【寝返って】
日本を二分する大乱。それに、日本国の一部である四国も、当然ながら巻き込まれている。
その勢力図は、土佐・阿南の長曾我部領を除けば、東軍色に塗りつぶされていた。
土佐に戻った元親は、まず、四国の勢力図を、西軍一色に塗り替えるところから始めた。これは、大坂で認可を受けた行動でもあった。
土佐の軍勢が、四国山地を越えて阿波・讃岐・伊予に押し入る様はまさしく、十五年前に潰えた夢の再来であった。他国の者にとっては悪夢の再来であったが……。
「降伏は必ず受け入れる。大名一族は丁重に扱い、大坂に送る。領民には絶対に乱暴しない」
空き家同然の城で悲観に暮れていた者たちの多くは、この条件に飛びついた。
飛びつくほど軽忽でない者も、
「今大人しく降れば、減封で許される」
という譲歩に、妥協の姿勢を示した。
それでも、頑なに抵抗の意思を示す者もいたが、それらには一つの例外もなく、六千の銃口が向けられた。
こうして元親は、四国全土を完全に掌握した。これで、両腕があった頃に十年の歳月をかけても成し遂げることができなかった偉業を、片腕になってから一月も経たずに成し遂げたことになる。
四国の覇者になった元親は、その居所を白地に移した。
四国征伐の時に、策源地となっていた場所である。ここ以上に、四国全土への往来が便利な土地は、無い。
「次の行動だけど──」
白地城は廃城になっているため、評定は、元親の仮住まいとなっている現地の寺で行われた。こぢんまりとした寺であったが、評定の参加者が家康との密約を知っている三人しかいないため、何の問題も無かった。
「──募兵をする。それも、大々的に。四国全土から兵を募ろう。数は四千。予備の火縄銃がそれぐらいある筈だ。これで、従来の一領具足と合わせて一万になる」
元親の話し方に、親直と盛親は違和感を覚えた。だが、その違和感は、原因が分からないほど軽いものだったため、究明することはできなかった。
元親は話を続けた。
「それで、問題なんだけど、一度に四千を訓練するとなると、従来の方法は使えない。何かいい方法は無いかい?」
従来の方法とは、志願者を岡豊に集め、訓練を行い、練度が一定の水準に達せば、一領具足の仲間入りとなるというものであった。
今までは、多くても百数十人程度しか集まらなかったため、これで良かった。だが、四千人を一か所に集めて訓練をするとなると、かかる手間も金も段違いに増える。
この問題に、盛親が手を挙げた。
「はいっ! あります!」
「どんなのだい?」
一つ大きな咳払いをして、盛親は話し始めた。
「かつて一領具足であった者は、四国中にいます。一村に──いえ、一郡に一つ、訓練所を設け、その者たちに、訓練を行わせればよろしいかと」
「……悪くはないけど、そんなに細分化してしまうと、訓練所ごとの指導内容に大きな違いができてしまわないかい?」
例え同じことを教えるにしても、指導者ごとの考え方や教え方の違いで、指導内容が大きく変わることがある。元親はそれをなるべく無くすために、今までの訓練は可能な限り自分の手で行ってきたのだ。
しかし、その問題についても、盛親は解答を用意していた。
「確かにできてしまうでしょう。ですが、指導の手順が明記された指南書が、各訓練所に配布されていれば、その差異も限りなく小さくなることでしょう」
元親は露骨に顔をしかめた。今まで、自分一人が指導者だったため、指南書の様な物は作っていない。四国の統治や行政改革を行うだけでも忙殺されそうなのに、これからそれを一から作るというのは、何とも面倒だった。
けれども、続く盛親の言葉に救われた。
「もしよかったら、私にその指南書を作らせてください」
「……任せよう」
「それと、訓練所の開設と運用も、私にお任せください」
なぜ盛親がここまで積極的なのか元親には分からない。だが、最低限の仕事をこなすだけだった息子が、ここまでやる気を出しているのを邪魔する理由は無かった。何より、元親自身も助かる。いいことずくめであった。
「分かった。一任しよう。予算の範囲内で好きにするように。次だけど──」
──咳が出た。それもかなり激しく、回数の多いものだ。
「火鉢の数を増やしましょうか? それか、お休みになられた方が……」
親直が深刻そうに言った。
喉に絡んだ痰を切って、元親は答えた。
「いや、いい。それより、話を続けよう」
やることは山積みされている。まだ、一つ問題を片付けただけに過ぎないのだ。咳が出たぐらいで休むわけにはいかなかった。
一つ、また一つと、できることからやっていくと、あっという間に日が暮れ、月が代わり、年が明けて春が来た。
東海道を攻め上る西軍の前線も、桜前線と共に関東へ到達するかという時分。大坂から指令が来た。
「『海路より、関東を攻撃するように』か……」
増田長盛が『御船』の存在を暴露したか、してないまでも匂わせるようなことをしたのだろう。『膠着しがちな陸ではなく、開かれている海に目を向けるべきだろう。四国で暇をしている長曾我部には海神がついておる。彼にやらせてみてはどうか?』軍議でそう得意げに言ったのが、目に浮かぶ。文を持って来たのが、長盛の家臣であるため、案外、この想像も的を射ているのかもしれない。
盛親が言うには、一領具足の訓練はまだ完了していない。しかし、東軍が夏まで保つかというと、怪しい。幸い、水軍の方は万全である。
少し早いが、水軍だけでも動かすか。
そう結論付けた元親は、返書をしたため、長盛の家臣に渡した。
その返書が長盛の手元にきたのは、四日後のことであった。
「遅い! もっと早く帰ってこい!」
「風の具合が良くなかったもので……」
「つべこべ言うな! それで、土佐侍従守はなんて言っておった?」
「それが……、『この文に全て書いてあるから』と、口では何も……」
苛立った長盛は、ひったくるように返書を受け取ると、やけに厳重な包装を乱雑に破り、返書に目を通した。
それに書かれていたのは、西軍への宣戦布告だった。




