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蝙蝠亡き島に飛ばされて  作者: 昼ヶS
【叩き落とされて】

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【膝を屈して】

 ──夏。九州の地に、二十万もの大軍が襲来した。


 それらは九州全土を浚うように南下し、島津家の本領の薩摩・大隅の二国に踏み入ったところで停止した。和睦の交渉が始まるからである。


 交渉は薩摩国の泰平寺で行われる。その内容の一切は、勝者であり、総大将たる秀吉の一存で決められる。とはいえ、自分を全知全能だと思い込むほど秀吉は愚かではないため、二人の相談役を泰平寺に呼んでいた。


「お待たせしました、兄上」


「おう、来たか、秀長。日向では、派手にやり合ったそうだな」


「まあ、それなりには」


「ところで、官兵衛はどうした? 一緒に呼んだはずだが」


 噂をすれば、というのだろう。杖が廊下を突く音が聞こえて来た。


「あのように、足萎え故」


 遅れてやってきている。というようなことを秀長が言った。


 しばし待って、官兵衛が入室してきた。


「黒田官兵衛、参上仕りました」


 下げた首には、小さなロザリオがぶら下がっている。


「おう、来たか。まあ座れ」


 官兵衛が座して間もなく、九州の地図が運び込まれてきた。


「早速だが、国分(くにわけ)をするぞ。……と言いたいところだが、こう暑くては、良い案も浮かばん。涼を取りながら気軽にやろうか。おい、あれを持ってこい」


 あらかじめ準備しておいたのか、小姓はすぐに持ってきた。丸々と育ったそれを、盆に乗せている。


「……これは、西瓜ですな」


「流石、官兵衛よ。よく知っておるな」


「これを、どこで手に入れたので?」


 秀長の問いに、秀吉は上機嫌で答えた。


「南蛮人が種を持ち込んだとかで、肥前の方で栽培しておったのを、持ってこさせたのよ。──ああ、よいよい。俺がやるから下がっていろ」


 そういうと、自ら包丁を手に取り、西瓜を切り分け始めた。縦に半分に割り、その半分を三等分する。


「ほら、俺からのせめてものの労いの印だ」


 一つずつ、皿に乗せ、二人に差し出す。


 官兵衛は、それを拝して受け取った。


「恐悦至極に存じます」


「そう、堅苦しくするな。さ、西瓜でも食いながら、楽しくやろう」


 そのような感じで、九州二百四十万石は、分割された。手間で言えば、西瓜の方が掛かったかもしれない。


「……どうだ、官兵衛。豊前一国じゃ物足りないか? 讃岐も付けてやろうか?」


 戸次川の戦いの結果がまずかったため、権兵衛は改易されている。その後任も、日向での戦いでへまをしたため改易され、讃岐は丁度空白地帯となっていた。


「いえ、某には豊前一国でも手一杯でして……」


「……讃岐が遠いというのなら、豊後なり筑前なりに変えてやっても良いぞ?」


「格別のご配慮、感謝の念に堪えません。しかし、やはり、豊前一つが、某の身の丈に合っているかと」


 恭しく頭を下げて、官兵衛は加増の話を謝絶した。


 秀吉は、官兵衛の後頭部を冷ややかな目で見つめた。


 官兵衛ともあろう者が、豊前一国で手一杯なわけがない。これも、自分に警戒心を抱かせないための配慮にしか過ぎないだろう。まったく、腹の中ではどのようなことを考えているのやら……。


「そ、そういえば、讃岐でも思い出しましたが、土佐の方はどうされましょう?」


 空気が張り詰める予兆を感じ取り、秀長が、話題を変えた。


「土佐? ああ、元親のことか」


 すっかり忘れていた。元親討ち死にの誤報があった時には動いたが、それ以降は全く構っていない。


「どうされますか?」


「……たしか、丁度来ているんだったな」


「はい」


 戦が終わったということにより、九州各地に散っていた諸将は泰平寺に呼び集められていた。当然、元親もその中にいる。


「……会おう。その面を拝んでおきたい」




 陣幕の張られた泰平寺の庭で、秀吉と元親は対面した。秀吉は床几に座り、元親は跪いている。二人きりというわけではなく、多数の将が臨席していた。


「苦労であった、土佐守。信親のことは非常に残念だ。……あれは、儂の子のように思っていた」


 当然のことながら、本心ではない。周囲に向けたアピールだ。


「……勿体なき、お言葉」


 秀吉は、膝を屈している元親をじっと見た。項垂れているため顔は見えないが、息子を亡くし、兵を無くし、生気が失せているように見える。


 当たれば儲けものだと思って仕掛けた罠が、ここまで効力を発揮するとは、秀吉自身思ってもみなかった。


 とはいえ、本当に効いているのか、念のために確認する。


「此度の働きに報いるため、大隅を与えようと思うが、どうだ?」


 与える気は、さらさらない。領土的野心がまだ残っているかどうか確認したいだけだ。


「……此度の戦では、大した働きもできておりませんので、受け取れませぬ」


 社交辞令と受け取ったのか、判別し難い。もう一押しする。


「ふむ……。大隅が遠いというのなら、阿波の残りをくれてやってもいいぞ?」


 元親は、力なく首を横に振った。


「いえ、今の長曾我部では、現在の領地を統治していくことができるかどうか……」


「……それも、そうか」


 どうやら、完全に地に墜ちたらしい。


 そう思うと、秀吉の中で元親に対する興味が途端に失せた。


 とはいえ、刺せる釘は刺しておくにかぎる。


「……厳しいことを言うが、家中の不和は改易もあり得るからな? 揺らがないよう、しかと統制するのだぞ?」


「……重々、承知しております」


 心配して注意を促したように装っているが、秀吉は既に何度か、揺らぎの原因を与えている。大隅を与えるという一件も、そのうちの一つであった。多大な被害を出したにもかかわらず、加増の話を蹴ったと伝われば、浅慮な者は不満を覚えるだろう。


 秀吉が与えたのは全て、小さな揺らぎだ。長曾我部が健在であるならば、この程度は大した問題にならない。だが今の長曾我部は、有望な嫡子、多数の重臣、兵の殆どを失い、大黒柱以外すべて切られた家の様なものだ。それらの揺らぎでも、倒壊せんばかりに揺動するだろう。


 まあ、もはやどうでもいいが。


 秀吉の思考は、目の前で跪いている元親でなく、遠くの関東にまで飛んでいった。いや、関東だけではなく、東北へも。秀吉に残された寿命は長くない。その間にそれら全てを従え、新たな制度を浸透させ、大名の力を削ぎ、千年続く豊臣の天下の礎を築き上げなければならないのだ。


 これ以上、地べたに這いつくばっている蝙蝠に構う暇などなかった。




 叩き落とされた蝙蝠は、膝を屈した。だがそれは、高く、高く、飛びあがるための予備動作にしか過ぎないのだが、上を向き、高きを目指す猿が、それに気づくわけが無かった。


 時、一六○○年。場所、関ケ原。蝙蝠が飛び上がるのは、そこだった。


これで第二章【叩き落とされて】は終わり、最終章【飛び上がって】に続きます。

更新頻度にムラがありすぎますが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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