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死の契約

 啜り泣くアニスを抱きしめた。

 

 彼女が泣き止むまで抱きしめながら優しく頭を撫で続けた。


 泣きやんでも一緒に話をした。


 どうでもいいことから、大切なことまで。

 色々なことを語り合った。


 例えばあたしの過去の話。

 そんな面白い話ではない。

 血みどろで凄惨で。

 救いのない。

 振り返ると後悔だらけの人生。


 それをアニスは受け止めてくれた。


 アニスのことも聞いた。


 村のことや。

 母親のこと。


 そしていなくなってしまった父親のこと。


 あたしは誰かに話すことで楽になるということを知った。


 心を打ち明けることがこんなにも心を軽くしてくれるなんて思いもしなかった。

 

 夜遅くまで語り合い、疲れ果てたように眠った。


 目覚めたら安らかな寝息をたてて眠るアニスが目の前にいた。


 起こさないように静かに頭を撫でる。

 するとアニスは寝ぼけたままこちらに抱きついてきた。


 愛おしいと思った。




 仕事が入る。

 

 商人組合で裏切り者が出たらしい。

 なにをどう裏切ったのか詳細は知らされない。いつものことだ。

 はっきりしているのは商人組合の総意で抹殺の命令が出たことだけ。

 

 仕事で出掛ける。

 そうとだけ伝えて部屋を出た。


 アニスに、仕事の内容は話したくなかったから。


 標的は商人の男。

 覚えのない顔だ。

 商人組合は大きい組織だ。

 人の出入りも激しい。

 目立った幹部くらいしか顔を覚えていられないのだ。


 いつも通りにやるだけだ。


 貿易都市は羽休め通りだけで多くのことが済ませられる。


 ただ、裏通りにしかない物や、裏通りでしか出来ないことがあるのもまた事実だ。

 そして商人であれば尚のこと裏通りを避けては通れない。


 裏通りは建物が乱立し、迷路のように入り組んでいる。

 人もまばらで見通しも悪い。

 場所によっては陽の光が届かなく、影ばかりの薄暗い道も沢山ある。


 そしてその構造はあたしの仕事を大いにやりやすくしてくれた。


 人気がなく。

 見通しが悪く。

 暗がりに身を隠せる。


 そこに一人で通りかかる標的の男。


 間合いを詰めるのは得意だ。

 

 音もなく、瞬きの間に間合いに入れる。

 縮地。

 この技があるからだ。


 縮地で接近。

 居合で一撃。

 男の命運はそれで尽きる。


 いつものことだ。

 何度もやってきた。

 あくびが出る程に簡単で退屈な作業。


 縮地から、刀を握り。

 振るう。

 

 目の前の男は何者なのか。

 なんで組合を裏切ったのか。

 何故商人を目指したのか。

 本当に裏切ったのか。

 この男を待つ人はいるのか。

 妻は、子供はいるのか。


 そんな疑問が急に脳裏をよぎった。


 アニスの顔が浮かぶ。

 手元が狂った。


 散る鮮血と同時に悲鳴をあげることも出来ずに男は倒れる。


 これで終わりだ。

 いつもなら。


 でも、しくじった。


「……がっ、かはっ」


 袴の裾を握りしめた手があった。

 血を吐きながら必死の形相でこちらを見るのは斬り捨てた男。

 

「だ、だずけ……」


 あたしが急所を外したのか。

 酷なことをした。

 痛みもなく終わらせる筈だったのに無駄に苦しめた。

 この深傷ではもう助からない。

 

「ごめんよ……」


 急所に刀を突き刺す。


 男は事切れて物言わぬ亡骸へと変わり果てた。


 辛かった。

 苦しかった。


 これまで夥しい数の人を斬り殺してきたのに、その痛みを初めて知った。

 今までは気付かなかった。

 知らなかった。


 人を殺すとはその人の全てを終わらせて、その人の周囲の人間に不幸を押し付ける行為だと理解していなかった。

 想像力の欠如だ。


 愚かだった。

 それらの背景を理解して初めての殺害。

 それは手が震えるほどに苦しかった。


「なんだよこれ……」


 人を殺すってこんなに重いことなのか。

 

 刀の血を拭う手が重い。

 眩暈がする。

 吐き気まで襲ってきた。


 どうしちまったんだあたしは!?


 死体なんて見たくない。

 もう何度も見た光景なのに直視出来なかった。


 逃げるようにその場を後にした。




 どうやって帰ったのか覚えていない。

 同僚に顔色が悪いと指摘されたが、体調が悪いと誤魔化した。

 気付けば部屋の前にいた。

 一刻も早くアニスに会いたかった。

 話を聞いてもらいたかった。


 あたしは本当にどうにかしちまっている。


 いや、違う。


 違うんだ。


 あたしはずっと壊れていた。

 おかしかったのは今までだ。


 あの日。

 無理やり初めてを散らされた時から。

 体を売って生きるしかなかった非情な日々が。

 あたしを壊した。

 殺すことに意義はなく、意味もなく。

 無感情に考えることを放棄して生きる為に殺した。

 殺せるだけの力が自分にあったから。

 壊れていたから出来たのだ。

 心が壊れていたから痛みも感じず、迷いもなかった。


 でも命のやり取りから離れた長い期間によりあたしは考える時間を得た。

 心を徐々に取り戻した。

 そしてアニスという存在が最後のピースとなり、あたしの心は人の心として治ってしまった。


 なんでもいい。


 アニスに会って、抱きしめて、話を聞いてもらうんだ。

 声が聞きたい。

 温もりを感じたい。


 その為ならあたしはなんだってやってみせる。


「アニスっ!!」


 扉を壊すような勢いで開け放つ。


 そこにアニスはいた。


 でも、見知った顔もあった。


 そこに本来いる筈ではない人物。


「は?」


 アニスは泣いていた。


 アニスは衣服を着ていなかった。


 背中には奴隷の証である奴隷紋が輝いている。


 しかし見慣れた奴隷の紋章とは細かい部分が異なっているように見えた。


 男はにやりと笑ってあたしにこう言った。


「よくやった」


 と。


 瞬間。


 あたしは刀に手を置き、抜いた。


 刹那。

 嫌な予感が警鐘を鳴らす。

 本能で察した。

 この男を殺すべきではないと。


 刀の刃は男の喉薄皮一枚で止まる。


「雇用主に向かってどういうつもりだ?」

「答えろ、彼女に何をした!?」

「奴隷契約だ。取引現場でこの女を殺さなかったのはお前にしては利口な判断だった。褒めてやろう。だか、この態度はいただけないな。剣を下せ」

「ただの奴隷契約でこんな刻印が刻まれるものか!!」


 男は。

 

 商人組合幹部、ガウンは。


 感心したように拍手をする。

 まるで喉に刀を当てがわれていることに気付いてないような素振りで。

 日常の延長線上のような所作で。


「奴隷紋をよく知っているな。お目が高い。そう、これは少し特別な奴隷契約でね。奴隷に絶対服従を強制させる効果を持っている。逆らえば死ぬし、契約者が死んでも奴隷は死ぬ」

 

 勘は正しかった。


 刀を振り切っていればアニスは死んでいただろう。


 背中の奴隷紋の輝きは契約の証。

 契約者は目の前のこの男、ガウンに他ならない。


「吸血鬼と人間のハーフは金になる。オウカ、お前が見つけてお前が捕まえた。その功績から今ならお前の失態を許そう。……剣を下ろしなさい」


 あたしは、刀を鞘に戻した。

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