【海上にて】(前編)
一五九六年。夏。土佐に一隻の船が漂着した。
大きな船であった。長曾我部家が所有する最大の船、大黒丸よりも二回り大きい。
それでいて、美しかった。縦にも横にも大きいずんぐりとした大黒丸と比べて、海を進むのに最適化された船体は、長く細い流線型で、見る者に機能美を思わせる。嵐によって汚された状態でも、それは変わらなかった。
その船は、海の向こうの、そのまた向こうからやってきた。名は、『サン・フェリペ』という。
サン・フェリペ号漂着を知り、当時土佐にいた元親は、船員の保護と積み荷の回収を行うとともに、直ちに大坂へ通報した。その通報を受けて、長盛は土佐に派遣され、事情を直に把握した後、積み荷を百隻の和船に積んで、大坂に持ち帰った。その後、応急処置を終えた空荷のサン・フェリペ号と船員は、マニラまで帰った。
世間では、右のような顛末が伝えられている。しかし実際には、当人同士でしか知りえない裏の話があった。
発端は、発覚であった。元親が、『修理のため』と称して船大工を出入りさせ、サン・フェリペ号の設計の解析を試みているのを、長盛が発見したのである。
当然、長盛はそれを咎めた。
「勝手なことをされては困りますぞ、土佐侍従守殿。人によっては、反逆行為と捉えかねられませぬ」
しかし、元親の方が上手であった。
「反逆行為だなんて、人聞きの悪い。これは、太閤殿下への忠義以外の何物でもないというのに」
「秘密裏に洋船の構造を知ることが……?」
「そうです。近々、また朝鮮に攻め入るという噂を聞きました。彼の地は海の向こう。当然、強力な船が必要になるでしょう」
「確かに。来たるべき主命に備えて武備を万全にするというのは、忠義といえなくもありませぬ。ですが、一大名が持つには過ぎたる物の様な気が……」
元親は、長盛の不安を吹き飛ばすように大袈裟に笑った。
「あっはっはっ。長盛殿の申されることも、もっとも。ですが、心配召されるな。作るのはこの元親ではありますが、乗船されるのは太閤殿下なのですから」
「……というと、あれを御座船として殿下に差し上げると?」
「流石、聡明として名高い長盛殿。話が早い」
長盛は安心しきった顔で言った。
「それはそれは、お疑いして申し訳ありません。土佐侍従守殿の忠義、しかと殿下にお伝えします」
一礼して、辞そうとすると、伸びてきた手に肩を掴まれた。
「すぐにお伝えするのも、確かにいいことでしょう。ですが、贈り物というのは、作り始めたと聞かされるよりも、完成した物を突然渡される方が嬉しいものです。どうです? 完成するまでご内密にしていただけませぬか?」
「それは確かにそうですが……」
長盛の袖が重くなった。
「……確かに、土佐侍従守殿の言われることにも一理ある。この事は、二人の秘密にすることにしましょう。……ところで、殿下に贈られる際に、拙者の名前も添えてもらうことって……」
「ええ、当然、長盛殿の名も、協力者として太閤殿下に伝えさせてもらいます」
長盛にとって、この元親の返答が一番の決め手となった。
結局、船が完成する前に秀吉が亡くなったため、この話はなかったことになった。
だが、造船計画そのものは無かったことにはならず、土佐の豊富な森林資源を大量に消費して船は完成した。
『大黒丸二号』と名付けられたその船は、土佐の片隅にある小さな漁村に身を潜め、自分の出番が来るのを密かに待ち続けていた。
そして一六〇一年の春になり、遂に、彼女はその姿を現した。
場所は大坂湾海上。天候は、快晴。他に僚船のいない独壇場である。艤装をめかし込んだ彼女を披露するに、これ以上ない好条件だった。




