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蝙蝠亡き島に飛ばされて  作者: 昼ヶS
【羽を広げて】

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32/78

【羽を広げて】(前編)

 内基が去ってから一年。秋。兼定の来襲によって、中村城周辺を除く幡多郡の殆どが一挙に寝返った。しかも、それに合わせて吾川・高岡両郡で反乱がおきた。厄介なことに、反乱勢力の中には土佐七雄と称されていた津野家もいた。


 兼定の持つ兵力は、豊後からの兵だけでなく、南予勢力からも支援を受けており、幡多勢も合わさった今ではその数は六千を超えるという。その上、吾川・高岡二郡に点在している敵対勢力も加味すれば敵戦力は八千を優に超えるだろう。


 中村に孤立した弟吉良親貞を救うため、元親は急遽軍勢を集めた。陸だけでなく、水軍も。


 幡多への道は一条方に与した者たちに塞がれており、それらをいちいち潰していっては中村城が落ちる可能性が高い。そのため、元親は水軍をもって海上から直接中村に向かうつもりであった。


 長曾我部水軍は一条家の持つ水軍を吸収合併して、長大な海岸線を持つ土佐国らしい立派な水軍力を有している。もはや、弱小ゆえに不遇をかこっていた面影はない。中村城への増援どころか、兼定の率いる六千の本隊と戦えるだけの戦力を輸送することができた。


 中村への上陸部隊は元親が指揮を執る。連れて行く戦力も一領具足四百を筆頭に精鋭を連れて行く。部将としては桑名弥次兵衛、福留親政、本山親成、江村親家、吉田重康、そして病気療養から復帰した島弥九朗。その他今までの戦で名を上げた将兵。計四千のこれらが海を渡る。


 阿波との境は香宗我部親秦が守り、再び敵方に与した者たちは久武兄弟と波川清宗が制圧する。彼らに任せておけば後方の心配は不要だろう。


 元親麾下の四千の兵を載せた長曾我部水軍は、土佐湾を西へと進んだ。幸運なことに、海はむずがることなく往来を許してくれたため、予定通りに中村の南方にある下田という港に辿り着けた。


 兼定も海からの攻撃は警戒していたようで下田には敵部隊が配置されていた。だが、ここまでの大部隊を一挙に上陸させるとは思っていなかったようで、その数は少なく、元親が船の上から鉄砲や弓矢を撃ちかけさせると蜘蛛の子を散らすように去っていった。


 下田に全部隊が上陸する間、元親は中村の方に斥候を放った。兼定勢が中村を包囲していることは分かっているが、その陣容の詳細を是非とも知っておきたい。


 斥候が戻ってきたのは折よく、四千名全ての上陸が完了し進発の準備が整った頃だった。


 『小京都』と中村は呼ばれている。


 当時の一条家当主である一条教房が、応仁の乱によって京が戦禍に巻き込まれた際に中村に下向して以降、中村は京を模倣した街並みに造られていた。碁盤目状に通された街路に、京の地形に当てはめて流用した地名。京を知っている者がここを訪れれば、誰しもそう形容する事であろう。


 しかし、典雅な街並みは元親の興味を惹くものではなかった。元親の興味は中村の街そのものでなく、それを挟むように流れている二つの川、そしてその両川の外側に位置する敵であった。


 中村の東側を流れる後川と、西を流れる渡川。その二つの流れは、小さな京の街並みを挟んだ後南方で合流し、下田の傍を流れ、海水と混じる。地図で見ればアルファベットのYの股の間に中村はあった。


 兼定勢は、その中村を挟む川を、更に挟むように東西に展開していた。否、()()()()()()と表現した方が正しかった。


 中村城を攻囲するためであろう。東に三千、西に三千の兵を配置している。それらは川、そして小勢とはいえ親貞の部隊によって隔たれており、連携を取ることは出来ない。


 元親はこの各個撃破の好機を活かすために、全軍に出動をかけた。狙うは東側にある敵三千。下田から中村へ続く道の途上にある部隊だった。


 『大』という字に焼かれた山肌を遠くに見ながら、二川分の流量を合して成長した渡川沿いに()()していく。奇襲を受けないよう斥候を出しながら進んで行くと、まだ渡川となっていない後川の流れと、中村城、そして敵部隊が見えてきた。


 キリスト教の影響を色濃く受けた豊後。そこに兼定が滞在していた時、現地の宣教師から教えを聞き、感動して洗礼を受けたという噂を聞いた事がある。そのためであろう十字架を模した『十』の字が描かれている旗が兼定勢の中に多く見られた。純粋な信仰心によるものか、或いは打算的な何かがあるのかは分からないが、少なくともキリスト教に改宗したことは間違いないようだった。


 元親が軍を進めていくと、それに合わせて東側に位置する敵勢は後方に下がった。東部勢を指揮している敵将も無能というわけでなく、数で勝る元親との会戦を避けているようであった。彼らの後方には道があり、その先には一条方の地域がある。そこで戦えば地形を活かして五分以上の状態で戦える。あえてこの地で不利な戦いをする道理が彼らには無かった。


「厄介なことになったね……」


 長期戦になれば吾川と高岡の反乱を鎮圧した久武親信らが増援に来てくれて確実に勝てるであろう。だが、今のこの動乱を見て、三好家が土佐に兵を向ける可能性も十分にある。それを避けるため、元親としては短期戦に持ち込みたかった。だからこそ、数の不利を背負うことを承知で中村にいる敵本隊に対峙しに来たのである。彼らを全力で追撃してもいいが、狭い山道を通りながらの追撃は手痛い反撃を喰らう可能性があり、西側にも敵部隊が控えている状態でそれは自殺行為だった。


 元親は悩んだ。そして、近習の者が心配になり顔を覗き込むほどの長い時間、沈黙し、思案し続けた後、一計を案じた。


「……包囲されるか」


 元親は全軍に方向転換を指示し、行く先を敵部隊から中村へと決めた。将兵は今まで勝ち続けていた元親の作戦に異議を上げることなく後川に入り、川中に設置された阻害物を除去しながら中村へと入って行った。


 当然、退いていた敵部隊は間を空けずに川岸に進出し、元親勢は中村に完全に閉じ込められた。

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