【関ヶ原にて】(後編)
一領具足四千は、松尾山の主要登山口の前に半円状の重厚な銃陣を敷いた。そこで待ち受け、敵の大兵力が自由に展開する前に叩き潰す腹積もりである。
何個かの逸った武者の塊が、転がる岩のように躍り出てきたのを除けば、小早川の主力は、まだ、中腹をぞろぞろと降りてきていた。
この場合、相手の動き出しの早さが、こちらに幸いしたといえるだろう。もし秀秋が、何刻かのためらいをしていれば、正面に敵を抱えたまま背後の裏切り者に対処しなければならなかった。
松尾山と一領具足の間には、谷とも呼べそうな狭い平野がある。その両脇を固める斜面は急で、色づき始めた落葉広葉樹が林立していた。
二門の大砲が砲撃地点についた頃、小早川の先鋒が麓に姿を現した。紅葉や銀杏のように派手な戦装束を着た侍もいれば、幹の皮のように地味な色合いの足軽もいる。
彼らは斜面を下った勢いそのままに仕掛けるようなことはせず、堂々と構えた。こちらがしっかりとした陣形を組んでいるのを見て、迂闊な攻撃を控え、後続がそろうのを待っているのだろう。もしくは、別の登山口から迂回している部隊を待っているのかもしれない。どちらにせよ、君主がいかに愚劣であろうとも、その下にいるのは歴戦の古強者であることがうかがえた。
元親はそれを見て、砲撃を開始させた。この戦いの基本方針としては、相手に態勢を整えさせないことにある。何故なら、態勢を整えた一万五千が一斉に襲い掛かってくれば、如何に一領具足といえども支えきれないからだ。戦場に空間的余裕がないこの戦いでは、引き撃ちも大して出来ない。砲撃によって敵陣を混乱させる。もしくは、そうならなくとも、少しでも相手に損害を与えておくべきであった。
「放て!」
関ヶ原に響く銃声を、集約したものに匹敵する轟音が、立て続けに元親の体を叩いた。手で耳を塞いでいなければ、しばらく耳鳴りがしていたことだろう。
鉛の双生児は、低い放物線を描き、一度、地面を蹴って大きく飛び跳ねると、その先にいる大人たちに構うことなく無邪気に駆け抜け、長く、赤い平行線を地面に落書きした。
塗料の鉄の様な生臭さが、元親の鼻まで漂ってきた。三十人ぐらいが、一瞬にして肉塊になっただろう。だが、敵陣に動揺は見られない。
「……朝鮮帰りが多いようですね」
親直の見解に、元親は頷いた。
小早川家は、昨年、家康の口添えにより九州で大領を得た家である。身代が大きくなるに合わせて雇った者たちの中に、朝鮮で名を馳せた勇士が多くいたとしても不思議ではないだろう。
日本は火縄銃の普及・発展は目覚ましかったが、大砲の様な大口径の火器の普及はかなり限定されていた。しかし、大陸では逆に、大きな石弾を放つ射石砲が広く普及しており、その威力と怖さを多くの者が経験した。
経験したということは、慣れが生じるものである。死の恐怖を完全に拭い去ることはできないが、未知の兵器に対する恐怖は完全に無くなっていた。
こうなってくると、大砲の威力というものは物理的なものに限定される。二門では精々、数百人を殺傷できればいい方だろう。
大砲が二射目を放つ前に、敵からの反撃が来た。大筒による砲撃である。かつては長曾我部の専有物であった大筒も、十数年の時を経て全国に普及しきっていた。
その射程距離の関係上、敵の大筒の標的となったのは、大砲ではなく、より相手側に近い一領具足たちだった。三段に密集した彼らに対する砲撃は、残酷なまでに効果的で効率的だった。前列の者に当たれば、その時点で中列後列の人間の死まで確定する。前の僚友が砕け散る様を見ながら自分も同じ運命をたどっていくのだ。
生存本能を持ちうる動物であれば、誰もが逃げ出したくなる状況であるが、避けようとする者は誰一人としていなかった。命令無く勝手に動かないよう、徹底的に教え込んだ成果が表れていた。そう考えると、ある意味、一領具足の死因の第一は、元親だといえるかもしれない。
元親はすぐさま大筒での反撃を開始させた。奇しくも敵と同数の六門。それらが連続して火を噴き、味方の仇を次々と討った。
砲弾の応酬による人的損害は、小早川勢の方が大きかった。しかし、苦しい状況に立たされているのは元親たちの方であった。許容できる量の差がさらに大きいからである。元の数の差が四倍近くあるのに対して、斃れた者の数は二倍の差も無い。
これを受けて、元親は、勝敗の決まりきっている根競べを早々に切り上げた。
「全隊、百歩前進!」
元親の命令を受けて、半円の包囲網が空気の抜けていく風船のように窄まっていく。麓に降りた敵の数は、まだ五千程度しかいない。この状態で本格的な銃撃戦を行い、敵戦力を一挙に削り取り、そのまま瓦解させる。そういうつもりであった。
四千の筒先が、半円の内側に向けられた。内側の方も、弓や鉄砲を外側に向けて対抗しようとしている。
「斉射、三段! 撃て!」
四千粒の局所的な俄雨が降り注ぎ、薄く積もった枯葉の上に『紅葉』が折り重なった。数十発の弾雨を一身に浴びた『紅葉』も幾人かおり、それらは決まって、特徴的な五つの突起の何本かが欠けた。
流石の朝鮮の勇士も、これほどまでの火力を目の当たりにしたことはあっても、経験したことはなかった。火縄銃の致命的な弱点である装填時の隙を衝くこともせず、放心している。尤も、機敏に距離を詰めていたとしても、前列はすでに装填を完了しているのだが……。
前面に飛び道具を扱う兵士を押し出したせいで、小早川側に、次の斉射に対抗しうる手段はほぼ無い。さしたる抵抗もなく、一領具足たちは二回目の斉射を悠々と行った。
三回目を行おうとした時、異変が起こった。敵が、一領具足の最右翼を、さらに右側から圧迫し始めたのだ。
「一体、どこから!?」
他に登山道があるのは知っているが、ここまで早く到着するのはあり得ないはずである。
「獣道か何かを伝って降りてきたのでしょう」
何とも無しに親直は言うが、元親の見た限り、崖のような急斜面しか見えず、鎧を着たまま降りられるとはとても思えなかった。
「源平の頃にも、似たようなことはあったらしいので」
関ヶ原の戦いですら曖昧な元親が、この親直の言葉にピンとくることは無かった。
兎にも角にも、起きたことは起きたことである。逆包囲されるのは回避しなければならない。幸いにも、新手は三百人ほどの少数であり、対処は容易であった。
「第四連隊! ……っ」
何気なく下そうとした号令が、喉の奥でつかえた。何故なら、『第四連隊は、隊を半分に分けて一方は新手に対処し、もう一方はそのまま包囲を続行せよ』という複雑な命令を、設定していないことに気づいたのだ。かといって、四連隊をそのまま新手に向かわせれば、包囲陣に大きな穴が開くことになる。
そうこうしている間にも、新手は第四連隊の側面にまとわりつこうとしている。
各連隊に連隊長はいるが、彼らの役割は、金管の音色を聞き分け、連隊をその通りに動かすことを主としている。そのため、戦術指揮などは殆ど教えていない。命令を忠実に遂行することを期待するのはともかく、柔軟で最適な対応を期待するのは酷というものだろう。
「全隊、回れ右! 駆け足、進め!」
元親は数秒迷った挙句、撤退を指示した。逆包囲を避けるには、これしかなかった。
小早川の者たちも無能ではない。敵が背を向けたと見るや、勝機を感じ取り、それを追いかけてきた。
元親は馬上で後ろを振り返った。隘路から解放された小早川の軍勢が、数と勢いを増して関ヶ原に注ぎ込んできている。この奔流を正面から受け止めようとすれば、軽装の一領具足たちはたちまちに飲み込まれてしまうだろう。九州での敗戦が、自然と脳裏に浮かぶ。
「けど、やるしかないか……」
騎乗した者を除けば、追われる者は追う者よりも数段速い。だが、あちこちで死闘が繰り広げられている関ヶ原盆地に、逃げこめる空隙は僅かだ。いつまでも逃げ回るわけにはいかない。
「全隊、止まれ! 回れ右!」
さっきまで逃げていた一領具足が、足を止め、再び敵に向き直る。
その瞬間、銃声がした。
あちこちから聞こえる散発的なものではない。指揮官の意思の下に統制された綺麗な斉射である。
前を走っていた小早川兵が倒れ、後続がそれに躓く将棋倒しがあちこちで起こっていた。
「どこが撃った!?」
反射的に一領具足たちを見回すが、どの連隊も静止した状態である。
一瞬、盛親が助けにきたのかと思ったが、すぐにその考えを捨てた。盛親は関ヶ原の反対側にいる上、現在も戦闘中の筈だからだ。
では、誰が?
その疑問の答えは、二段目の斉射の時に分かった。
「『七手組』か……!?」
秀吉が遺した最精鋭部隊。その一部隊が、三段目を撃ち終え、霧と硝煙を突っ切って姿を現した。
浅葱色の小袖。動きを阻害しない伊賀袴。藍色の手甲脚絆。鎧兜の類は身につけておらず、全員が火縄銃を装備している。隊列は整列した横隊。数は、一千。一領具足と非常に似た編成の部隊であった。
それもその筈である。何故なら、七手組は、秀吉が一領具足を参考にして作り上げた部隊だからだ。
しかし、二点、明確に違う箇所があった。
一つは、槍。今まさに、手に携えて駆けている。銃は、負い紐によって背負われていた。
もう一つは、生まれ。殆どが農家の出で構成された一領具足に対して、七手組は武家の三男四男で構成されている。そのため、当然のことながら、白兵戦は一領具足よりもずっと得意である。
そんな彼らが、大きく縦に伸びた小早川勢の左側面に、雄たけびを上げながら切り込んでいく。直前に銃撃を受けて浮足立った者たちが、それを迎え撃てるはずがなかった。
鋭い穂先が、鎧の隙間に潜り込み、内部にある柔らかい肉体を貫く。しなる長い柄が、兜越しに頭を割る。首を切り取るような手間はかけず、兜首を狙うような私欲に奔らない。晴れた昼間の様な浅葱色の着物が、夕焼け色に染まっていく。
一匹の大きな獣に生えた千本の牙。七手組の戦いというのは、そのようなものであった。己が栄達の道を戦に求めてきた侍にしては、随分と無機質だった。
松尾山から下りて来た大蛇が、牙をつきたてられた痛みに体を悶えさせ、体を大きく『く』の字に曲げている。頭は、さっきまで追いかけていたすばしこい獲物か、噛みついてきた獣、どちらを狙うか迷い、今にも二又に分かれそうになっている。
「これが、吉継殿の言っていた、備えか……!」
この機を逃すわけにはいかなかった。
「第二・第三連隊、着剣!」
中央に近い二連隊が、脇差を抜いた。柄の極端に細い特殊な造りの物だ。そして次に、その細い柄を銃口に差し込み、鍔を銃口付近にある金具に固定させる。
簡易的だが、薙刀ができた。
追い続けることを選んだ者たちは既に、鉄砲の射程内に踏み込んできている。射撃だけで押しとどめられる勢いではない。
「第二・第三連隊、突撃!」
勇ましい金管の音色に突き動かされるように、両連隊は眼前の敵に飛び込んで行った。
長槍の穂先と脇差の切っ先が、一瞬交差してすれ違った。柄の長さの関係で、穂先に突き刺さった者の方が圧倒的に多かった。だが、両連隊とも、崩壊するほどの損害は受けず、踏みとどまれている。刀ではこうはいかなかっただろう。薙刀ほどの間合いがあるが故、受け止められる攻撃が増えたのだ。
敵の動きが止まった。
「第一・第四連隊、前へ!」
両翼に控えていた第一・第四連隊が、敵を受け止めた友軍を追い越し、受け止められた敵を両翼から包み込むように展開した。
「撃て!」
前方に敵、後方にも敵、左右からは痛烈な銃撃を浴びせられ、小早川の先頭集団は、かまどに投げ入れられた雪の結晶よりも早く溶け、消えた。
その間に七手組は、敵軍の腹を引き裂き、飛び出し、回れ右して銃撃、そしてまた浮足立った敵軍の腹に噛みついている。
小早川勢にとって、この一連の戦闘で斃れたのは戦力の三分の一も満たない。しかし、頭を潰され、腹を引き裂かれて命を保つことのできる生物はいないように、先頭集団を潰され、あとに続く中軍もズタズタにされてしまった軍勢が、軍勢としての機能を保てるはずがなかった。
さらに、一隊が、混乱極まる小早川軍に、寒風を巻き上げながら突っ込んだ。
大谷吉継の部隊が来たのだ。
「もう倒したのか……!?」
四倍近い相手を退けた上で尚、こちらに加勢する余力があることに元親は驚いた。
大谷吉継の加勢からほどなくして、小早川勢は関ヶ原から姿を消した。松尾山山頂に僅かな兵が残るのみである。稀代の裏切り者も、そこから自分の運命の推移を眺めていることだろう。
元親は、関ヶ原をざっと見渡した。戦場に立ち込めていた霧は、蒸発するか露になっており、視界の妨げになるものはない。
元親の狙い通り、関ヶ原の南半分が、がら空きとなっていた。会敵直後に行われた盛親の伏撃によって東軍右翼が崩れ、それの補強に戦力がつぎ込まれていることによって、手薄になっているのだ。
「……とはいえ、ここまで敵の姿が見えないとはね」
主を失って駆けまわる馬。折れた槍を杖にしてさまよう兵。その二種類が幾つか見えるだけだ。死体を除けば。
徳川家康がいる本陣まで、元親を阻むものは、無い。
「前進、駈足!」
兵が疲労しているのは承知の上だが、それに目をつぶって急がせる。これからが、この戦いで最も重要な段階であるから……。
体裁を気にしてか、撤退とも言い辛い後退を繰り返す徳川本陣を追いかけ続け、遂に、元親は、家康を捕捉した。
そこはもう、関ヶ原では無かった。




