感動の再会
彼女は洗濯物をその手から落とした。
呆然とした表情で口を半開きにしたまま硬直している。
その視線の先には彼女が求めていた姿がある。
瞳から涙が零れ。
一瞬の間を置き。
それを見たアニスは勢いよく駆けだした。
「お母さんっ!!」
小さな体を抱きしめて涙でぐちゃぐちゃになった顔で笑っていた。
どう感情を表現していいのか分からない様子で。
ただ、今度は絶対に離さない。そんな感情だけは確かに伝わってきた。
「しばらく二人きりにしてあげましょう」
セシリアのその提案に異論が出る訳もなく、俺たちはその場から少しだけ距離を置いた。
「あれを見た後だとこれから吸血鬼の国に連れていくなんてめちゃくちゃ言いにくいな……」
サラサがぼそりとそう呟いた。
アニスを奴隷から解放する術が吸血鬼の国にはあるかもしれない。アニスには俺が補助魔法を付与し続けないとならない為、一緒に連れていく必要があることは既にみんなには伝えている。
それをこれから母親に伝えるのは確かに気が重い。
「仕方がないわ。理解してもらうしかない」
「…………」
「オウカ? どうしたんですか、ぼーっとして」
セシリアの問い掛けにも反応せず、遠くに見えるアニスの様子をじっと見つめている。
少しの沈黙の後。オウカは口を開いた。
「母ちゃんってあんな感じなんだな」
「えっと、オウカの母親は……」
「あたしを産んですぐ死んだよ」
「それは、なんつーか」
「いい。気にしなくて。サラサとセシリアも孤児なんだろ?」
オウカは片親。しかも父親は子供の体を売って日銭を稼ぐクズだ。サラサとセシリアは孤児院に預けられた孤児。
母親の愛なんてまともに受け取ったことがないのだろう。
あの光景を見て何を思うかは俺には分からない。
成人するまで両親健在で平和な日本で生まれ育った俺には想像もつかないだろうことは分かる。
下手に何かを言うことも憚られた。
「そういえばリリアの両親は?」
俺の両親は。
二人とも亡くなっている。
親父は蜘蛛膜下出血で倒れて病院でそのまま息を引き取った。
母親は父親の後を追うようにその一年後に世界的な流行病に感染して帰らぬ人だ。
そのどちらの死に目にも立ち会えなかった。
俺がブラック企業で忙殺されていたから。
何度も連絡されていた形跡に気付き、折り返し連絡をした時には危篤なんて疾うに通り過ぎて。
心停止してから数時間後だった。
お通夜から火葬まで呆然としたまま言われるがままに動いていた気がする。
骨と灰になった父親を見て、骨壷に納めて。
ようやくもう父には会えないのだと理解した。
後悔した。
どうしてもっと父親と会わなかったのだろうと。
その一年後。
火葬場で母親の骨を長い箸で摘みながら、同じ後悔をまたした。
「私が大人になるまでは健在だったわ。ただ、もう会うことは出来ないわね……」
親がいて子供に愛情を注ぐのは当たり前のことではないのだ。
当たり前のことであって欲しいけど、中には愛情を注がない親もいる。
注がない事情がある親もいる。
親が生きているうちに恩を返せない子供もいる。
だからああやって親と子が再会出来たことはとても幸福なのだ。
それを見ることが出来ただけで今回の頑張りが報われた気がする。
そう思ったのはきっと俺だけじゃないだろう。
アニスとその母親を遠目に見つめる面々の目を見れば分かる。
二人が落ち着くまで温かい目でそれを見守った。
これを言葉にするのはかなり気が重い。
「アニスにはかなり重い呪いのようなものが掛けられているわ」
「呪い……ですか?」
「ええ、そしてそれは放っておけば死に至る代物よ」
「そんな……っ!?」
落ち着いた二人と合流して家の中に招かれた俺達はアニスの現状を正しく母親に説明する為に向かい合っていた。
机を挟んで母親と対面し、その事実を告げると親子は自然と互いの手を取り合った。
それを見たシアンも俺の袖を握り締める。
「私がそばに居る限り死の危険性はないわ。でも、私も生涯アニスと共にいることは出来ない」
「……っ」
母親としては娘の為に俺にずっと一緒にいて欲しいことだろう。
その為ならばどんな代償も厭わない筈だ。
けれどその言葉を飲み込んだ。
俺に対して迷惑だろうという優しさと。
これ以上甘えられないという気丈さだろうか。
「だからアニスを連れてその呪いを解除しに行くわ」
厳密に言うと呪いではなく奴隷契約を元にした代償の重い誓約の類いだろうが、それを理解してもらう必要はない。
重要なのはアニスが死の淵に立っていて、それを助ける為にはアニスが一緒に旅立つ必要があるということだけだ。
「解除ってどうやってですか?」
「吸血鬼の国にそれが可能な秘宝があるのよ。恐らく貴女の夫の故郷よ」
「夫の……」
正直彼女の意見はあまり意味がない。
どのみち行くか見殺しにするかの二択。
最初から選択肢などないのだ。
これは事後承諾のようなものだ。
義理を通す。
筋を通す為だけに告げに来た。
彼女はアニスの目を見て、唇を噛み。絞り出すようにその言葉を口にした。
「どうか、……娘をお願いします」
別れたくない。
もう手放したくない。
これが今生の別れになるかもしれない。
一緒に行きたい。
でも自分がついていっても力にはなれない。
それどころかお荷物になるのは目に見えている。
そんな葛藤が聞こえてくるようだ。
「無事……、無事に娘がまた戻って来たら。例えどのような報酬だろうと、要求だろうとこの身と生涯をかけてお支払いすると誓います」
深々と、頭を下げて彼女は言った。
とても言葉だけとは思えない迫力があった。
きっと彼女は本当にその生涯をかけてるのだろう。
「だそうよ、オウカ貴女欲しいものある?」
オウカはアニスを真っ直ぐに見る。
「あたしは勝手に刀をアニスに捧げた身だ。サムライが刀を捧げるのは命と魂を預けるに等しい。何を欲するもんか、あたしゃアンタの為に刀を振るうのならそこに理由も報酬もいらないよ」
「セシリア貴女は?」
セシリアは少しだけ考えるような素振りをし、はにかみながら指を一本立てた。
「金貨一枚。……これが妥当ですね」
金貨一枚。それは安い金額ではない。
人によっては稼ぐのに一年以上を費やす金額だ。
しかし、今回の仕事内容の対価としては安過ぎる。
「だそうだけどサラサは?」
「セシリアがそう言うならそうなんだろうよ」
「シアンは?」
「ご主人様に従うのです」
「そう。私も金貨一枚が妥当だと思うわ」
そう告げると彼女は急に慌て出した。
「待ってください!!」
「大仕事だもの、金貨一枚は譲らないわよ?」
「違います、少な過ぎるんです!! ここまでしてもらって金貨一枚だなんて……っ」
相場で言えば確かに破格の値段だろう。
貿易都市まで行って商人組合と自警団を敵に回してまでアニスを助け出し、さらに彼女が自傷ダメージで死なないように回復を掛け続けて、おまけに奴隷解放の為に吸血鬼の国に向かう。
その対価が金貨一枚ではあまりにも少な過ぎる。
誰がどう考えても大赤字だ。
「そんなことないですよ、金貨一枚は妥当です」
「適正価格だよな?」
「あたしに聞くなよ、分かんねぇんだから」
「シアンもお金のことは実はよく分からなくて」
全員が示し合わせたかのようにとぼけ始める。
こういう茶番も嫌いじゃない。
「貴女がどう思おうとも、私達は金貨一枚で引き受けるの。分かった?」
「どうしてそこまで……」
どうしてだろう。
オウカはアニスに救われたからだ。
セシリアやサラサには聞いてみないと分からない。
シアンは俺に従うだろう。
俺は。
俺は何故だ。
こうもこの家族に肩入れする理由。
思い当たるのは、後悔しているから。
俺は親に恩を返せないまま死に別れたことをいまだに引き摺っているのだ。
だからこの家族が不幸になることを見過ごせない。
アニスとその母親を助けることで代替行為にしようとしている?
理屈的にはそんなところか。
だがそんなことは関係ない。
もっと単純で根本的な理由。
俺は目の前の不幸を取り除きたかったんだ。
理不尽に泣く人を助けたかったのである。
「貴女がもしもこのことに恩を感じているのなら、貴女が今後他の誰かに優しくしてあげて」
瞳を潤ませて強く頷く。
そしてもう一度頭を下げた。
「娘を、よろしくお願いします」
母親に習ってアニスも深く頭を下げた。
「よろしくお願いしますっ!!」
こうして俺とシアン。セシリアとサラサ。オウカとアニスは吸血鬼の国に向かうこととなった。




