どころか蒸気機関車すらないこの時代では異例の早さだろうが、それでも、今の元親にとってはむず痒く感じられた。
その他の雑多な指示を親直に与えた後、元親は浦戸城を出た。旧友にこれから会いに行くのだ。
岬の先端にある山の上に築かれた浦戸城を降りると、建材の香りが漂ってきそうなほど真新しい城下町が広がっている。
豊臣政権に属して以降、海を渡ることが多くなったため、内陸の岡豊が不便になり、浦戸に引っ越した。その際、町も移し、それから十年。浦戸城下は、遠くの長浜まで家が立ち並ぶ程に発展している。
そんな急速に発展した町の外れに、旧友は住んでいた。
「今日もやってるな……」
銃声の音がひっきりなしに聞こえてくる。歩みを進めると、それがどんどんと大きくなっていった。銃声の発生源が、元親の目的地だった。
門前に立ち、声をかけたのだが、銃声が鳴り響く中で聞こえるわけも無かった。もっと声を張るとまた咳が出そうなため、やむなく開けっ放しにされていた門をくぐった。
庭は弓場のように細長い形をしている。両端には、こんもりと土盛りがされており、その手前には、人間大の藁人形が幾つか設置されていた。庭の中心、つまり、門をくぐって目の前のところには、それらの藁人形を狙う射手が人形と同じ数だけいた。
元親が中に入ると、射手の一人がすぐに気づいた。
「も、元親様!?」
鉄砲の撃ち方を習いに来ているということは、一領具足なのだろう。他の者もすぐに元親の存在に気づき、誰が指示したでもなく捧げ銃の姿勢を取った。
銃声が止み、静かになった。すると屋敷の中から女が出てきた。
「おう、おう、おう、おう。誰が、『撃ち方止め』なんて言うたんやー? ──って旦那!?」
十数年ぶりの対面に、蛍は目を大きくしていた。
「久しぶりだね、蛍」
縁が切れていたわけではないが、こうして直に話すのは九州に渡った時以来である。
「ほんまになあ。にしても、かなり老けたなあ。顔色もだいぶと悪いし」
「そっちはあまり変わってないね」
三児の母という割には、若さは保たれていた。町娘から、近所の女将さんという感じになっている。目元に小じわができているが、それに触れるのはよくないことだろう。
「まあ、なあ。そんな当たり前のことより」
元親の顔を見上げていた蛍の目線が、左腕に向けられた。
「ほんまに無くなっとるやん、左腕! 痛かったやろ……?」
そう言って、痛みを想像してしまったのか、自分の左腕をさすり始めた。
「結構ね。まあでも、傷が膿んだりして無いだけありがたいよ」
「今に障りがないなら、そりゃあ何よりやな。そういや、熊公は元気でやっとるか?」
『熊公』というのは、千熊丸が幼名であった盛親のことである。盛親は子供の頃、蛍に師事して鉄砲の撃ち方を学んでいた。
「元気でやってるよ。この前の戦いで、鉄砲を使って敵を討ち取ったとか言ってたし」
「熊公は筋が良かったからなあ。あの頃はうちと変わらんぐらいやったのに、今は熊みたいにごつうなって……。ああ、あかん! 久しぶりすぎて長話してまうわ。どうせ、世間話しに来たわけやないんやろ?」
蛍のペースに乗せられて本題を言い出すきっかけを失っていたが、やっとそれが来たようだった。
「近々、多分、一月もしないうちに戦いがある。また、力を貸してほしいんだ」
「銭は出るんか?」
「勿論」
「ほなええで。せやけど、戦場を走り回るようなのは堪忍な?」
「大丈夫。撃ってもらうのは一発だけだから」
蛍の顔つきが、近所の女将さんから雑賀の鉄砲撃ちになった。目が、少し大きくなっている。
「……あの時みたいに、やるんやな?」
「そう。……念のため聞くけど、腕の方は落ちてないよね?」
元親がそう言うや否や、蛍は一人から鉄砲をもぎ取ると、ほぼ真上に構え、撃った。
町はずれの静けさにしみ込むように銃声が響き、その残響が消えると同時に、上空から鴨が落ちてきた。越冬を終えて次の地へ旅立とうとしていたのだろう。
「お見事」
鉄砲を返しながら、蛍は言った。
「にしても随分と急やな。……もしかして、生い先短いから急いどるんやないやろうな?」
明るい調子で言われ、元親は笑った。体調は決していいとは言えないが、今日明日死ぬほど深刻なものではない。と自分では思っている。というより、そう思いたい。
「それもあるね。けど、どちらかといえば、時機を逃したくないだけだよ」
関東から帰還した西軍本隊に、大坂周辺に防衛線を築かれてしまえば、上陸する時に被害が大きくなる。替えの効きづらい一領具足であるから、大切にしたいだけであった。
用件を済ませて立ち去ろうとする元親に、蛍は声をかけた。
「旦那、これ土産にどうや?」
『これ』とは、先程蛍が撃ち落とした鴨のことであった。
「気持ちだけ貰っておくよ。これから岡豊に行くから」
「奥さんの墓参りとかか?」
「……まあ、そんな感じ」
蛍らの見送りを受けながら、元親は馬を駆けさせた。片腕での馬の操作も慣れたものである。
岡豊には、夕方に着いた。
真っ先に菩提寺に向かい、そこにある、ののや親和、信親の墓に参った。
「またしばらく、来られなくなるだろうからね」
夕日に染められた物言わぬ墓石に話しかけ、手を合わせる。そうすれば、彼らが死後の世界で安らかに過ごせると信じているわけではない。自分が現世に未練を残さないために来たのだ。
これからの戦いは、一つでも負ければ全てが終わる。そういう戦いであった。破れた裏切り者が許されるわけがない。それは、重臣もろとも斬首された小早川秀秋を見ればわかる。
「それじゃあ、また」
次にここに来るとしたら、天下人になってからだろう。もし、それ以外で四国に帰ったとすれば、その時点で天下人への道は閉ざされたとみて間違いない。
墓参りを終えた元親は、土佐神社へと向かった。無論、葛に会いに行くためだ。
顔を見せろと言われてから一度も見せに行っていないから。というわけではなかった。
土佐神社に着いた。夕日が山に半分隠れ、薄暗い。
薄暗い中、足元に気をつけながら森の様な境内を進む。すると、大きな岩が見えてきた。
葛はやはり、そこに腰掛けていた。色彩を失いつつある薄暗い森の中で、赤い着物がよく目立つ。
「……来たか」
何故か浮かない様子だった。血が染みついた扇子を弄んでいる。
「まあ、一度くらい会いに来ようと思ってね。どう? 修繕してほしいところとかない?」
思ってもみなかった葛の態度に、少しよそよそしくなってしまう。
「……回りくどいことをするな」
視線は扇子に向けられたままである。
「……そうだね」
森がざわめき始めた。それに、元親の心も同調し始める。
「教えて欲しい」
「言え」
「……自分がいつ死ぬのか、教えて欲しい」
僅かに、葛の目が元親に向けられた。薄暗い中でも仄明るい輝きを放っている。
聞かなかった方がいいのではないか? そんな思いが一瞬よぎる。だが、聞かなかったとしてもそれで結果が変わるわけでもない。
答えはすぐに返ってこなかった。問いの答えを知る者は、パチリ、パチリ、と両手で丁寧に扇子を開いていくだけであった。
三分の一程開かれた時、口が動いた。
「昔、信親が腹の中におる時、あやつの運命を教えたことがあったな?」
元親は返事をしなかった。葛がそれを求めているわけではないと思ったから。
その通りだったようで、葛は話を続けた。
「正直に申せば、ほんの戯れのつもりであった。産まれて来る子供の死期を教えられた時、親はどのような反応をするのか気になってな」
そうしてきた葛に対して抱いた怒りが、実力行使に踏み切らせた要因の一部であったことを、元親は覚えていた。それから、彼女との関係性は始まったといってもいい。
「あの頃は、人の命なぞ、獣や虫と同じ物じゃと思っておった。皆、結局死んでいくからな。じゃが、お主や信親と関わるようになって、それが変わった」
いつの間にか、葛の手が止まっていた。完全に開かれた扇子には、逆さまになった蜻蛉がいる。
「京でお主の顔を見た時、まだ死なぬと分かり、嬉しく思った。信親が九州で死んだ時、──悲しく思った……!」
葛は顔を僅かに伏せ、扇子で顔を隠した。
「……良うない。実に、良うない」
葛は震える声でそう言いながら、岩から降り、その場をあとにしようとした。扇子で覆われ、その顔は見えない。
「待ってくれ!」
元親は目の前を通り過ぎようとする小さな肩を右手で掴み、引き留めた。
「知ると辛いぞ。お主が辛そうにすれば、儂まで辛くなる……」
葛は振り向かずに言った。声はまだ震えている。
「……頼む。どうしても、何があっても、知りたいんだ……!」
五年、いや、せめて、三年。最悪、二年であっても、一領具足と大黒丸二号の力があれば天下を取るのも不可能ではない。その場合は、盛親にだいぶ負担をかけることになるだろうが……。
いつ死ぬか、それによって戦略が大きく変わってくる。だからこそ、無理を押して知りたいのだ。
「どうしても、か……」
元親の熱意が通じたのか、葛が振り返った。顔は扇子で覆われている。だが、中骨の隙間から、両頬を通る二筋の煌めきと、強張った赤い唇が見えた。
赤い唇が、四度、動いた。
「半年」




