セシリア
一人称視点が切り替わっています。
この作品は一人称視点が話数ごとに切り替わることがあるのでご承知おきください。
「セシリア!!」
サラサの切羽詰まった声が遠く聞こえる。
私はこれから死ぬんだという嫌な確信があった。
ブラックベアの鋭い爪が私目掛けて迫っているのがゆっくりとして見えた。
腰が抜けていてとても躱せるとは思えない。
ほんの一瞬あとには私だったものは肉片となり、跡形もなく消え去るのだろう。
そんなことを他人事のように思っていた。
死ぬ寸前の永遠にも感じる一瞬で。
私はこのクエストに参加することになった経緯を思い出していた。
私とサラサの出会いは貿易都市ミランのとある孤児院でした。
物静かで大人しい私セシリアと、活発でじっとしているのが苦手なサラサは対照的な性格でしたが、不思議なことに相性は良くすぐに仲良くなりました。
両親がいないという共通点や、近い年頃の同性が孤児院にいなかったのも理由かもしれません。
孤児院では成人するとひとり立ちしなければならず、職に就くことができなければ待っているのは飢えて死ぬか、犯罪をするか、奴隷となるか、体を売るかでしょう。
しかしサラサには剣士としての才能。私には回復術師としての才能がありました。
故に二人が選んだのは冒険者としてギルドに登録することでした。
貿易都市は物流が盛んですが、貿易ルート確保の為に商人組合による自警団が結成されており、モンスター討伐等の依頼が少なかったという事情があり、拠点を移すという結論に至ったのは比較的早い段階でした。
サラサと相談した結果新たな拠点として選んだのは貿易都市よりやや南下した田舎にある街、ミストンでした。
そこで冒険者として私達は依頼をこなしていくことになります。
初めは順調でした。
回復役としての私と前衛で戦う剣士のサラサは安定してクエストを達成して生活の基盤を整えます。
しかし徐々にクエストの難度を上げると二人では手が足りないという問題に直面しました。
私達の実力とは関係なく、クエストの内容が物理的に手が足りないことが多くなってきたのです。
しかし若い女二人組のパーティが仲間を増やすのは簡単なことではありません。
男性となると下心なしで私達に近付く冒険者は少ないですし、それを見分ける術も私達にはありませんでした。
かといって女性の冒険者を探すのも簡単なことではありません。
男女混合のパーティと共同でクエストに挑む。それが相談した上で二人で決めた結論でした。
ただ毎回都合よく男女混合のパーティと共同で組める訳ではありません。
仕方なく男性のみのパーティと組むことも何度かあり、基本的には下心なく仲間として接してくれる男性が多い為、私達は油断していました。
そう、油断していたんです。
ミストン近郊の森にブラックベアの目撃証言があり、その調査をして欲しい。それが今回目をつけた依頼でした。
クエスト発行者は街の権力者で報酬の支払いが良く、内容の詳細はブラックベアが本当に森に出没しているかの調査でブラックベアが生息している痕跡や巣の場所を見つければ追加で報酬が貰えるという美味しいものでした。
ブラックベア討伐ではない為、危険はそれほどない。
その筈でした。
共同でクエストに挑むのは男性のみ三人組のパーティでした。
初めて一緒にやるパーティでしたが人当たりが良く、態度も良好だった為私達は警戒していなかったのです。
愚かなことに。
調査1日目。
大した収穫もなく、私達は焚き火を交代で見張りながら森で一夜を明かすことにします。
初めの頃こそ警戒していた私達は何度も無事に一夜を明かしていた経験から完全に油断していました。
寝ている私の体に違和感がありました。
その日は偶然眠りが浅く、下半身に感じる嫌な感触で目が覚めたのです。
パーティメンバーの一人である男が私の体を弄っているのを見て全身鳥肌が立ち、悲鳴をあげようとする私の口を男の大きな手が塞ぎます。
なんとか身を捩って対抗するも、男女の力の差に絶望するばかりでした。
男の獣のような相貌が私の体を舐め回すように見ていました。
恐怖で私は何も考えられませんでした。
ここで初めてを散らされるのだと覚悟をした時。
鮮血が舞いました。
私のではありません。
男のです。
男の右腕が半ばからなくなっていました。
断面から血を吹き出し、ぼとりと音を立てて男の右腕だったものが地面に転がります。
自らの腕を抱えて泣き叫びながら蹲る男を今にも殺しそうな目つきで見つめる彼女が立っていました。
燃えるように赤い髪に怒りでどこまでも鋭く研ぎ澄まされた眼。
髪色と同じように返り血で染めた剣。
私を守る為に男の腕を寸断したサラサがそこにいました。
安心したと同時に体が震え、止まりません。
声が出せなくて。
涙が止まらなくて。
とにかくまるで自分の体じゃないみたいで。
訳がわからなくて。
ただただ、良かった。
助かったと。
そんな思いで頭がいっぱいでした。
「なんの騒ぎだ!?」
焚き火を見ていた男の仲間が慌てて駆け寄ってきます。
「こいつが!! 俺の腕を切り落としやがった!!」
「なんだと!?」
男が剣を抜く音が聞こえました。
「どういうつもりだ!?」
「その男がセシリアを襲っていた。自業自得だ」
「夜這いだ!! 同意の上だ!! 嫌がってなかっただろ!!」
「そんな訳があるかっ!!!!!!」
大気を叩くかのような激しい怒号でした。
サラサは殺意さえ感じる覇気で睨みつけます。
「お前ら、この場で殺してやるっ!!」
一触即発。
ほんの僅か何かがあれば殺し合いが始まる。
そんな空気を壊したのは意外にもこの場の誰でもない。
ブラックベアでした。
片腕をなくした男がパクリと。
呆気なく。
ブラックベアに頭から噛みつかれ。
下半身を残してその巨体の胃袋に収まりました。
血の匂い。
争いの気配。
森に響くような怒号。
当たり前の話です。
腹を空かせたブラックベアを呼び寄せたのは。
「クソがぁっ!!」
男が剣を振り上げ、ブラックベアに向かって振り下ろします。しかし、結果はその鋼のような黒い体毛に阻まれて傷一つ付けられません。
軽く振り払われたブラックベアの腕。
それで終わりでした。
男はとてつもない勢いで吹き飛ばされ、背中から大木に叩きつけられました。
その胸には鋭い爪でつけられた深い傷が、いや傷と言うにはあまりにも深い。
まるで胸の一部が抉られたようになくなっていて、骨や内臓が丸見えになって一部分が欠損していました。
一目でもう亡くなったと理解出来ます。
あまりにも呆気なく。
あっさりと。
二人の人間が息絶えました。
それほどの脅威。
あまりにも理不尽な暴力。
それがこのブラックベアという生き物なのです。
死を覚悟しました。
もう助からないと本能が理解しました。
股の間から温かみを感じ、自分が恐怖から失禁したのだと気付きます。
もう死にゆく身で。
場違いなことに。
恥ずかしいだなんて的外れな感情を抱くくらいに私はもうおかしくなっていて。
視界の端にとらえた焚き火の光に照らされた男の影。
男三人パーティの最後の一人。
その姿を見た時。
私を襲った卑劣で下劣な男の仲間だと知りながらも。
私は媚びた目つきで言いました。
「助けて」
男は背を向けて駆け出しました。
脇目も振らず一目散に。
私を捨てて。
「セシリア!!」
サラサの声で我に返ると。
目の前には振り上げられたブラックベアの腕がありました。
男に媚びて助かろうとした自分を恥じ。失禁して腰を抜かし、ただのお荷物でしかない自分を後悔して。
私はサラサの目をまっすぐ見て。
彼女に伝わるように呟きました。
「逃げて」
サラサだけでも生き残って。
私は囮にしていいから。
どうかこれからの人生で彼女に幸多からんことを祈って。
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