【脅されて】(後編)
それから数日経った。
体調がすっかり回復した小森は、馬の背に揺られながら国親の居城である『岡豊城』に向かっていた。何故ならその城の主から呼び出されたからである。
寺から城への道のりは短い。しかし、小森にとってはこの登城が初めて、この時代の街並みを目にする機会だった。
小森は辺りを見回しながら馬を歩ませていった。その道中にあったのは、田んぼや畑が広がっているだけの何の目ぼしい物もないよくある農村であった。興味深そうに辺りを見た結果、小森が抱いた感想は『テレビや写真などでよく見る現代の田舎とあまり風景が変わらない』というものだった。
しばらく進むと右手に川が見えてきた。道順を教えてくれた非有斎が言うには、『国分川』というらしい。
「確か川沿いにある道を進めば城の表門に繋がる辻があるんだったよなぁ」
若干自分の記憶力に不安を抱きながら、小森は川沿いを進んでいく。しかし、それは杞憂であったようで、すぐにその辻に着いた。そこから北にある山の頂上に、城の屋根が見える。
小森は川を背にして北へ伸びている道を進んだ。やがて城門が見えてきた。
城内に着くとすぐに奥に通され、小森は国親と会った。二人きりで。国親に勧められるまま、板敷に敷かれている、藁を編んで作られた座布団に小森は正座で座る。国親も同じものに座っていた。胡坐で。
自分の生殺与奪の権利を実質的に握っている人物を目の前にして、小森はこれでもかというほど緊張していた。この時初めて、蛇に睨まれた蛙の気持ちを今の小森は理解した。
「固くならんで良い。どうせ向こうとこっちじゃ作法はなんもかも違うろうしな」
砕けた調子で国親はそう言った。だからといわれて、いきなりくつろげるほど小森は図太い神経を持ち合わせてはいない。
「はい……」
と返事はしたものの、姿勢に変化は微塵も無かった。
そんな小森の様子を見て、国親は人を呼び、酒を持ってこさせた。酒が入れば少しは気を緩められるであろうという酒好きの視点からの配慮だった。相手が飲めないという可能性を考慮しない。
国親は上機嫌で小森の盃に酒を注いだ。小森も僅かな酒の席での経験に基づき、返杯する。互いの盃が濁り酒で満たされた。国親はそれを美味しそうに飲み干す。小森もそれに習わなければならない。小森は意を決し、盃を口元に持っていくと一気に飲み干した。味は、記憶にあるどの日本酒よりも甘かった。
国親は小森の飲みっぷりを見てさらに上機嫌になった。空になった小森の盃にすかさず酒を注ぐ。小森も返杯する。国親が酒を飲み、小森もそれに続く。そしてまた空になった互いの盃に酒を注ぎ合い、また飲む。この酒の応酬は二人とも一言も発さず続けられた。
緊張していた小森も、十杯ほど飲むと、アルコールの影響によって気は緩み、無意識のうちに姿勢を崩すようになっていた。
そんな状態の小森を見て国親はようやく話を始めた。小森の体調の話に始まり、もといた時代の話に国親と非有斎の出会いの話。そして、先の戦の話になった。
「――そうしよったけど、おまんが倒れてすぐ陣を引き払ったき、敵の大将の茂辰は逃げて……そんな顔せんでええぞな」
自分が倒れたせいで敵の大将を逃がす羽目になったと聞き青ざめた小森を、国親は気遣った。
「茂辰を逃がしたおかげで浦戸城は無血で手に入ったきに。それに、おまんが囮を買って出てくれたおかげで戸ノ本では快勝することができたき、寧ろ胸を張ってえい働きをしてくれたぞな」
「それならよかったんですが……」
国親から労われ、小森は気が落ち着いた。
「それで、これからどうする?」
国親はまるで、これが今回の酒宴の本題だというように真剣な顔をして言った。
「どうすると言われましても、どうしたらいいのやら……」
実際に小森は自分がどうしたらいいのか分からなかった。
「分かりやすく二択にしてやる」
そう言い、国親は右手の指を二本立てた。
「まず一つ。このまま我が息子元親として振舞い続ける」
国親は指を一つ折った。
「二つ目。ここで今すぐ死ぬか」
二本目の指も折った。カウントの役目を終えた右手は傍らに置かれている刀の柄に置かれた。
「え……?」
予期しなかった出来事に小森は唖然とした。どうにか切り抜けようと考えるようとするも、アルコールが巡る頭では何も考えつかなかった。
国親はゆっくりと鯉口を切った。それはどんな言葉よりも強圧的に小森に決断を迫った。
――「それで、お受けになったと」
寺に帰ってきた小森から事の顛末を聞いた非有斎はにこやかにそう言った。
「はい……」
小森は気落ちしながら答えた。戦国時代に武家の次期当主としてやっていける自信がない。それも他人に成りすましながら。
「でもよろしかったのではないですか?」
「へ?」
「私もそうでしたが、あなたにも古今東西の英雄や英傑の話に心躍らせていた時期があったのでは?前に戦争の話をしてくれた時のあなたはとても楽しそうでしたよ」
「言われてみれば……」
小森は自分がなぜ戦略や戦術に興味を持つようになったのかを思い出した。それは子供の頃に映画やドラマに出て来る英雄たちにあこがれたからに他ならなかった。
万の軍勢を率い、時には自分よりも強大な敵にも勝利し、より良き政治を行い国を富ませ、数百年以上にわたって称えられる。自分もそんな存在になりたいと思っていた。
しかし、小森が生まれた時代の日本は幸運にも平和な時代であった。平和は英雄を必要とはしない。いつしかその思いは、子供がよく見る、大きくなっていくうちに跡形もなくなる空想じみた夢に変わっていった。
それがこの乱世の時代では実現が可能なのである。しかも豪族とはいえ一勢力の当主になれる。望んで得られる機会ではない。
小森は体が内側から熱くなるのを感じた。
「非有斎さん」
「はい」
小森の呼びかけに非有斎は答えた。まるで、次に小森が言う台詞が分かっているかのように、にこやかに。
「僕にこの時代の事……礼儀作法や土佐の国の事、長曾我部家中の事……いえ、知っていることをすべて教えてくれませんか?」
「はい。喜んで」
非有斎の前には大志を抱いた一人の侍が立っていた。
「そうか……小森はその気になったか」
その晩、国親は城で非有斎からそう報告を受けた。
「ええ、明日から、ありとあらゆることを仕込むことにします。形になるのには早くても、ひい、ふう……一月後かと」
非有斎は指折り数えながらそう目算した。
「一月後か……。儂がそれまで持つかどうか……」
「お戯れを……」
国親はかぶりを振った。
「儂の体は儂が一番よくわかっておる」
「左様でございますか……。それゆえあのような強引な手で彼を……」
国親はうなずいた。その時、自身の余命の短さを暗示させるように嫌な感じの咳を三回した。国親はその咳には触れず何事もなかったように話し始めた。
「奴の軍才は未来の発展した学問によるものだけではない。恐らく天性のものだ」
「それは、そうでしょうが、他のご子息を差し置いて、血のつながりの無い者を当主に据えるのは中々思い切ったことをなされましたな」
「血など、どうでも良い。長曾我部家を大きくし、家臣を富ませ、領民が安らかに暮らせるようにする者であれば、たとえ鬼の子でも我が子にする」
国親はそう言い終えるとまた咳をし始めた。今度は口元を抑えた手のひらに血が付いていた。
「そのお覚悟、皆に聞かせることができないのが残念です」
非有斎は目元を抑えながら言った。
「もう、下がれ。事情を知っている家臣には儂から言っておく」
そう言われ、非有斎は部屋を辞した。
部屋を出る直前に国親が少しでも長生きするために酒を控えるように進言したが、酒が飲めなくなるのなら今すぐに腹を切ると言われ却下された。
それから一月が経ち小森がこの時代の風土に順応しきった頃、国親は死んだ。