【眠って】
岡豊に戻った元親が真っ先に取り掛かったのは、領国の再編成であった。
土佐は東西に長い。その上、分厚い四国山地の向こう側に、支配領域が広がっている。通信機器が無く、移動手段も馬が最速のこの時代に、これらすべてを元親が一人で治めるのは不可能であった。そのため、領地を大まかに三分割した。仁淀川を境に土佐を東西二つに分けたのと、阿南。これで三つである。
阿南は先行させた親秦が担当し、東土佐は元親が、西土佐は弥九朗に任せた。といっても、三人が全ての土地を掌握しているわけでなく、あくまでその地域にいる領主たちを取りまとめる役である。
本来ならば、伊予軍代を務めた親直がそのまま西土佐を収めるのが順当であるのだろうが、西部にある蓮池城主を務めている親実と相性が悪いため、弥九朗と交代させた。代わりに、親直には元親の補佐をしてもらうつもりである。
それから、各人の領地を極限まで削ることに取り掛かった。当然、反対の声は多かった。特に、土佐国内に大きな封土のある有力者たちは頑強に抵抗した。その筆頭格が、元親の三男に継がせた津野家であった。
津野家はかつて長曾我部と同格の家柄であり、一条兼定が土佐に舞い戻って来た時には真っ先に寝返った。その後、久武兄弟に鎮圧され、三男親忠を養子として迎えることを条件に家の存続を許されている。のだが、未だに同格であるという意識が完全には消え去っていないようで、むしろ若年の親忠を通して領地の削減に異を唱えてきているのだった。
無理矢理押し通すことも可能なのだが、それがお家騒動を招いてしまえば、秀吉の介入を呼び、最悪の場合、領地の没収となってしまうかもしれない。そのため、元親は自身の領地を誰よりも多く削り、足りない分を補った。
こうして、増えに増えた長曾我部家臣団を無理矢理、土佐・阿南十六万石に押し込んだ。その結果、長曾我部家単体の力はかなり弱まり、相対的に有力家臣たちの力を高めてしまうことになったが、それは仕方のないことだろうと元親は思った。
それらのことが済むと、元親は籠を背負って岡豊城を出て、近くの寺へと向かった。馴染みの僧に会うためである。
季節は既に秋になり、南国土佐にあっても、涼しさを感じさせる風が時折吹くようになっていた。
初めて見た当時と変わらぬ寺門をくぐると、庭を箒で掃き清めている僧がいた。それは門と同じく出会った当時と変わらぬ姿であった。
「これはこれは、元親様。お久しぶりでございます。ご無事なようで何より」
「非有斎さんも、相変わらずお元気そうで良かったです」
元親よりもかなりの年長である筈だが、非有斎の瑞々しい肌は老いを感じさせなかった。もしかしたら仏門には不老になる秘法があるのではないか。そんな、ありえない妄想も彼の前だといやに説得力を帯びるのだった。
「……それで、何用ですかな? わざわざ顔を見に来られただけでもありますまい」
「まあ、顔を見に来たっていうのも目的の一つではあるのですが、それよりも、これをお願いしに来ました」
そう言って元親は籠を降ろした。その中に入っていたのは大量の書状であった。非有斎はそれを受け取り、上から何通か宛先を確認していった。
「……阿波、讃岐、伊予。四国に向けてですな」
「ええ、中には海を越えた所にも届けて貰いたいものもありますが……」
「差し支えなければ、内容をお聞きしても?」
「……感状です。皆の再就職に繋がればと思いまして」
感状とは戦で功績を上げた者に主人が送る文書であった。これがあるとないとでは、他家に仕える難易度が大分違ってくる。領内の再編成を行う傍ら、時間を見つけては、将兵たちの過去の功績を探しだして都度書いていたら、これ程までの量になったのだった。
「よくもまあ、こんなに」
「……これぐらいしかできないですから」
一時とはいえ仕えてくれた者たちへの、せめてもの餞別のつもりであった。
「……そうですか。これらは確実に届けさせていただきますので、ご安心ください」
「お願いします」
元親は頭を下げると、積もる話もあることだが、寺を後にした。明日、岡豊を発つ。秀吉に会いに行くのだ。その準備を、今日のうちにすませなければならない。
その準備が終わったのは、完全に日が落ちてからのことだった。その後、軽い夕餉を済ませ、明日も早いことなのですぐに寝床に入る。
「夜になると、少し肌寒いですね」
隣で寝ているののが、そう言った。一緒に寝ているといっても、お互いにいい年であるため、行為には及んでいない。少なくとも、元親の方に及ぶ気はなかった。何部屋もある武家屋敷にもかかわらず、庶民の様にただ隣り合って寝ているのは、ののが望んだからであった。留守にすることが多い夫としては、妻の要望にはなるべく応えてあげたいため、元親はそれを快く受け入れていた。
要望といえば、さっきののの発言もその一つである。
「……入るかい?」
元親は夜着を持ち上げ、人の入れる隙間を作った。すると、ののは待ち構えていたようにするりと入ってきた。寝具は大きな作りなため、体の大きな二人が同衾しても余裕をもって過ごせる大きさがあった。
彼女が寒がった時にはこうするのだと、長年の夫婦生活の中で暗に教え込まれていた。それにしても、八児の母の振る舞いにしては、あまりにも幼すぎる気もするが……。
「二人一緒だと暖かくなりますね」
ののが、少女のように無邪気に笑った。彼女が笑うと、ただでさえ若々しい顔が、更に若返ったように見えた。
元親が同意を示した後、会話に間隙ができた。別に放置して寝入ってもいいのだろうが、何となく気まずさを覚えた元親は、話題を振った。
「そういえば、今日の千熊丸はどうだった?」
千熊丸とは四男である。土佐を統一した翌年に産まれ、歳は十一を数える。
「普段通り、大人しいものでした」
「手がかからないのは、ありがたいね」
「……それはそうですけど、武家の男子として産まれたからには、もう少し溌溂として欲しいものですが……」
「……別にいいんじゃいかな。自分も昔はそうだったし……」
千熊丸は、あまり外に出てやんちゃをするというようなことを、あまりやりたがらない。ある意味、父親の本質的な特性を一番濃く受け継いでいた。
「それは、『姫若子』と呼ばれていた頃の話でしょうか?」
「ひめわこ……? ああ、うん、そうだね」
初陣の時に、相手の侍がそのような単語を口にしていた記憶が微かにある。そのため、元親は何気なく肯定した。しかしそれは、寝物語にうってつけの話題を提供するきっかけとなっていた。
「ぜひ、詳しく教えてくださいませ。ぜひ」
暗い室内でもののの目が輝いたのが分かった。圧を感じる頼み方だったが、迂闊に喋ってしまえば、ぼろが出るかもしれない。ので、元親は、
「明日早いからもう寝るね」
といって背を向けて回避した。だが、回避したといっても、背中からの圧力は避けることができず、元親は、敷布団の端で外にはみ出さないように気をつけて寝た。




