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蝙蝠亡き島に飛ばされて  作者: 昼ヶS
【羽を広げて】
22/73

【追いかけて】(後編)

 八流一帯に犇めいていた敵が、減った。


 急ぐように安芸方面に退いていった旗の動きを見た限り、重俊そして久武親信に三千の兵を預けて行わせた迂回機動は成功したようだった。今頃、彼らは安芸北東にある内野原と呼ばれる地に陣を敷き、安芸城の後背を脅かしていることだろう。


「一、二、三……。……まあ、おおよそ二千かな」


 遠くに見える敵方の旗を一つ一つ指差しながら数えようとしていた元親だったが、あまりの数の多さに断念し、推計を出した。それは『三千に対処するために相手も同数の兵を送った』という単純な考えを基にして出した数字であった。この推計が正しいとすれば、この戦場に残ったのは、相手が二千に対し、こちらが四千。戦力比で言えば、二倍。元々あった戦力差が更に開いたことになる。


 倍の戦力に加え、安芸勢は遠方にいるとはいえ背後に敵を抱えている不安もある。十分勝機があった。


「うん。それじゃ、そろそろ仕掛けるか」


 元親は軍議を開くため、本隊に残った諸将を呼び集めた。親貞、親泰、福留親政、桑名弥次兵衛、本山親成、和頼、その他大勢の自前の配下を持つ侍たち。この内、水軍を率いる和頼以外に下した命令はシンプルなものだった。『敵の城に兵を寄せ続けろ』と『敵が逃げたらひたすら追え』その二点のみであった。


 この良くいえば単純明快ともいえる雑な指示を喜んで受け入れる者は多かった。手柄がそのまま出世に繋がるこの時代では、上からの細々とした命令よりも、現場の判断で動きやすい大雑把な指示の方が好まれるのだろう。


 指示を受けた諸将たちが満足そうに陣幕をくぐり抜けていった後、命令を受けるために一人残った和頼に対して、元親は単純な命令を今度は一つ下した。『敵の後ろで出来る限り大きな音を出せ』と。


 戦いは夏の暑さが和らぐ早朝から始まった。


 地の利のある安芸勢に対して長曾我部勢は数を頼りにした力押しをするが、その戦況は芳しくない。『入念に防備を固めた敵と戦うには三倍の兵力がいる』と言われている。二倍でしかない長曾我部勢が苦戦するのも無理はないだろう。それでも、彼らは元親の指示を守り、八流の城に継続的に寄せ続けていた。


「親貞と親泰の隊は退け!後続の弥次兵衛と親政の隊がその穴を埋めろ!」


 元親は、兵が疲れ切ってしまわないよう、寄せ手たちを適宜退かせて休ませた。敵が逃げた時に追いかける体力を残してもらわないといけないからである。


「お疲れ様!暫く木陰で休んでて!あ、そこにある水や握り飯は好きに食べていいよ!」


 後退してきた将兵に元親は声を掛けていく。その姿は将というよりも運動部のマネージャーと言い表すのが適切であった。


 夏の日差しが本調子を見せ始めた頃になると、敵兵の疲労が目に見えるほどになった。敵方から飛んでくる矢も喚声もその勢いは早朝の頃と比べてだいぶ弱い。ただ正面からくる敵に反射的に対応するだけで精いっぱいのようであった。


 その様子を見て、元親は和頼に伝令を送った。事前に指示した通り海上から敵の後方に回り込ませ、大きな音を立てさせる。その頃合いが来たからだった。


 暫くすると、沖合を、二十艘の船が西から東へと進んで行くのが見えた。沖合を進んで行くそれらは、かなり小さい。予め船が来ることを知っていた元親だからそれに気づいたが、疲労で注意力が散漫となっている上に、戦いを続けている安芸勢がこの動きを知ることは不可能だろう。


「……さて……上手くいくか……」


 元親は安芸勢に更なる圧力をかけるため、休憩させていた部隊も繰り出した。敵の疲労度から見るに、このままでも押し切れそうであった。だが、ここでただ八流の城を奪ったところで後方にある穴内と新城の二つの城に籠られてしまうだろう。もしそうなれば、そこを突破するのに時間がかかり、その間に内野原で孤立している別動隊が撃破されてしまうかもしれない。


 今行っている作戦は、そんな状況に陥らないようにするためのものであった。


「陣を少し進めるか……」


 来るその時に備えるため、元親は敵方(てきほう)へ少し近づいていった。じわじわと高まる寄せ手の圧力。蓄積していく疲労。それらにもめげず安芸勢は奮戦しているが、その両方がピークに達しかけている今この時、彼らの脳裏には『このままこの城は落されるのではないか?』という不安がよぎっていることだろう。恐怖が更なる恐怖を呼ぶように、不安も更なる不安を呼ぶ。『落とされるのではないか?』という不安は『早く後方にある城に退いたほうが良いのではないか?』という不安を呼び、中には『内野原にいる敵に挟撃されるのではないか?』という飛躍的な考えをする小心者や用心深い者もいることだろう。この作戦はそういった者が多ければ多いほどより効果を発揮した。


「……始まったね」


 法螺貝や銅鑼、そして聞き慣れた大きな声が前方より聞こえて来る。和頼たち水軍がかき鳴らす騒音だった。敵を挟んだ距離から聞こえて来るということは、より近い距離にいる安芸勢にはよく聞こえていることだろう。自軍の後方から聞こえて来る謎の音が。


 誰が最初に言い出したのかは分からない。


「内野原にいた長曾我部の者どもがやって来たぞ!」


「早う逃げろ!殺されるぞ!」


 人でもやって確認させれば、その音の正体が取るに足らない小規模の水軍による攪乱だということが分かっただろう。だが、戦闘状態という緊張感の中、そのような悠長なことができる余裕のある者はいなかった。一瞬でも判断が遅れれば死ぬ。そんな戦場という環境だからこそ、この勘違いは起きた。


 人の濁流が発生した。その濁流は、踏み止まろうとする者や統御しようとする者を、飲み込み、引きずり込み、或いは弾き飛ばして穴内や新城に流れていく。


 それを見て、長曾我部勢は追い討ちを始めた。元親自身も馬に乗りそれについていく。


「逃がすな!追え!」


 黒や茶や薄橙が入り混じった濁流が、上流から朱に染まっていく。朝から戦い続けた安芸勢に体力は無く、穴内城までの一キロメートルほどの距離ですら逃げ切れない者が後を絶たない。しかし、それでも追撃を免れた幸運な者の方が圧倒的に多く、その者たちは続々に穴内城や新城城に流れ込んでいった。()()()()()()()()


 逃げる者たちによって作られた猛き流れに、いつの間にか追う者も混ざっていたのだ。


 穴内城と新城城はどちらもその防御力を発揮せずに陥落した。欧州をその手に収めようとした偉大な軍人も使ったこの作戦は、数百年前の日本でも通用するようだった。


 安芸までの道のりを阻むものは、もう、無い。

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