【鳥無き島に飛ばされて】(中編)
――「この一大事に……なぜ……」
小森は男の悲痛な声を耳にし、目を覚ました。さっきまで横断歩道を渡っていたところまでは覚えているが、その時に強い衝撃を受けてからの記憶が無かった。
小森は頭の中がはっきりとしないまま、ゆっくりと上体を起こし、周囲を見回した。それによって自分のいる場所が、帷幕で四週をぐるりと囲んだ時代劇でよくみるような陣中の隅であり、中央の一名寝かされている台を囲んで、嘆いている男たちが五人いるのが確認できた。
それだけでも随分奇妙な光景だったが、更に奇妙なことに、その男たちは、寝かされている者も含めて、皆、甲冑を身にまとっていた。
小森はこの光景を見てこれは夢だと思った。なぜなら、さっきまでバイトに遅刻しそうであったのにもかかわらず今は時代劇のワンシーンのような光景を実際に眺めているこの状況は、まさしく夢にありがちな脈絡のない展開そのものであったからである。
「どうせ夢なら内定貰っていない自分というのも夢であったりしないかな……」
そんな都合のいいことを呟きつつ、立ち上がり体に着いた土を払った。さっきまで寝ていた地面の冷たさがまだ背中に残っていた。
「夢の中なのにやけにリアルだ――」
「曲者だ!」
台を囲んでいた者達が、立ち上がった小森に気づいた。瞬時に、一番近くにいた者が小森にとびかかる。その者は小森よりも頭一つか二つほど背が低かったが、膂力は圧倒的に上回っており、小森はあっという間に取り押さえられた。
「どこから入ってきたがな!?」
自分を取り押さえている男から聞き慣れない言葉で怒鳴られる。
「外に漏れたら大事ぞな」
強面しかいない面々ではあるが、その中でも一際強面の男がそう言った。小森は最初その言葉の意味がわからなかったが、そばにいた別の男が無言で刀を抜いた時に理解した。
「動かんかったら楽に逝けるきな」
そのまた別の一人が優しい口調でそう言った。捩じ上げられた腕の痛みから目をそらし、これは夢だと、夢の中でも悪夢の方だと、小森は思った。そう思うと、なんだか抵抗するのも馬鹿らしく感じ、小森は体の力を完全に抜いた。
すると、自然に項垂れるような格好となり、自ら首をはねられに行くような形になった。その動きに呼応するかのように高々と刀が振り上げられる。
「弥次兵衛、まて」
この場にいた五人目の男が、すんでのところでそれを制止した。その言葉にによって振り上げられていた刀が降ろされ、小森の目の前にその切っ先が降りてきた。人の血が吸えなくて残念がるような、そんな鈍い輝きを発しているように見えた。
「重俊も離せ」
「しかし……」
「よい」
そう言われ、重俊と呼ばれた男は捩じ上げていた小森の腕を離し、解放した。少しでも妙な動きをすればまたすぐに捕らえるぞ、というプレッシャーを背後からひしひしと感じる。
「面をよく見せよ」
夢の中で人の言う事を聞くのも馬鹿馬鹿しく思った小森は、その呼びかけに応じなかった。
「面ばぁみせんか!」
しかし、直後の重俊の怒鳴り声に突き動かされるように、小森は素早く顔を上げた。体育会系とは無縁の生活をしてきた小森にとって、それは経験したことのない衝撃だった。
この場で一番偉いであろう男は、小森の顔をまじまじと眺め、そして呟いた。
「似ておる……」
その呟きを聞いて、周囲にいる男たちも、小森の顔と台の上で寝かされている男の顔を何度も見比べたり、細胞の一つ一つまで見分けるような距離まで顔を近づけ、僅かな差異でも探そうとしたりしていたが、
「げにまっこと……」
と皆、長であろう男に同意を示した。
さっきまで場に満ちていた殺意はすっかり消え去り、弛緩した穏やかな空気が流れた。
「名は?」
一番偉いであろう男は小森に名を尋ねた。
「小森です……」
小森は今度は素直に答えた。また自分を押さえつけていた男から怒鳴られるのを恐れたからであった。
「小森か…。聞いたことのない名だが……。しかし、声まで似ておる――」
言葉は突如、帷幕の外で響く馬蹄の音により途切れた。
「誰か」
「某が」
呼びかけに応じて、強面の男が帷幕の外に出て様子を見に行った。
「思っていたより少し早いか……。まあいい、小森よ、立て。……。ほう、背丈まで同じとは都合がよい。弥次兵衛、重俊、親信、この者にあの鎧を着せよ」
名を呼ばれた三人は、一様に驚いた顔をした。
しかし、すぐに弥次兵衛と、親信と呼ばれた優しい口調の男は寝台に寝かされている男の鎧を脱がし始めた。だが、残る重俊はその命令に強く抗議した。
状況の呑み込めない小森は、その光景を金縛りにでもあったかのように眺めることしかできなかった。
「何をお考えになりゆうがですか!?見た目が似ちゅうだけの者に若の鎧着せて!?」
「戦いを前にして後継ぎである者が亡くなったとなれば、全軍の士気は確実に下がる。
それどころか離反を考える者すら出るかもしれん」
「別にこやつを影武者立てんでもええでしょうが!お世継になられる御方は他にもおりますきに。ここは一旦引い――」
「――ならん!先夜に長浜の城を夜襲で落とし、浦戸の対岸に足掛かりを得たこの千載一遇の好機、逃せば次は無い!」
「しかし……」
なおも食い下がろうとする重俊だったが、帷幕の外の様子を見に行っていた強面の男が戻ってきたため話を止めた。
この抗議の間、小森は二人の為すが儘に洋服をすべて脱がされ、和装に着替えさせられていた。目だけを動かして見たが、台に寝かされている男の顔は確かに自分の顔にそっくりだった。死に顔ではあったが……。
目覚めてからまだ十分もたっていないであろう短時間の間に、取り押さえられ、殺されそうになり、そして身ぐるみはがされて着替えさせられる、という経験した事の無いことが立て続けに起こり、小森は自分の着ている着物がさっきまで遺体が着ていたという事に嫌悪感を抱く精神的余裕さえもなかった。ただ夢であるなら醒めてくれと願うばかりであった。
そんな小森の状態などつゆ知らず男は戻ってきた強面の男に外の様子を尋ねた。
「親政、どうだった?」
「本山勢が姿を現しよったようです。南の海岸よりこっちに来よります」
「ご苦労。苦労ついでに全軍に出陣の準備をさせろ」
「もう各家に通達して準備させちょりますきに」
「流石だな。それならこっちの小森の鎧の着付けを手伝え」
「御意」
親政と呼ばれた男は下された指示になんら疑問を持たず、先の二人に加わり、小森の着付けを手伝い始めた。残すは胴と兜を付け、刀を佩かせるだけとなっていた。
その様子を見ながら男は自分の指示に服しない最後の一人に呼びかけた。
「重俊」
名を呼んだだけであったが、言外に『お前はどうする?』と問いかけている意味が含まれていた。重俊はしばし悩み、そして意を決して言った。
「……わかりました。しかし、条件があります」
「申せ」
「あやつには某が付きます。もしも御家の為にならんようなことをするがやったらその場で切ります」
「それでよし」
「……馬を牽いてきます」
重俊は頭を下げその場を辞した。この間に、小森は既に全ての装備を付け終えていた。事情を知らぬ者が見れば、立派な武者振りの侍そのものであった。
「うむ、皆苦労であった。後は各々の持ち場に行き各自準備してくれ。それとここでのことはくれぐれも内密に」
そう言われ、家臣たちは次々と帷幕の中から出て行った。小森もほどなくして、戻ってきた重俊に連れ出された。
帷幕の中が静かになった。外から馬の嘶きや爪音、人の指示や怒号が聞こえてくる。一人残った男は、裸に剥かれて寝台に寝かされている息子に謝罪した。
「……これも家のためだ。許せよ、元親」
男の名は長曾我部国親。土佐を荒れ狂う戦国の嵐。その台風の目ともいえる人物である。