【撃ち返されて】
完全に崩した敵最右翼の跡地に、元親麾下の五千が居座る。かたやそれに隣接しているのは妙見山に鎮座した秀長の率いる本隊。逃げ上った敵兵もいるところから、どれだけ少なく見積もっても一万以上は確実にいるだろう。
妙見山を眺める元親の右耳に、戦いの喧騒が入ってくるようになった。
「他の隊も接敵したか……」
敵との距離が近い順、つまり『時計の針』の根元から戦闘が始まったようだった。じきに脆弱な中軍や右翼も戦闘に入らざるを得なくなるだろう。長曾我部軍は一領具足に鉄砲を優先的に配備しているため、他の隊の鉄砲装備率は他家よりも下回る。たとえ同数同士で戦ったとしても苦戦は必至であるのに、寡兵での戦いを強いられている中軍や右翼は戦闘状態に入ってすぐ瓦解するのは確実であった。
そうならないよう、妙見山での戦闘を早期に終わらせ、しかも敵全軍に敗戦を悟らせるほどの分かりやすい勝利を得なければならない。もし、秀長隊を僅かに退却させた程度の結果であれば、そのまま戦闘は続けられ、長曾我部の軍と家はこの日をもって瓦解するだろう。
とはいえ、今の元親の頭の中には良い案はなかった。
「大筒兵!各個に目標を定めて撃ち続けろ!」
とりあえず砲撃をさせてその間に思案する。この砲撃によって何かつけこむ隙が見つかるかもしれないということも期待していた。
大筒兵は指示を下されるや否や、熟練の動作で装填を開始し、撃った。反動を逃がすためにころころと後ろに転がる動作も熟練の動きであった。
立て続けに砲弾が撃ち込まれると、さすがに秀長隊も動揺したようでまばらに生えた雑木の隙間から旗指物が動いているのが見える。だが、その動揺は隙と呼べる程大きくはならず、また元のようにどっしりとし始めた。
「大した統率力だな……」
大勢を率いてあれだけ部下の行動を掌握できるのは、大将の器の大きさであろう。それは、人柄がよいというだけでは決して得られるものではない。元親は秀吉の右腕となっている男の器量を改めて実感した。
五度、大筒兵が転がり、立ち上がった時に、元親はようやく砲撃を止めさせた。
「前進開始!」
元親の号令が金管楽器の音に変換され、一領具足たちに通達される。この号令は本格的な銃撃戦を始めることを意味していた。しかし、元親の頭の中に妙案が浮かんだことを意味するものではなかった。
この前進命令は、『時間がないから』という妥協と、『一領具足の火力をもってすれば何かしらの突破口が見えるであろう』、という極めて人任せな打算によるものであった。
本来、防御を固めた敵を攻撃するというのは多数が少数に対して行うものである。今回のように少数が多数を、それも質が同等かそれ以上の敵を正面から攻撃して打ち破るというのは、前例と勝算があまりないことであった。
「……これ勝てるのだろうか」
そんな無責任な呟きが銃声によってかき消される。既に戦いの火蓋が切られているどころか、銃弾の応酬が始まっているのだ。
元親直属の一領具足は、そんな主君の心情を知らぬまま、健気に運動し、敵前に展開すると、教え込まれた三段撃ちを律儀に始めた。リズムよく行われた三回の射撃の成果は、敵が雑木を盾にしたことによって緒戦ほど挙がらなかったが、それでも全く効果がないというわけでなく、地面と接吻した者を多く出した。
敵の銃撃も開始された。しかし、その散発的な射撃では一領具足の三段撃ちに対して瞬間的な火力に劣っており、射撃頻度も練度の差によって劣っていた。秀長隊の部隊規模からして、彼らの銃兵の数は一領具足と同数かそれ以上であることは間違いないのだが、それでも、効率の差によって弾薬の投射量は時間に比例して差がどんどんと開いていった。
「このまま行けるかな……?いや、甘いか。――大筒兵!山頂付近目掛けて砲撃を開始しろ!」
元親の声が届く範囲にいる大筒兵は、肉声で届けられた指示を忠実に実行した。火縄銃の十倍の火薬を使った十倍の発砲音が十度、鳴る。これにより、秀長を殺すか負傷させて指揮の継続を不可能に、或いは砲撃に意識を割かせて指揮能力を低下させることを期待できるだろう。
鉛弾の応酬は、終始長曾我部勢が優勢であった。けれども、緒戦のように一挙に突き崩すというわけにはいかない。一方は時を、もう一方は人命をじわじわとすり減らしていく消耗戦の様相を呈していた。人命を消耗していく方は兵数に余裕があるが、時を消耗していく方には時間的余裕が無い。この非対称的な消耗戦の決着は明白であった。しかし、秀長隊の鉄砲大将はこの有利な消耗戦に甘んじず、己の職責を、その才能をあらん限り発揮して全うしようとしていた。
急に妙見山が静かになった。その途端、元親に嫌な予感がよぎる。これから相手が行う射撃が自分たちと同じものなのではないか、という。
元親はすぐさま金管を鳴らさせた。退却を意味する、区切りも何もない垂れ流すような長音が戦場に響く。連隊長たちもその音にすぐさま反応し、一領具足たちは回れ右をして撤退を開始し始めた。
その直後に、数千の銃火が妙見山の山腹を覆った。そして、それと同じ数の極小の死神が、一領具足に飛び掛かり、体を守る物を何一つ身に着けていない一領具足たちは、その威力を余すことなく受けた。肉が裂かれ、骨が砕かれる。ある者は痛みを感じることなく死に、ある者はそれを羨む暇もなく痛みにのたうち回る。自分たちの行っていた所業がどういうものであったかを彼らは身をもって体験した。
秀長隊の行った一段撃ちは、一領具足五つある連隊の内、二個の連隊を半壊させた。
「……嘘だろ」
元親は絶句した。今までの四国統一の戦いで、一領具足は活躍し続け、そのどの戦いでも、射撃戦で彼らが大きな損害を被ったことは無い。それだけ三段撃ちの射撃効率は従来のものよりも高かった。従来の撃ち方では射線の関係上、一番前しか撃てない。それに対して、三段撃ちは前列、中列、後列と三列が順番に撃てるため、同数の銃兵を並べても、単純に三倍の火力差ができる。この訓練によって培った射撃技法に匹敵するような火力を、相手は出した。どうやって数千人もの射線を確保したのだろうか。そう思い、元親は妙見山を見上げて気づいた。
「高低差か……」
坂になっている山に銃兵を数列に並べれば、後方の銃兵の射線は、前の味方より頭上を通せるようになる。それに、射撃を三段に分けず、一斉に全てを撃たせたというのは、特別な訓練も号令も必要なく実行できた。とはいえ、言うは容易く行うは難しである。激戦の最中それに気づき、実行に移せたというのは並大抵の人物ではない。
「たしか、相手の鉄砲大将は藤堂 高虎だったか……」
即席の疑似三段撃ちを編み出し、実行した男の名を元親は口に出した。京にいる間者の報告ではかなりの切れ者であると聞いていたが、それでも小身の者であるとあまり警戒してはいなかった。
額に滲んだ冷たい汗を拭っていると、ふと、信長からの自分への評価が思い起こされる。
「『鳥無き島の蝙蝠』か……。嫌でもその意味が分かってくるな……」
高虎のような実力者が四国にいれば、間違いなく一国の主となっていただろう。しかし、近畿にいる彼は一万石の身分でしかない。この一事だけでも、人材の質の差が明らかだった。
「一度退かせて再編させるか……。いや、でも時間が……」
自軍の戦況を見て時間的猶予を図ろうと、元親は右方を確認した。すると、苦戦を強いられつつもなんとか持ちこたえている自軍の姿と、それを相手するのに夢中になっている敵軍の脇腹が見えた。どうやら後退を続ける長曾我部軍を追いかけ続け、本隊との間に隙間ができてしまっているようだった。
「もう一部隊手元にあれば……それでがら空きになった敵の脇腹を衝きつつ、秀長隊の援護を今の戦力で防ぎながら戦うことができるのに……」
一領具足、近接戦闘用の二千の部隊、どちらであっても、単独では秀長隊の抑えとするには心許なかった。
「いや、後詰がいたか。……もっと早く呼び寄せていれば」
後詰はかなり後方にいる。今から呼び寄せたところでこの好機が失われる可能性は充分にあった。それでも、呼ばないというわけにはいかず、元親は自分の機転の利かなさにムカつきを覚えつつ、法螺貝を吹かせようとした。
しかし、止めた。
何故なら、その後詰がすぐそばまで来ているからだった。




