【京にて】
岡豊を発った元親は、船に乗って一路、東へと向かった。
目的地は上方。目的は、領地を安堵してくれたことによる礼と、臣下として従属していく姿勢を見せることであった。
その他にも、阿南の地や、遂に上陸することが敵わなかった近畿を見て回ることも副次的な目的としてあった。
「しっかりと漕げ! そこ! へばるな!」
長曾我部水軍の長を務めている池頼和の叱咤が、聞こえてきた。海の男らしい潮風に負けない力強い声である。
頼和の話では、土佐湾の潮の流れは、西から東へと流れていく黒潮を室戸岬が湾内へと無理矢理引き込んでいるせいで、上空から見て反時計回りに沿岸部を撫でて、足摺岬から湾外へと出るような形らしい。
そのため、土佐中央にある浦戸湾から室戸岬へと向かおうとしているこの大船『大黒丸』は、二百人の漕ぎ手の介護を受けて、微速前進しているのだった。出港から二時間ほど経っているが、未だに浦戸湾の入り口が間近に見える。風が吹けばもっと速く進んでいるのだろうが、今のところ一度も吹かなかった。
秀吉への挨拶に、特に日時の指定は無い。だが、一国半の主が長く国元を留守にするわけにもいかないので、自然とそのスケジュールは時間的余裕がないものとなる。
阿南の見回りは帰路でもできるとしても、近畿をこの目で見て回るのはそうはいかない。おそらく十五年後に来るであろうあの日──『関ケ原の戦い』に向けて、少しでも本州の地理に慣れておきたいのだが、この行きの難渋具合ではそれも無理そうだった。
「……もう少し小さな船にするべきだったかもな……」
そう元親が後悔し始めた時、風が吹き始めた。西から東へと吹く順風である。
「帆を張れ! ぐずぐずするな!」
頼和の指示によって水夫たちが慌ただしく動き始め、幅十五メートル以上もある大きな帆が広げられ、風をはらんで膨らんだ。
船は新たな推力を得て、漕ぎ手は過酷な労働から解放された。
阿南についたのは、それから丸一日経った後のことであった。
入り組んだ湾港に大黒丸を泊め、そこから数キロ内陸に入ったところにある西方山という山に築かれた城へと向かった。
西方山の頂に昇ると、長曾我部の領地の境となっている那賀川がすぐ北に見えた。この阿波第二の川の向こう側には、新たに土地を与えられた蜂須賀家の領地が広がっている。この川を越えることは、しばらくは無いだろう。きっと。
親秦に会い、この辺りの領民たちの様子を尋ねる。それによれば、他国から来た者ということで反感を抱いた者はいるにはいるが、その数は少ないらしい。大多数の者は長曾我部に恭順の意を示しているようだった。この辺りの地域は、四国進出の際に真っ先に占領下に置いた土地であり、その分慣れ親しんだ者が多いからだろう。
もし、元親が吉野川を氾濫させたという真実が広まっていれば、こうはならなかっただろう。皮肉なことに、秀吉に評判を買わせた結果、自分の評判を落とさないことにもつながっているようだった。
西方山城で一晩を過ごした後、朝早くに出港し、真東に進んで紀伊半島へと向かう。沿岸近くに来ると、それに沿って北上し、和泉国国境近くの加太という港で着岸し、陸に降りた。
紀伊国の領主であった秀長に挨拶をしようと思ったが、不在であったため、代わりに家臣である藤堂高虎に挨拶をしてから京へと上った。
「よう来られた土佐侍従。前にあった時と変わりなさそうでなにより」
「関白殿下もお変わりないようで、なによりでございます」
秀吉に官位で呼ばれ、元親も官位で呼び返した。土佐守、侍従、どちらも秀吉によって与えられた官位である。
四国を掌握した秀吉は、その後すぐに関白となっただけでなく、姓も『豊臣』と改め、ようやく、元親にもなじみのある豊臣秀吉となっていた。
元親は、岡豊城にある広間の、更に数倍の広さはある大広間、そこの下座で恭しく頭を下げていた。大広間はその大きさもさることながら、内装に至っては比べ物にならないほど豪勢な物である。現に、目の前に畳がある。岡豊では高価なためとして上座の一部分にしか敷かれていなかったが、この大広間には隅々にまで敷かれている。隔絶した経済力の差が、この一事からみても充分に見て取れた。
そういえば、自分が下座で頭を下げているのは一条家を土佐より追放して以来だな。と元親が思っていると、秀吉の声がまた聞こえてきた。
「面を上げよ。堅苦しい礼儀はいらん」
さっき聞いた時よりも音の出処が近い。というよりもすぐ前である。元親が僅かに視線を上げると袴の裾が見えた。
「遠慮をするな。色々、土佐の話でも聞かせてくれ」
秀吉がすぐ目の前にいた。最初に会った時は、身長の分元親の方が視線が高かったが、今は逆である。改めて自分が秀吉の家臣に加わったのだと実感せざるを得なかった。
秀吉にせがまれるがままに、元親は一郡から土佐を制覇し、そこから四国の大部分を制圧するに至った経緯を話し始めた。
日ノ本の全てを手中におさめんとしている者に、たかが四国内での話をさせられるというのは、ある意味馬鹿にされているようにも感じたが、秀吉の相槌や反応が真摯なものであったため、そんな気はすぐに失せた。
過去の覇業の話をしていると、自然と若い頃の青臭い想いがよみがえってきた。かつて、自分は英雄に憧れていた。それ故に、元親となり、長曾我部を継ぎ、天下統一を目指して乱世の荒波に身を投じたのだ。
それが、いつからだろう。信長が畿内を制し、その力を中国や北陸や四国に差し向け始めた時だろうか、本能寺の変の時に光秀に味方しなかったときだろうか、賤ケ岳や小牧の戦いのときに秀吉の背後を衝くことを諦めた時だろうか。はっきりとはわからないが、青臭い想いは既に風化し、色あせていた。秀吉が兵を差し向けて来た時、天下統一の機会が来たと思わずに、息子の命を守ろうという一心で戦っていたのはその表れであろう。
土佐の小身から始まったというスタートの悪さは言い訳にはならない。何故なら、目の前にいる人物は農民の出からここまで成り上がったのだから。
そう考えると、やはり豊臣秀吉というのは英雄と呼ぶに相応しい人物のように思えてきた。その能力もそうだが、こうして軍門に降ってきた相手をここまで手厚く遇するなど、その器の大きさを示すものではないか。
元親の胸中に、別の想いが沸き起こってきた。秀吉に敗れたことに心地良さの様なものを感じ始めていた。
「ほうほう。それで、四国一の名将である長曾我部元親はどのような選択を?」
そんな秀吉の相槌が、心地よく感じられる。
関ケ原の戦いの時、家康のいる東軍ではなく、西軍に全力で加担しよう。そんな決心が自然と固まった。
元親の話が一通り終わると、話題が変わった。
「……にしても、九州も四国の様に収まればいいのだがな」
「どうかされましたので?」
「島津よ。薩摩の島津が、儂の出した惣無事令に不服の様でな、近々、戦が起きる可能性がある」
九州統一を目前にして、あっさりと諦めるのは、心情的にも難しいだろう。元親は数か月前の自分を思い出した。
「戦いになれば負けるわけはないが、奴らは強兵と聞く。対して近畿の兵は弱兵と言うし苦戦ぐらいはするかもしれんな……」
ここで秀吉が何を言って欲しいのか察せないほど、元親は馬鹿ではない。
「……その際は是非、お声がけください。長曾我部全軍をあげて九州へと乗り込み、島津を屈服させてみせましょう」
「そうか! 行ってくれるか! 四国を暴れまわった土佐兵が先手となって戦ってくれるとは、いや、これは心強い!」
秀吉は大袈裟と言えそうなぐらい大層喜んだ。元親は、そんな秀吉の様子を見ても、悪い気はしなかった。




