【帰島して】
昼下がり。戦火の残り火が燻る関ヶ原。
戦場に、硝煙と、血と、肉が焦げる臭いが充満している。鼻をつくような臭いであるが、嗅ぎ慣れた吉継にとって、どうということはない。
「坊主かどうかに関係なく、とにかく人手を集めよ。渋るようなら銭を出しても構わん。烏についばまれる前に死体の埋葬をさせよ」
「はっ」
死体の放置をすれば、そこから疫病が広がる恐れがある。戦場の掃除は、それを防ぐために必ず行わなければならない。
その他の細々とした指示を一通り下し終え、吉継は一息ついた。
丁度その時、嗅ぎ慣れた匂いが近づいてきた。馬と、それに酒の匂いもする。
「お前たち、悪いが二人きりにしてくれ」
供の者たちが輿を降ろし、去った。
大谷吉継と石田三成の二人が、関ヶ原に腰を降ろす。
三成が、独り言のように話しかけた。
「……勝ったな、紀乃介」
「……そうだな、佐吉」
幼名で呼び合い、勝利を再確認し合う。
「正直なところ、今でも信じられん」
「お前が言うのか、佐吉。……まあ、確かに、それぐらい難しい戦だったな。日和見も出たし、裏切り者も出た」
吉継の白く濁った目が松尾山に向いた。彼の瞳には映っていないが、山頂に、小早川の旗が立っている。
「佐吉、アレをどうする?」
三成は声色に怒気を含ませて言った。
「当然、潰す。残しておく価値も、義理も、利点もない」
三成の言葉に、吉継は頷いた。口にはしないが、取り立てて貰った大恩に報いようとしない者に、相応しい処遇だと思った。
続いて、吉継の目が東の方に向いた。そこには、南宮山がある。
「あちらの方はどうするつもりだ?」
三成は、今度は苦々しげに言った。
「……まあ、今はどうすることもできないだろう。日和見しようとしていたのは明らかだが、証拠がない。なにより、決着がついてから動き出したとはいえ、現在東軍の追撃を行っている味方を罰するのは、戦力的にも、士気の面からみても、よくない」
だが、いつか報いをくれてやる。そう付け加え、三成は瓢箪の蓋を開けた。
「焼酎か、珍しいな」
「ああ、土佐の親父殿から貰った」
「どうりで、香りに覚えがあるわけだ。……そういえば、怪我を負ったらしいな?」
焼酎を軽く煽ってから、三成は答えた。
「左腕に銃弾を受けたらしい。バッサリと切っていたぞ」
三成はそう言って、左腕の前腕の当たりを、右手の手刀で軽く数回叩いた。
「そのせいで、家康を逃がしてしまったと?」
「そう、言っていたな」
「ふむ……」
考え込み始めた吉継を横目に、三成はまた、焼酎を煽った。味はそこそこだが、勝利の高揚が美酒に変えてくれている。
「偽計だな」
思ってもみなかった親友の言葉に、三成は酒を吹いた。
「なっ、なぜそう言い切れる!?」
酒の香りだけで酔ったのではないかと三成は吉継の顔を覗き込んだが、頭巾から唯一剥き出した双眸は、鋭い光を放っていた。
「勘だ。だが、理由がないわけでもない」
長い付き合いだが、吉継の勘が外れたことは一度もない。三成は、可能な限り酔いを振り払ってから尋ねた。
「なんだそれは? もしや、裏切り者の匂いがしたと言うまいな?」
返ってきたのは、答えではなく質問だった。
「佐吉。お前、家康の首がもう目の前という時、腕が千切れたからといって退くか?」
「いや、意識があるなら自分が首だけになっても取りに行く。しかし、それは──」
「──『土佐守が、腑抜けなら話は変わってくる』。そう、言いたいのだろう?」
言おうとしたことを予見され、三成は頷くしかなかった。
「七手組が何故作られたのか、知らぬわけではあるまい」
七手組は、一組千人で七個組、合計七千の編成である。六個連隊で六千人の一領具足を意識した結果、この形になったのは、言うまでもない。勿論、明言はされていないが……。
「……殿下にそれだけ警戒されている男が、怪我をしただけで退くわけがないと?」
今度は吉継が頷いた。
「……どうする? 療養のために土佐に帰るといっておったが、引き留めるか?」
「ふむ……。まあ、大丈夫だろう。何をするのかは分からないが、四国に引き籠ってくれた方が対処しやすい。戦いの最中に裏切られるより、な……」
三成は、焼酎をグビリと飲んでから同意した。
「……確かにな。だが、九州も不穏になりつつある今、四国も危ういとなると、我らは前後を敵に挟まれることになるぞ?」
「その懸念は俺にもある。そこでだ、佐吉」
「なんだ?」
「七手組を、可能な限り俺に預けてくれ。九州の方は分からないが、四国の一領具足なら、それでどうにかなる」
「……分かった。善処しよう」
今日の勝利によって、三成の影響力は確実に増している。今回、一組しか連れて来られなかった七手組も、全てとはいかないまでも、その大部分を掌握できることだろう。
「それと」
「どうした? まだ、何かあるのか?」
「……いい加減、俺にもそれをよこせ」
吉継の言った『それ』とは、焼酎のことだった。
「構わんが、別にそこまでうまい酒でもないぞ」
余計なことを言いながら、三成が焼酎を渡す。
吉継は、それを窘めながら、受け取った。
「お前のそういうところが、敵を無駄に増やしていると何度も言っておるだろう……」
瓢箪に口をつけるため、吉継は頭巾をめくった。すると、下から素顔が出てきた。
鼻が腐り落ち、中央にぽっかりと二つ、大きな穴が空いていた。
大合戦から数日が経った。
勝敗は決したが、決着がついたわけではないため、その合戦の勝者にしろ、敗者にしろ、慌ただしく四方に兵を走らせているのに変わりはない。
そんな中、のんびりと帰り支度を済ませ、故郷に帰ろうとする者たちがいた。
「師匠―!」
堺の港に、子供の元気な声が響く。今まさに乗船しようとしていた盛親は、立ち止まり、振り返った。
盛親を呼んだのは、勉強を教えていた子供たちであった。
出港まで、僅かに時間がある。盛親は近くの者に言ってから、子供たちの下へと向かった。
「お前たち、見送りに来てくれたのか!?」
ワン。と返事が来た。子供たちに預けた犬までもが、見送りに来てくれていたのだ。
この時点でもう、盛親の胸は一杯になりかけていた。
子供たちの集団が自然と輪になり、その中心に盛親が入った。
「もう帰っちゃうのかよ! もっと色々教えてもらいたかったのに!」
「算術教えてくれてありがとうね!」
「すぐ帰ってきて、また読み書き教えてくれるんだろ!?」
取り縋り、見上げて来る子供たちを見て、盛親は自分の子供のころを思い出した。
あの頃は、長兄の信親が生きていた。
盛親は兄の中で一番信親が好きで、彼が戦に行くたびに、こうして取り縋って引き留めようとしていたものだった。
信親はとても優しかった。それだけでなく、幼い頃から色々な習い事をしているのもあって、何でも知っていた、何でも出来た。『どうして?』と聞くと、必ずといっていいほど答えが返ってきて、『どうやるの?』と聞くと、できるようになるまで手取り足取り教えてくれた。
盛親が密かに寺子屋のまねごとをやりたがるのは、教わることの楽しさと、教える者への憧れが、幼心に刻まれているからだった。
いつか、より多くの人間が、教え、教わることができるようにしたい。そんな大望を長年胸に秘めている。だが、土佐の経済力に余裕はなく、その機会はまだ訪れていなかった。
出港を告げる法螺貝が、港に響いた。もう、時間がない。
子供たちを掻き分け、船へと向かう。
口々に告げられる別れに、片手を上げて一括で返事し、乗船した。
甲板に、片腕になった父──元親がいた。
「随分、慕われているようだね」
「……さあ、何のことやら。それより、土佐に帰ってからどうされるのですか」
元親は笑みを浮かべて答えた。怪我のせいか顔色が悪い。
「とりあえず一旦、四国を預かる」
「はあ……」
盛親は元親の言葉の真意を測ることができず、気のない返事をすることしかできなかった。深く考えようとしても無駄だろう。何しろ、自分から腕を切るような人物なのであるから……。
そんなことより、どこかに自分の大望を叶えるきっかけがないか、探し続ける方がよっぽど有意義であった。
風の助けもあり、片翼の蝙蝠は、三日後に帰島することができた。




