【始めて】(後編)
二個の拳大の黒玉は、不気味な口笛を吹きながら、薄い渦を巻くように飛翔し、大手門を強く叩いた。両開きの門扉が、悲鳴を上げて谷折りに開きかけた。
「どうやら、閂がへし折れたようです。次弾で完全に開放されるでしょう」
親直の見解と相違が無かった元親は頷いた。
目標の指示を下されている砲兵は、命令の下達を待たずに、装填動作を開始していた。砲撃の反動で暴れ狂ったように後ろに下がった大砲を元の位置に戻し、砲腔を清掃、火薬と砲弾を押し込み、また放つ。
他家が所有しているような石火矢と違い、火薬の爆発力を余すことなくその身に受けた鉛弾は、本来であれば、この時代の日本に存在しないはずの火力を持っていた。
近世的な破壊力で二度行われたノックにより、城門は渋々といった感じで、来客を迎え入れ始めた。
元親が突撃命令を下すまでも無かった。『今か今か』と、その時を待ち構えていた寄騎衆は、我先にと城門に殺到していった。
当然、抵抗はあり、何人かはあっさりと斃れた。だが、戦場で人が死ぬことなど当たり前のことである。誰も何の感情も感慨も抱かないまま、橋を渡り、門をくぐった。
「一番乗りはどうやら、田山新左衛門殿のようで」
多種多様な旗印が、吸い込まれるように城内へ入っていく。敵はただでさえ少ない上、全周に兵を配置している。城内の奥深くへと簡単に浸透できるだろう。
「本陣に連絡を、『田山新左衛門が伏見城に一番乗りした』と。いや、それだけじゃなく、道すがら同様のことを喧伝してほしい」
親直は一瞬、元親の顔を不思議そうに見たが、すぐにまた元の冷徹な表情に戻り、陣をあとにした。
手持ち無沙汰になった元親は、ふと傍らの大砲を見た。役目を終えて大人しく並んでいるこの二門で、大砲は全てである。陸上では。
「戸次川の時にこれがあったなら、勝てていたのだろうか……」
いくら銃撃で撃ち崩せなかった島津兵でも、大砲の火力の前では果たして……。
「いや、無意味な想定か……」
当時の長曾我部の経済力では、大砲の生産や運用は無理である。
それにもし、創業の時から大砲を使用していたとしても、良い方に事が運んでいたとは限らない。四国のように山ばかりの地形では、大筒の方が使い勝手がいいのだ。
夏の日差しを鈍く照り返している砲身。そこから発せられる熱気が、空気を僅かにゆがめていた。
この熱が冷めるころには、伏見城は陥落しているだろう。元親は何となくそう思った。
伏見城落城の報は、三日遅れて遠くの江戸まで届いた。
「そうか……、伏見城が落ちたか……」
家康は噛み締めるように呟いた。
側にいた直政が補足する。
「将、士卒、尽く討ち死にされたようです」
伏見城の城将は、家康が子供の時から仕えていた譜代の将である。過ごした時間でいえば、兄弟や親よりも長いかもしれない。こうなることを前提にして配置したとはいえ、胸に何かがせり上がってきた。
「……落とした者の名は……?」
声が震えないよう意識しながら、尋ねた。
「田山新左衛門なる小名が、一番乗りをし、そのまま天守まで攻め上ったと耳にしました」
「……そうか、特に覚えておくべき名でもないな」
しばらく呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせたところで、家康は話題を変えた。
「寄騎衆の方はどうなっている?」
家康の言う寄騎衆とは、上杉征伐のために連れて来た大小名のことである。西軍決起の際、彼らは皆、味方になることを誓っていた。
「先行された後、尾張の清須城にて待機しておられます」
「ふむ……」
家康は目を閉じ、頭の中で尾張周辺の地図を開いた。
尾張の北に、覆いかぶさるように美濃がある。美濃の西に、寄りかかるように近江がある。美濃と近江の境近くには、三成の居城である佐和山城があった。
「何はともあれ、佐和山城は落とさねばな……」
西軍の幹部である三成の居城が落とされたとあっては、いやがおうにでも全軍の士気が下がるだろう。そうなれば、離反してくる者も出てくるはずだ。もしそうならなくとも、畿内に入る経路を確保するという意味で、佐和山城の奪取は必要不可欠であった。
「……左様」
直政の相槌を無視して、家康は思考を続けた。
近江に入るには、まず、美濃を獲る必要がある。だが、西軍の方もそうはさせまいとするだろう。間違いなく主戦場はそこになる。
家康の胎は決まった。
「……秀忠に、中山道を行かせよう」
落合宿から始まり、岐阜城、大垣城を通り、関ヶ原。というように、美濃は、中山道が東から西へ通っている。
家康は、美濃に集結するであろう西軍主力を、南にいる尾張の寄騎衆と、東から中山道を通ってくる徳川の別動隊で挟み撃つという壮大な戦略を、一瞬にして組み立てたのだ。
「……はっ。それでは早速、若君にお伝えを……」
席を立とうとする直政を、家康は止めた。
「急がなくてよい。発つのは秋口になってからだ。上杉のこともあるしな」
伊達を始めとする東北大名たちで抑え込んでいるが、もしかすれば、空になった関東平野になりふり構わず乱入してくるかもしれない。
「承知いたしました」
直政は、浮かしかけた腰を沈めた。
夏の盛りである。蝉がやかましいぐらいに鳴いている。
家康は、額の汗を拭い、ふと思い出したように言った。
「ところで、長曾我部の方から何か連絡は無いのか」
「いえ、何も」
家康は、不快気に息を吐き出した。
「たった一度の口約束で媚びを売り切ったと思っているのか、あの田舎大名は。あれで所領の安堵が約束されたと思っているのなら、何とも浅はかなことだ」
既に家康の下には、密約を記した何通もの書状が、西から届けられている。書状を送ってきた彼らと比べると、元親の行動はあまりにも誠意に欠けていた。
「……まあ、いいか。それだけ、改易する領地が増えることになる」
家康の中でこの戦いは、『どうやって勝つか』ではなく、『どう勝つか』になりつつあった。なにしろ、西軍の中核である筈の奉行衆からですら、内通者が出ているのだ。敵の実態は、見た目よりもかなり過少で脆弱であることは間違いないからであった。
秋になり、家康は三万の兵を率いて東海道を西上し始めた。息子秀忠にも、予定通り中山道を通らせている。
美濃平野に、溢れんばかりの兵馬が集まらんとしている。




