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蝙蝠亡き島に飛ばされて  作者: 昼ヶS
【飛び上がって】

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【海上にて】(後編)

 大坂湾。淡路島と本州に囲われた内海である。


 内海であるため、淡路島の北端に接する明石海峡と、淡路島の東端に接する紀淡海峡。この二つの狭い海峡を通ることでしか海流は流れ込めず、出ることもできない。それは、海中を泳ぐ生き物も、海上を往く乗り物も、同じであった。


 当然、船である大黒丸二号もその例に漏れず、潮流にその身を委ねて、紀淡海峡を通過した。


 朝日に照らされ、世間にその姿を見せつける大黒丸二号。それとすれ違った漁師は皆、首をひねった。

船体は、素材の味をそのまま活かした色。外国船に必ずといっていいほどあった複雑で派手な装飾の類は、一切ない。風をはらんだ帆は家を包み込めそうなほど大きいが、継ぎ接ぎの跡が目立つ。


「どこぞで嵐に遭ったにしては、綺麗じゃし、造りたてにしては、見ずぼらしいのお」


 土佐の乏しい財力で建造を可能にするために腐心した結果、この様な形になったのだが、部外者の漁師たちがそれを知る筈も無かった。彼らに内部を見通せる力があれば、また変わった感想が産まれたかもしれないが……。


「ほんまになあ。あの帆なんか見てみい。俺が着とる着物とそっくりや」


「まあでも、三本もある帆柱は立派やなあ。櫓みたいや」


 唯一お褒めに預かった帆柱の先端では、長曾我部の旗がはためいている。その少し下に、見張り台があり、そこにいた見張りが大きな声を上げた。


「敵船確認! 小、二百! 中、六十! 大、一!」


 船内に張り巡らされていた見えない糸が、ピンと張りつめた。


 後甲板にいる元親が、手をかざして堺の方向を見ると、水平線上にいくつかの黒い点が見えた。その黒点は、時間が経つごとに数と大きさを増していった。


 敵は毛利水軍を中核とする大艦隊である。おそらく、関東攻めに向かった船を除いた全てが集まっているだろう。それだけ、大坂湾、引いては瀬戸内海の制海権は重要であった。逆に言えば、それを抑えることで西軍は致命的な打撃を受ける。


 二百倍以上の数を相手に、元親はひるむことは無かった。いや、元親からしてみれば、数はこちらの方が上であった。


 元親は振り返って言った。


「海の事は門外漢だから任せるよ」


 池頼和が、静かに頷いて応えた。この季節特有の強い南風によって、色黒の額の上にある白い頭髪が揺れている。


 特徴であった大きな声は、加齢と喉の酷使によって出なくなっている。そのため、返事は頷くだけだった。ついでに言えば、水軍の棟梁の座は息子に譲り、今は大黒丸二号の船長に収まっている。


 託された頼和は、早速命令を下した。右手の親指を下に突き出し、何度か上下させたのである。

 それを見て、そばで控えていた副船長が、頼和の代わりに声を張り上げる。


「錨降ろせ!」


 輪唱のように繰り返される復唱が、後甲板にまで聞こえて来た。鎖の音と海中に大きなものが投げ込まれる音も。


 続いて、頼和は両手を使って糸を巻き取るような動作をした。


「帆を上げろ!」


 演習を何度も繰り返してきた水夫たちが、あっという間に帆を折りたたんだ。


 こうして、潮と風の力によって力強く進んでいた大黒丸二号は、その場で立ち往生することになった。といっても、完全に静止した状態ではなく、潮流に押され、錨を支点に向きを変えていっている。


 最終的に、船首は遠くの淡路を、船尾はすぐ近くの紀伊を向くようになった。堺から向かってくる敵の船団に対して右舷を向け、そっぽを向いたような状態である。先程すれ違った漁師などからしてみれば、逃げるために敵前回頭しているように見えただろう。だが、元親からしてみれば、正面に敵を見据えた形になったと言えた。


 二時間もそこで待てば、敵船団がはっきりとした形で見えるようになった。


 どの船も大きさに違いはあれど、百足の足のような櫂で漕ぎ、帆柱の数が一本というのに変わりはない。


 それらが、小型肉食獣の群れのように、海上にポツンと浮かんだ獲物に群がってきている。獲物の方は、鈍重な大型草食動物のように、無防備に脇腹を晒したままだった。


 肉食獣たちは、牙が届く間合いに近づいてくると、一斉にそれを用意し始めた。肉食獣の牙は、遠くまで届き、木壁に食い込む。それが二百頭分ともなると、いかに巨大な図体をしていようと、あっという間に木っ端微塵になるのは間違いない。


 戦力差がありすぎる。もはやこれは対等な戦いではなく、一方的な狩りだ。


 双方が、そう思っていた。

「放て」


 元親の呟きと、火薬の爆裂音が重なった。


 数秒の猶予の後、惨劇が起きた。


 轟音と共にはじけ飛んだ木片が、小さな矢と化して人を襲った。高速で飛翔する木片は、指を切断し、胴や手足に容易く食い込む。小指の爪よりも小さな木片でも、目に当たれば瞼ごと視力を奪う。


 無数に飛び交うそれらに運良く当たらなかったとしても、幸運だとは言い切れなかった。何故なら、春の冷たい海へ飛び込み、溺死の運命から逃げのびなければならないからだ。船底に穴が空いた、或いは、船体が真っ二つにへし折れて轟沈していく船から離れなければ、海中に引きずりこまれる。


 何が起きたのか。それは被害者たちよりも、後方にいる味方の方が良く分かっていた。さらに言えば、加害者たちの方がもっとよくわかっていた。


 西軍が攻撃に使用しようとしていた大筒。それよりも遥かに長大な射程を持ち、木壁を穿つ大砲が、敵船団に向けて咆えたのだ。その数、二十一門。同数の大砲が左舷にもある。


 合わせて四十二門。それも、地上では運用しきれないほどの大きさの物が積載されていた。


 一斉射の後、砲撃は順次行われた。船体に一発でも当たれば轟沈させられる砲弾が次々敵先団を襲い、不運な船から順に海の底へと沈んでいく。漁礁と餌が大量に用意されたこの海域は、来年以降の豊漁が約束されることだろう。


 一方的な状況であったが、西軍はそれでも引き返そうとしなかった。数百倍の戦力で逃げ帰るわけにはいかないという意地のためではなく、多大な犠牲を払いつつ作り上げた包囲の態勢が、完成しかけているからだった。


 大黒丸二号は、紀淡海峡の入り口付近で、船尾をすぐ東南にある紀伊に向けて停泊している。


 その北の方を、数十隻の船団が網を張るように展開していた。狙っていたのか、潮の流れが北から南へと変化しつつあった。こうなると、潮の流れの分、北側にいる船の方が動きやすい。

展開を終えた敵の分団が、潮の流れに乗って迫ってくる。甲斐甲斐しく動く櫂はまるで、地を這う獣の足のようだ。


 大黒丸二号に船首の方を攻撃する手段は殆どなく、これを迎撃する手段はない。どれだけ高い火力を有していようと、白兵戦になれば数の多さがものをいう。鍵縄が届く距離まで近づければ、それで西軍の勝利は決まりであった。


 回頭して逃げるにも間に合わない状況であったが、想定していたのか頼和は落ち着いたまま右手の親指を上に突き出し、何度か上下させた。最初に下した命令の真逆の手ぶりである。


「錨上げろ!」


 鎖が巻き取られていく音と共に、次の指示が船上に響いた。


「帆を降ろせ!」


 三枚の帆が降ろされたと同時に、強い風が吹いた。この季節特有の春一番と呼ばれる強風である。それは、南から吹く。つまり、北向きの大黒丸二号を前方へと強く押し出したのだ。


 錨の束縛から解放され、自然の強力な後押しを受けた大黒丸二号は、力強く波を割り、北へと進んだ。潮の流れは逆流であるが、それでも三枚の帆で受けた風力の方が強く、海の上を猛進した。


 突如動き始めた大黒丸二号に対処しようとして、包囲網にかえって間隙が生じた。

頼和はその隙間に大きな船体をねじ込ませた。すると、両舷に敵船がいるようになった。


「放て!」


 副船長の号令に合わせて、四十二門全てが砲弾を叩きつけ、両側にいた二隻は、粉々に砕けた。


 包囲網を脱した大黒丸二号は、そのまま敵船団の北側に陣取り、砲撃態勢を取った。もし、敵が距離を詰めようとすれば、風に乗って北側に逃げるだけである。人力の櫂と一枚の帆では、三枚の巨大な帆を有する大黒丸二号に追いつけない。


 敵の数は多く、戦闘はまだまだ続く。だが、勝敗はもはや決していた。一方が一方に攻撃し続けるだけなのだから。


 砲声を聞きながら、元親は船縁にもたれかかった。勝ちを確信して気が緩んだせいか、体が重く感じられる。熱っぽいのは戦いの高揚感のせいだけではないのかもしれない。


 視線は遠くを見ていた。砲弾が向かう先よりも。赤く染まりつつある夕日よりも。


「……この戦いが終わったら、紀伊水道を封鎖。その後に、一領具足を大坂に上陸させて留守部隊を撃破。そしたら、関東から引き返してくる敵を迎え撃って、その後家康を……」


 元親はハッとして辺りを見回した。上の空とはいえ、人に聞かれてはまずいことを口にしてしまっている。


 幸い、近くに人はいなかった。それならば、砲声と潮風が呟きを掻き消してくれるため、問題はない。


 元親は頭の中で思考を続けた。


 西軍を撃破し、家康を殺して東軍も分断させる。そうすれば、時代は再び戦国時代に逆戻りし、自分が天下人となる可能性も充分あるだろう。


 天下人になる。それが、今の、いや、長曾我部元親として生きることを決めた以来の望みだった。自分のために働いてくれた者たちへの恩返し。英雄になりたいという幼き日の思い。この二つを叶えるには、それしかなかった。


 ──咳が出た。長く、喉が破れそうなほど激しい。


 視線を感じ、目を向けると頼和が心配そうに見ている。


 元親は咳き込みながらも笑顔を作り、言った。


「煙硝でむせただけだよ。心配ない」


 咳が治まった後、口元を抑えた手のひらを何となく見ると、赤色が付いていた。夕日で染められたにしては、かなり色濃い。


 元親はそれを袴で拭い、見なかったことにした。


 気付けば、砲声が止んでいた。戦闘が終わったようだ。


 戦いの痕跡も、死者たちの恨みも、大半が海の底へ沈んでいる。勝者のみが、海上にいた。


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