【改修して】(前編)
大分平野は、豊後で最も広々とした平野である。
形は、北にある別府湾をこぼさずに受け止めようとしているかのような漏斗状であり、中央には、丘陵地帯が広がっている。その丘陵部の東西を、戸次川と大分川が挟んでおり、大分川の西岸、大分平野の北西部に、府内と呼ばれる地域があった。府内は、豊前・筑後・肥後・日向へとつながる街道が通っており、港も大きいため、大軍でやってくる豊臣本隊の根拠地とするに、絶好の土地であった。
一五八六年十一月十九日。土讃(土佐・讃岐)勢八千が、府内に上陸した。対する島津軍の総数は、五倍の四万を超えている。だが、この時期の島津軍は、その主攻方向を筑前に向けており、元親たちは上陸早々海上に叩き出されるような憂き目をみることはなかった。
元親は、豊後の砂浜の柔らかさを草履越しに体感した後、すぐに諸将を集めて荷揚げの段取りを素早く取り決めた。これで、後続としてやってくる兵糧や武具や馬などがいつ来ても、円滑に荷揚げすることができるだろう。
元親は、五千名を率いて府内にやってきていた。この五千という兵数は、領地の石高を基に豊臣政権によって指定された数であり、仕える者たちは皆、それに従って兵を出す決まりとなっていた。そしてその兵数は、石高から算出されているためなるべくしてなったというべきか、現在の長曾我部が保有する全兵力に等しかった。
今までのように臨時に兵を雇えば、動員数はもっと増やせただろう。信親の件もあるため、そうしたい。しかし、分け与えられる土地は無く、銭も底をつきかけている。報酬として出せる対価がなかった。
そのため、この遠征部隊のほぼすべてが、知行を与えている正規の家臣団のみで構成されている。その中には、津野家のような『御やとい衆』が多くいた。彼らは家格が高かったり、領地が大きかったりで、長曾我部家の中でそれなりの影響力と独自性を持っている有力豪族である。元親からしてみれば、政治的にも、軍事的にも邪魔な存在であるが、その力に頼らなければこの度の遠征は不可能であった。
秀吉に降った後に領内の再編成を行った際、彼らの領地を削るのを憚らざるを得なかったため、元親は自身の領地を大幅に削った。その結果、手元に残せた一領具足たちの数は、四百人にまで激減している。残りの四千六百は、封建制の時代らしく、家臣たちが個別で引き連れてきた兵で構成されていた。その編成は、他国のそれと同じく歩騎混交の雑多なものであったが、鉄砲の装備率が他と比べて高いため、そこはましではあった。
元親が後続の船団を待っていると、権兵衛から伝令が来た。大友軍とも合流したため、協議に入りたいのだという。元親は、後の作業を信親に任せ、主将である権兵衛の下へと向かった。
権兵衛は見知らぬ人物と話し込んでいた。声をかけると、見知らぬ人物の紹介を始めた。
「おお、はやばやと来られましたな。紹介致しますぞ、元親殿。こちらにおられるのは、大友義統殿でござる」
頼りなさそう、というのが第一印象。三十歳手前であろうか、というのが第二印象。
これが元親の受けた義統に対する印象であった。御家の危機に直面している緊張からか、紹介されている間も、儀礼的な挨拶を交わしている間も、目が泳いでいる。
この時点で、大友家の力はあまりあてに出来なさそうだと元親は思った。
「では、紹介も済んだところで早速、府内館の方に赴きたいのでござるが……」
ハッキリと物を言う権兵衛にしては珍しく歯切れが悪い。
「いかがされた?」
元親の問いに義統が答えた。
「島津の動きに呼応してか、国東の土豪たちに不穏な気配があるのです。私自ら出向こうにも、各城に兵を配置しているため、手勢が少なく、こうして権兵衛殿に頼んでおったのです」
国東は別府湾を挟んだ所にある。舟があれば、半日もかからずに到着するだろう。そんな至近にある地域ですらしっかりと抑えきれていないとなると、国中で同様のことが起きる可能性が充分にあるといえた。
この時点で、大友家の力は全くあてに出来なさそうだと元親は思った。
「……それで、権兵衛殿は国東に赴かれると?」
「左様。秀吉様からは府内の守りを固めるように仰せつかっておりまするが、かといってそれに固執してこれを見過ごしてしまえば、豊前との連絡が断たれる、或いは、これを契機に各地で寝返りが起きるかもしれませぬ故」
「……確かにおっしゃられる通りだが、自分はその間どのように?」
「元親殿には先に府内館に入り、その周辺で城を築くに適した地を選定していただきとうござる。……主将としての役目を押し付けるようで申し訳ござらんが……」
権兵衛は申し訳なさそうにそう言うが、一時的なものとはいえ、こちらに作戦の主導権があるというのはありがたい。元親は、その提案を快く受けた。
権兵衛と別れた元親は、自軍に戻った。既に後続の船団は到着しており、各自指示した通りに荷揚げ作業に入っていた。
五千人分の兵糧や武具の荷揚げともなると、流石に賑やかであった。連れてきた兵たちの他に、元親の指示通りに雇われた地元衆が働いており、景気のいい男たちの怒声ともとれる指示や会話が聞こえてくる。そんなむさくるしい場所であればこそ、女の声が目立って聞こえた。
「玉薬を波打ち際に置くな言うたやろ、このドアホ!」
「……凄い威勢だな……」
火薬の入った俵を担ぎながら男衆をどやしつけている女は、今回の遠征で唯一、臨時で雇った兵であった。
その女は他者よりも優れた視力で元親を視認すると、俵を陸の方に置いてから、走り寄ってきた。体が上下するのに合わせて、背中に負った銃が揺れている。
「おう、旦那。こんなとこで油売っててええんか?」
「……油売ってるってわけじゃないんだけどね。これから、一足先に府内館に向かうところ」
「ほーん。ならウチもついて行かさせてもらうわ。こういう力仕事は、女子の細腕でするもんやないしな」
さっきまで彼女が何を担いでいたのか見ていたが、それを指摘するのも野暮だろうと思い何も言及しなかった。
「……お好きにどうぞ」
蛍の仕事は、合戦が始まってからである。それまで、何をしようと彼女の自由であった。
新たに増えたお供を従え、信親に二、三追加で指示をしてから、元親は府内の中心である府内館へと向かった。




