【腑抜けて】
「儂は他に用事がある故、これで失礼するが、せっかく京に来たのだから、ゆっくりと見物していくとよい」
秀吉のこの言葉を最後に、謁見は終わった。
その後、元親は秀吉の勧めに従って、というわけでもないが京の町の散策を始めた。その目的は出発当初よりも、ややずれてきている。
「……流石に、今の日本の中心というだけあって、凄く賑やかだな……」
まっすぐに伸びた通りに沿って、大勢の人間が行きかっている。その数は、岡豊の城下町とは比べ物にならない。聞いた話では、この賑わいも、織田、豊臣という絶対的な支配者の庇護のおかげらしい。彼らが現れる前は、戦場になることもしばしばあり、焼け跡の方が、無事建っている家よりも多かったという。
絶対的な支配者のもたらす平和の下での繁栄。これこそが、これからの時代のトレンドなのだろう。元親はそんな、これから訪れるであろう過去に思いを馳せた。
往来は、殆どが洛中の住民か、元親のように上方にやってきた『おのぼりさん』であったが、稀に、公家が乗っているであろう牛車が通ることもあった。
「京らしいな……」
元親は牛車を見受けると、馬を降り、道の端に寄った。戦国の世において公家というのはあまり重んじられてはいないようだが、かといって、このまま堂々と通りを歩いていけばトラブルが起きる可能性がある。
そんなリスクを避けるのを元親は選んだのだった。
だが、そんな元親の思惑とは裏腹に、牛車が目の前で止まった。おまけに、中から顔が出てきた。
「そこにおられるのは、土佐侍従守ではありませぬか。お久しぶりでございます」
中から出てきた白塗り麻呂眉の公家風の顔。その下部にある、小さく紅を差した唇からそんな言葉が聞こえてきた。
その者は、前に世話になった一条内基。ではなく、元親の家臣であった。
「……左京進か。十何年かぶりだね」
依岡左京進は、元親が土佐半国を手にした時に土佐一条家から寝返ってきた者である。その恰幅の良い体つきから想像し辛いが、忍びの技らしきものを使う。上方の諜報を担当してもらっており、その最たる働きに、本能寺の変をいち早く知らせてくれたことが上げられた。
「ええ。それぐらいでしょうな。……にしても、一万人ぐらい率いて来られるのかと思いきや、たった十人で京に参られるとは」
「……待たせた結果がこれで、すまないね」
「まあ、ままならないのが世の常ですので、仕方ありませぬ」
もしこの世に秀吉がいなければ、中国の毛利と手を組み、長引く織田家の家督争いに介入するため、それこそ万の兵を率いて上洛出来ていたかもしれない。けれども実際は、信長の死後二年足らずで秀吉は織田家を完全に乗っ取り、三年で四国に乗り込んできたのだ。
左京進が言った『仕方ない』という言葉は、そっくりそのまま今の元親の心境そのものであった。それは、『労に報いることができずに申し訳ない』という気持ちが湧き出てくる隙間を殆ど塞ぎ、その気持ちも、口に出したことによって完全に消費された。
それよりも、と左京進が話題を転じた。
「もしや、京の見物をなさるおつもりで?」
そのつもりであった元親は首肯した。
「それでしたら、しばしお待ちください」
左京進はそう言って牛車に引っ込むと、一分弱物音を立て続けた後、出てきた。
「お待たせいたしました」
左京進は今の短時間ですっかり着替えていた。動きにくそうな公家風の格好から、元親と似た侍風の格好になっている。しかし、化粧は落とされておらず、元親は、現代にいる時に見たバラエティ番組を連想した。
左京進が御者に一言二言指示すると、牛車は一度、鈍い車軸の音を立てると乗客を置いて進みだした。
そういえば、どうやって牛車など調達できたのだろうか。元親はふとそんなことが気になったが、聞いても教えてくれなさそうなため、その疑問を胸の奥にしまうことにした。
「この町のことは誰よりも詳しいつもりです。お望みの場所に案内できるでしょう」
「……折角だから、頼もうか」
この瞬間、元親の京散策の目的は全く違ったものになった。それを本人は自覚しつつも、『また今度があるから』とさして気にしなかった。
「なんなりと」
こうして、土佐人たちは京の町に繰り出していった。
岡豊に帰った元親は、近隣の親類縁者の下を訪ねまわった後、土佐神社へと向かった。
見慣れた人通りがまばらな道を馬の背に揺られていると、前方から、これまた見慣れた人物が馬に乗ってやって来た。
「父上も、葛の所に向かわれるのですか?」
信親がそう問うてきた。
そうだ、と元親が返事すると、
「一体どのような御用事で?」
と更に問われた。やや、普段の信親と雰囲気が違う気がする。
「……どのようなと言われても、ただの野暮用よ」
そう答えた直後、息子が『父上も』と言っていたことに元親は気づいた。
「それより、お前こそ何用で葛のところにいたのだ?」
「い、いや! 私の方こそ、そ、そう! 野暮用です!」
問い詰める必要性がありそうだな、と元親は追撃を開始しようとしたが、信親が、
「これから太刀の稽古があるため、失礼いたします!」
と言って逃走したため、断念した。
一方がいなくなったのならもう一方に尋ねてみるかと、元親は歩みを再開した。
建立直後の頃は煌びやかだった土佐神社は、様変わりしていた。十数年の歳月の分だけ塗装がかすれ、剥げ、侘びと寂びが感じられるようになっていた。といっても、神主である忠純の手入れが行き届いているおかげで、傷んでいる所はなさそうであった。
目当ての人物はいつもの場所にいた。境内の中の森にある、大きな岩に腰掛けていた。
「久しぶりよのう。十年……いや、一年ぶりぐらいか」
葛の姿も様変わりしていた。色の白い二十代後半の女性に変貌している。その変化が歳月に合わせて徐々に行われていたため、いうなれば、『成長』したともいえた。最初に出会った幼児の面影はすっかりなく、身の丈に合うようになった真っ赤な着物が、当時の名残を思わせた。
「……三年ぶりだよ」
土佐から四国へと踏み出していた頃、拠点を白地城に移しており、岡豊に帰ることはあまりなかった。帰ったとしても、決まって何かしらの用事がある時であり、それを済ませるとすぐに白地城に戻るため、なかなかここに足を運ぶ機会がなかったのだ。
「そうか、そんなものか」
時の流れなど気にならないのだろう。二年の違いよりも、顔にかかる、長く艶やかな黒髪の方に意識を取られていた。
「して、何しに来た?」
うっとうしそうに前髪を掻き上げながら、葛が用件を促してきた。
「信親とさっきすれ違ったんだけど、何かあった?」
「……いや、何もない」
明らかに何かありそうな口ぶりであったが、過去と照らし合わせ、聞いても教えてくれないだろうと一人で結論付けて、話を本題に移した。
「……まあ、ここに来た用といっても、どれか選んで欲しくて来ただけなんだ」
そう言って元親が懐から取り出したのは、土産だった。京の見物の折、国元の世話になった人たちに渡そうと思って買い集めた品の一部である。人であるならば、どれがいいかイメージして買うことができたが、相手が女性で、且つ、人ならざる場合であっては、本人に直接選んでもらった方がいいだろうということで、いくつか候補を持って訪ねてきたのだった。
「……わざわざ儂に? 律儀なことよの。どれ、見せてみよ」
岩から立ち上がり、落ち葉を踏む音も立てずに近づいて来る。浮遊感のある足運びは質量を感じさせない。
「……ふむ」
土産として持って来たのは大きく分けて三つ。真っ赤な毬、何種類かのかんざし、何種類かの扇子──
「──これにする」
葛が手に取ったのは扇子だった。全体的に地味な色合いで、蜻蛉が描かれているという、どちらかといえば侍が持つような代物であった。
蜻蛉は、昆虫界の頂点に君臨する強さに加え、飛行中後退することのないことから、百足と共に、『勝ち虫』として戦いに行く男たちから親しまれている。この土佐神社も、それにあやかり、蜻蛉の形をモチーフにして建てられていた。
「……てっきり、かんざしにするのかと思ったけど」
葛の長くなった髪をまとめるのに、かんざしはうってつけである。余らしても良いことはないため、元親は追加でかんざしを渡そうとした。
「いらん。これはこれでよい」
無碍に断られたかんざしも含め、余り物を懐にしまっていると、葛の声が聞こえてきた。
「……京に行ったということは、あやつにあったのか?」
「『あやつ』って……ああ、関白殿下のこと?」
「殿下」
嘲る意図が音色となって、元親の鼓膜と自尊心を刺激した。
「何かおかしなところでも?」
そう言う元親の声色には、苛立ちが多分に含まれている。
「いやな。『信長』、『秀吉』と呼び捨てていた頃を知っておる分、おかしくてな」
「……もう、あの頃とは違う」
考え方も、情勢も、立場も。大人しく豊臣家に臣従することの何が悪いのか。あの時降伏せずに戦い続けるという選択を取るのは、勝てない博奕に全財産をつぎ込むようなものではないか。そんなことをするよりも、豊臣の旗の下で大いに働き、加増を期待する方が確実で賢い選択ではないか。
秋風が木々の枝を揺らし、辛うじて枝にくっついていた枯れ葉が、口を閉ざした二人の周囲をはらはらと落ちる。
「……腑抜けたな」
興ざめ、失望、諦め。そんな三つが混じり合った、銃弾よりも威力のある視線から逃げるように、元親は神社を後にした。
それからすぐにやってきた年始。元親は上方へと上り、秀吉に年賀の挨拶に行った。
春には木材の提供を求められ、自ら土佐の深い山に分け入って現場を指揮した。
そして、夏が来て、元親は秀吉から呼び出された。同時期に、本格的な軍事行動を再開した島津家と無縁のこととは思えなかった。




