【羽を広げて】(後編)
兼定を伊予国境まで追撃し、東側に配置されていた敵部隊も降伏したことによって、元親は欲していた完勝を手に入れた。
兼定を討ち取ることは出来なかったが、むしろ土佐人の心情を考えればこれで良かったのかもしれない。下手に殺めてしまえば、元親の評判はきっと落ちる。もはや彼に、そこまでして排除する価値が無かった。
戦いから一夜明け、元親は中村城で首実験を行った。元親個人としては切り離された首をずっと見続けるのは嫌なのだが、これも大将の務めであるといつも堪えてみている。
首実験が終わると捕虜との対面が行われた。捕虜の処遇に関しては、他国勢は無罪放免として国に帰す。土佐勢に関しても、恭順を申し出た者は減封で手を打った。戦いとなればそうでもないが、それ以外で血を流すことに元親は忌避感を持っていたからである。長曾我部に従う事を拒否した者も、所領を没収の上、追い出すだけにとどめた。家臣たちから苦言を呈されるような甘い処分であったが、こうすることによって得られる評判は後々、自分にとってよい結果を生むと元親は思っていた。
最後の捕虜が連れて来られると、場内がざわつき始めた。その者が異相であったからである。
鷲鼻に茶色っぽい髪。そして白い肌。現代人である元親にはすぐに分かった。明らかに西洋人であった。
修道服らしい格好をしている所から見るに、鉄砲と共に伝来してきたキリスト教。その宣教師だということが分かる。元親は西洋人と出会った時にある質問をしたいと常々思っていた。だが、その質問しようとした時、英語が出てこなかった。それに加えて、そもそもこの時代に自分の知っている英語は通じるのか、や、英語は共通言語であるのかという疑問も浮かび上がってきた。しかし、目の前の西洋人が流暢な日本語で自己紹介を始めたため、それらの疑問が解ける機会は永遠に失われてしまった。
自己紹介によれば、彼はルイスと言って豊後から来た宣教師のようだった。兼定による布教の許可の約束でここまで来たそうであるが、この度の戦でそれもご破算になり、今度は元親に直接、土佐内での布教許可を貰おうとしたところを捕まったようであった。
元親はルイスに布教許可を出した。神道と仏教の区別が厳密についていない元親からしてみれば、この地に異国の宗教が根付くことに何の嫌悪感も無かった。
ルイスの感謝の言葉をひとしきり聞いた元親は、それより、と話を遮り、今までずっと知りたかったことを尋ねた。
「……主が生誕したのは今から何年前?」
元親は、今が西暦何年なのかずっと知りたかった。今まで永禄だの天正だの元亀だの和暦で言われてきたが、それらが何年なのか全く理解できていなかった。おまけに改元される頻度も多い。
唯一知っている一六〇〇年の関ケ原の戦い。これが後何年で起きるのかぐらいは知っておきたかった。
ルイスは、そんな元親の真意を理解していないであろうが、質問には忠実に答えてくれた。
「主がこの世界にお生まれになったのは、今から一五七四年前です。閣下」
「……という事は、今は一五七四年の九月あたりか……」
その数字を聞いても、関ヶ原の二十六年前だな、という感想しか元親は出てこなかった。これでは知った意味がないではないかと元親は苦笑した。
そうして、戦後処理の大部分はすんだ。後は西部方面の指揮官である親貞に任せれば万事よろしくやってくれることであろう。
こうして、元親は正真正銘、土佐一国を領有する国持ち大名となった。改めて地図を広げてその版図を見てみると、東西に長い。まるで、蝙蝠が羽を広げ、頼りなく羽ばたいているようだった。
時間という名の大河が、熱心に小石を投げ込み続けた男の手によって、そのうねりを変え始めている。だが、その変化は、荒れて濁った水流の水底の、小石が堆積した周りという僅かな範囲にしか過ぎない。小石を投げ続ける本人がそれに気づくのは、まだ当分先のことであった。




