時間との勝負
「だからあたしゃアニスを助けるのさ」
オウカはそう締めくくりました。
幼き頃より過酷な人生を送った彼女は心を壊し、アニスという少女が人としての心を取り戻す切っ掛けとなったから彼女を救うと。
「でもお話を聞く限りその奴隷契約をなんとかしないと助けられないのでは?」
「だからあたしも頭を抱えてんだ。それがなかったら大人しく捕まるもんかよ」
先頭を歩くオウカはぶっきらぼうにそう答えます。
「セシリアの術でどうにかならないか?」
サラサに問われるものの私は首を横に振るしか出来ません。
話を聞く限り、特殊な奴隷契約のようで刻印の術式が見当もつきませんし。
ただでさえ奴隷契約は解除の難しい分類に入ります。
私如きの実力では解除は難しいでしょう。
「それでもどうにかするしかねぇんだ」
オウカは強い覚悟の決まった声色でそう呟きます。
そして。
「ここだ」
豪華な扉を前にしてオウカはそう言いました。
「あたしがたまに警備を担当していた部屋だよ。ここで間違いない」
「ってことはここにシアンとアニスがいるのか?」
「いるとしたらここが一番濃厚ってだけだよ」
まさかここまで誰にも遭遇せずに辿り着くとは思いませんでした。
それだけリリアさんが敵の目を引き付けているということでしょう。
「開けるよ」
オウカが無駄に豪華で重厚な扉を開きます。
そこには膝を抱えて床に座るシアンの姿がありました。
銀色の獣耳に、銀色のふさふさの尻尾。
肩程で切りそろえられた銀色の髪。
こんな特徴的な姿を見間違える筈がありません。
「シアンっ」
「シアンさんっ」
私とサラサの声に反応して顔を上げます。
驚愕に目を見開き。
言葉を失ったかのように口を開閉させ。
瞳から涙を溢れさせると、何とか言葉を紡ぎます。
「ご主人様が……っ」
扉を開いたオウカは部屋の中に一人しかいないことを確認すると舌打ちします。
目的のアニスが見当たらないからでしょう。
「リリアさんがどうしたんですか?」
「ご主人様が、アニスに……っ」
「!?」
「きゃっ」
アニスと聞いたオウカがまるで襲い掛かるかのようにシアンの両肩を掴みます。
それに驚いて出たシアンの悲鳴。
構わずオウカは詰め寄ります。
「アニスだって!? ここにいたのかい!?」
「え!? え!? 誰です!?!?」
「あたしのことはどうでもいい!! アニスはどこにいった!?」
シアンが不安げな瞳でこちらを見ます。
「大丈夫、一応仲間の筈です。……名を、オウカと言います」
「貴女が、アニスの言っていたオウカさん?」
「アニスを知っているんだな?」
「はい、その……私とここに閉じ込められていました」
閉じ込められていたが今はもういない。
誰かに連れ去られたということでしょうか?
しかしシアンさんの口から続く言葉はそんな生易しい事態ではありませんでした。
「さっき知らない男の人が入ってきて、ご主人様を殺せってアニスに命令を……。そしたらアニスが部屋を飛び出して……、私訳が分からなくて……」
不味い。
アニスさんは死の奴隷契約によって持主の命令に逆らえない。
逆らえば死ぬ。
命令を遂行出来なくても死ぬ。
この場合、リリアさんを殺しに行かなければ死ぬし。
殺すのを失敗しても死ぬ。
そして彼女がリリアを殺せるとは思えない。
この命令はアニスに死ねと言っているようなものだ。
「そういうことかよ……っ」
オウカが絞り出すような声で呟きました。
「オウカ……?」
「面倒なことをしやがって、ガウンの奴っ、あたしに直接リリアを殺せと命じれば済む話だろうが……っ」
サラサが剣を抜きます。
臨戦態勢で構える姿は完全にオウカを敵だと認識しているみたいで。
「サラサ……?」
オウカは静かに腰の剣に手を添えました。
穏やかな所作でまるで敵意を感じません。
「どいてくれねぇか、無駄に斬りたくねぇんだ」
「仲間を殺しに行こうとする奴を見過ごせないね」
主が死ねばアニスは死ぬ。
リリアを殺さなければアニスは死ぬ。
現状どうあがいてもアニスは死ぬ運命だ。
それを回避するには別の誰かがアニスよりも先にリリアを殺すしかない。
もう既に死んだ人間を殺すことは不可能だし、アニス自身が手を下さなくとも殺しが達成されていれば契約違反による死亡も回避出来る。
ガウンがアニスに命じた後に牢にいたオウカにその事実を伝えるつもりだったのだろうか。
どうしてそんな回りくどい方法を?
「そうかい……、時間がねぇんださっさと死んでもらうよ」
「待ってください!!」
「時間がねぇって言ってんだ!!」
踏み込むサラサと腰を落とすオウカ。
決着は一瞬でした。
「な、……に?」
「うそ…………」
オウカのその身のこなしを私は目で追うことすら出来ませんでした。
目の前にいたサラサからしてみればそれこそ瞬きの間に姿が掻き消えたかのように映ったかもしれません。
それほどの神速。
サラサの肩から袈裟斬りに傷が奔ります。
そして血が噴き出しました。
「しめぇだ」
そう言い残し、オウカは部屋を立ち去ります。
「サラサっ」
大量の血を撒き散らしながらサラサは仰向けに倒れました。
私は慌てて駆け寄り、回復します。
この傷、深いけどまだ助かる。
治療で辛うじてなんとかなる。
「あいつ……、手加減しやがった……」
「サラサ?」
「大丈夫だ。あたしにはリリアの魔法がある」
不思議なことにサラサの傷が塞がっていきます。
私の魔法ではありません。
私ではこんな奇跡的な速度での治療なんて到底出来ることじゃないです。
十秒程度で傷が完全に塞がりました。
これがリリアさんの魔法?
「これは……?」
「補助魔法なんだとさ、それよりもシアン無事でよかった」
「ご主人様はどこなのですか!?」
「囮役を引き受けてくれている。多分今頃エントランスフロアで大暴れだろうよ」
サラサはそう言いながら剣を振るい、シアンに繋がれていた鎖を断ち切る。
「ありがとうなのです……」
「いいさ、それより急ごう時間がない」
「ちょっと待ってください」
考える時間が欲しい。
確かに時間がないのは百も承知です。
でもどう動いていいのか考える必要があります。
現状リリアさんは正面玄関で囮として戦ってくれている。
シアンさんは確保済み。
アニスさんは奴隷契約で契約者に命を握られている状況。
さらにリリアさんを殺すように命じられている。恐らく彼女はリリアさんの姿を探している途中の筈。
オウカさんはそれよりも先んじてリリアさんを殺そうとしている。
目的はアニスさんの救出。
その障害となるのは奴隷契約だ。
これをどうにかしなければアニスさんの身柄を確保しても解決には程遠い。
ただアニスさんの奴隷契約を解決すればオウカさんの問題も同時に解決出来たと言える。
ならばここはオウカさんを追うことは解決に繋がらない。
今本当にやるべきはアニスさんに掛けられた奴隷契約の解除を調べること。
ここからは根拠のない推察。あるいは私の願望とも言える妄想の類だ。
奴隷契約はかなり上級で精密な魔法だ。
その歴史は古く、かつての大魔導士が編み出した魔法と言われている。
その強制力は強固で、奴隷契約を正規の方法以外で解除するのは非常に難しいと言われていた。
それは奴隷契約の魔法を改造することも同じで、あまりにも緻密に組まれた完璧な術式は改造が非常に困難で、奴隷契約の内容に大きく手を加えることは長年不可能だというのが通説だった。
なのにも関わらず新たに命の束縛がある程に強力で大きな改造が施されている。
長らく研究した筈だ。
そして術式自体に相当の負荷がかかっていると見ていいだろう。
その強引な改造には必ず綻びがある。
そこを突けば解除は可能かもしれない。
その為には術式の詳細を知らなければならなかった。
その奴隷契約魔法がここで研究されていて資料が残っている。という可能性に賭けるしかない。
それかアニスさんを諦めて逃げるか。
シアンさんは確保済みだ。
リリアさんと合流して逃げるのは現実的な妥協点だろう。
ただ。
サラサの目も。
シアンさんの目も。
恐らく遠くで戦っているリリアさんも。
それを良しとは思っていないだろう。
私だってそうだ。
最後まで足掻きたい。
一縷の望みに賭けたい。
だから――。
「オウカはリリアさんに任せましょう。私達はアニスさんに刻まれた奴隷契約の解除方法を探すべきです」
私はそう判断した。
「あたしはセシリアの判断に従うだけだ」
「私バカだけど、アニスちゃんを助ける為なら頑張ります。……ご主人様が心配ですけど」
シアンさんは一秒でも早くリリアさんに会いたい筈。
それでもアニスさんを助ける為とその気持ちを押し殺してくれている。
その気持ちを無駄にしない為にも。
「時間との勝負です。探しましょう、どこかにある奴隷契約の研究室を……っ」




