許されざる男
怒りで我を失うかと思った。
それほどまでに、あいつの言った言葉は許せないものだった。
「セシリア、君には買い取り手が既についていたんだよ」
目の前の男は淡々と言葉を紡いでいく。
「その恵まれた容姿。男の好きそうな肉付き。処女で家事も得意でおまけに回復魔法まで使える。とても良い値段で取引される予定だった」
もう、あたしには目の前の男が人間とは思えない。
人の皮を被った何かだ。
「それがどうだ!? 取引前日に君ら二人は姿を消した。おかげで取引はご破算だよ」
突然狂ったかのように感情を爆発させる。
「全部狂った。手に入る筈だった財産も、私の研究費も、商人組合の幹部のポストも、全部全部全部お前らのせいでっ!!」
こんな奴を父親だと思っていただなんて。
人生の汚点もいいとこだ。
「だから別の方法で組合に取り入る必要が出てきた。……その研究で沢山の商品が実験台として消えていったよ。折角孤児院で育てたのに、苦労して育て上げたのに……っ」
こいつは。
あたし達が家族だと思っていた子供達を、商品としてしか見ていない。
この男はあの最悪の奴隷紋を開発したらしい。
その実績を持ってして、組合に取り入ったようだ。
その為だけに、どれだけの犠牲を払ってきたのか。
この野郎一人の野望の為に、どれだけの子供が泣いて。
苦しんで亡くなっていたのか。
握りしめる剣に力が入る。
「許さない」
こいつはここで殺さなければならない。
「君らが逃げなければエリーが死ぬことはなかった」
「黙れ」
「君たちのせいでエリーもロイも死んだんだ。何も知らないまま、奴隷として生きていく未来だってあったのに」
「もう口を開くな」
あたしにはリリアの掛けた補助魔法がある。
差し違えても死にはしない。
認めよう。
こいつは強い。
冒険者としてそれなりの経験を積んだあたしでも押し切れない。
それだけの技量を持っている。
「こちらが孤児院にどれだけの労力を割いたと思っているんだ」
知るか。
それを愛だなんて思っていた自分が恥ずかしい。
「あと少しなんだ。ようやくここまできた。儀式さえ完成すれば、私は念願の幹部に……」
剣を振るう。
あたしは間違いなく殺す気でやっている。
全力であたしの持つ全技能を持ってしてこの男を殺す為に動いているのに。
それでも届かない。
歪な形のナイフで捌かれてしまう。
それどころか、男には話す余裕すらあった。
「育てた恩を仇で返されるとはね」
本当に恩があったなら、返したかったよあたし達だって。
がむしゃらに剣を振るう。
暴風のような風切り音が鳴り響く。
周囲を顧みず両手剣を振り回して力と手数で押し切る。
それがあたしの戦い方だ。
それを知ってるから巻き込まれないようにセシリアとシアンは下がっている。
相手を圧倒する威力と手数こそが最大の防御になる。
「私の計画は君達のせいで台無しだよ。本当に憎らしい。昔から君達のことが本当に嫌いだった」
こいつは殺すべき敵だ。
言葉に耳を傾けるな。
エリーをロイ兄を。
孤児院にいた無数の子供達を苦しめた元凶だぞ。
分かってるのに。
なんで、こうも言葉が胸に刺さるんだ。
心が痛む。
心無いこの男の言葉にあたしの心は刃物で直接切り刻まれたかのような痛みを訴えている。
踏み込む一歩をより深く。
振り上げる剣により力を込めた。
重心を保てるギリギリまで暴風の威力と速度を上げていく。
守りを考えない。
差し違えるつもりのその過激な攻撃が。
遂にお互いを捉えた。
あたしの剣はアルフレッドの左腕を斬り飛ばし。
奴のナイフはあたしの脇腹を貫いた。
「誓約」
男は呟き、その眼鏡が怪しく輝いた。
違う。
輝いたのはあたしの脇腹に突き刺さったナイフの刃だ。
枝分かれ、触手のようにうねった歪なその刃物は怪しい輝きを纏ってその刃に見るだけで不快になる刻印が描かれていた。
「私を守れ、さもなくば死ぬぞ」
あたしの体は硬直した。
動かない。
まるで自分の体じゃないみたいにあたしの意思から外れてしまった。
どれだけ必死になっても指一本満足に動かせない。
なのに。
あたしの意思に反して体が勝手に動いた。
歪な形のナイフが引き抜かれる。
内臓をズタズタに引き裂かれ、腹から大量の出血が出るものの、それはリリアの魔法で数秒で治ってしまう。
何度見てもとんでもない回復力だ。
あたしはアルフレッドに背を向けてセシリアとシアンの方を向く。
そして両手で握った剣の切先を突きつけた。
「サラサ……?」
セシリアが不安そうな顔でこちらを見ている。
「体の自由が効かない。……セシリア、シアンを連れて逃げろ」
口はなんとか動かせるのか言葉は発することが出来た。
だが首から下は完全に支配されている。
「あのナイフだ。あれはヤバい代物だった。多分あたしは操られてる」
剣の切先が震える。
なんとか全力で抗おうとすると少しだけ操られている体を妨害出来るらしい。
「命じられたのは守ることだ。逃げる相手を追うことはない筈だ」
「でも、サラサを置いていくなんて……」
「逃げろって言ってんだ!! 頼むよ、あたしはセシリアを傷付けたくない」
命令に逆らえばあたしもエリーのように激痛に苛まれながら死ぬのだろう。
セシリアを傷付けるくらいなら死ぬ方がマシだ。
でもあたしが死んだらきっとセシリアは悲しむ。
あたしを見捨てるくらいなら一緒に死ぬとか言うタイプだあの女は。
ならここは逃げるのがいい。
頭の良いお前なら分かるだろ、セシリア。
あの歪なナイフを警戒しなかったあたしが悪いんだ。
冷静じゃなかったんだろう。
あの男の言葉に揺さぶられて、頭に血が昇って。
判断を誤った。
クソ……。
その時、急に体が軽くなった。
この感覚は補助魔法を付与される感覚だ。
リリア……か?
いや嘘だろ……。
どれだけ距離があると思ってる!?
そもそもなんでこっちの状況が分かるんだよ。
でもこの感覚は間違いなくリリアに魔法を掛けられた時のものに酷似している。
自警団の精鋭相手に囮となって戦ってる筈だ。
そこに命を狙うアニスやら、アニスを守る為にリリアの命を狙うオウカやらであっちはあっちで余裕なんてない筈なのだ。
それなのにこちらの状況を把握してさらにこんな距離の離れた地下の部屋まで魔法を届かせて、さらに得体の知れないナイフの呪いだかなんだか分からんものまで解除するとはまさに規格外の力だ。
リリアの底知れぬ力に恐れ慄くよりも、まずやることがある。
完全に油断しているこの男を。
一太刀で。
両断することだ。
「は?」
最後の言葉は呆気ないものだった。
振り向くと同時に油断しているアルフレッドの胴体を両断した。
横に一閃。
振り払った剣は皮も肉も骨も内臓も全て切断し。
彼は絶命した。
「地獄で詫び続けるんだな」
こんな男。
生きている価値がない。
「サラサ!? 大丈夫なの!?」
「ああ、リリアのおかげでな」
「ご主人様のですか?」
「リリアが魔法で助けてくれたんだ」
「そんなばかな……」
「それよりも探すんだろ、資料ってやつを」
あたしの言葉で我に返ったかのようにセシリアは机に乱雑に置かれた本や資料を読み漁り始める。
悔しいがあたしには力になれそうもない。
「……この男の人の臭いが強く染み付いた本を探せばいいですか?」
「シアンさん、それは助かります!!」
この二人に任せて休もう。
あたしは壁に背中を預けて一息つく。
どうやら先生を殺したことが地味に効いているらしい。
こんなクソ野郎でも、あたしとセシリアを育ててくれた恩人なんだよな……。
なんでだよ先生、なんでこんな。
後味が悪いなチクショウ。




