人の心
あたしにとってアニスは自身の贖罪だったのだろうか。
人を殺すことで生き延びてきた人生で。
物心つく頃には体を売っていた人生で。
もしも、あたしが誰かに救われていたら。
そんな甘えた妄想を叶える為の手慰みでアニスを助けたいのだろうか。
その答えはまだ、出ていない。
アニスは潔癖な少女だった。
潔癖というか、極度の綺麗好きだ。
汚れた部屋を掃除する時だけやたら強い覇気を放ちやがる。
脱いだ服を床に放り投げたら無言で回収する。あたしに何かを言うことはないが、速やかに回収して流れるように汚れ物を集めて洗濯しにいく様は言葉はなくとも圧力を感じる。
綺麗好きを通り越して潔癖の領域に片足を突っ込んでいる気はするが、あたしだって好き好んで散らかして汚い部屋に住んでいる訳じゃない。
片付いていて綺麗な部屋ならそれに越したことはないのだ。
そういう意味ではアニスがいるのはあたしにとって得であった。
あたしの仕事は基本的には自警団本部の警備だ。
一応自警団の最高戦力として認識されているので、あたしが守るのは非常に高値がつきそうな物品や奴隷といった自警団にとって重要な財産で。その他には商人組合の管理外で行われる裏取引の当事者殺害。
商人組合の総意により殺害すべきだと判断された人物の暗殺があげられる。
警備と言っても怪しい奴がいたら斬る。そんな雑な仕事内容だ。
殺すしか能がないあたしには丁度良い。
ヒノワにいた頃は戦が絶えなかった。
天下統一を目指す奴らが血で血を洗う戦場を次から次へと生み出しているからだろう。
だからあたしも仕事に困ることはなかった。
傭兵として雇われ。
敵を斬り殺す。
そして生き残り。
また次の戦場へ。
戦場にはとんでもない化物が何人もいた。
死にかけたことは一度や二度ではない。
でもあたしは最後まで生き残った。
そしてヒノワより遠く離れたこの地で。
自警団として雇われてから、命の危機を感じることはなくなってしまった。
ひりつくような肌を刺す殺気も感じない。
鎬を削るような紙一重の命のやりとりもない。
退屈だと感じる一方で。
心と時間に余裕が出来たあたしは色々なことを考えるようになった。
あたしゃ生まれが不幸だ。
物心つく頃には体を売るなんて普通じゃない。
当時はそれが当たり前で疑問すら抱かなかったが、それが当たり前からかけ離れていて。
子供ってやつは親に守られて愛されて育つものだと、それが当たり前なんだと知ってからは。
ああ、あたしゃ不幸だったんだとようやく理解出来た。
それを嘆くことはないが、親って奴に守られて愛されて。
温もりに包まれながら育つ子供ってのに憧れがない訳じゃない。
あたしは親の愛情ってものに憧れを抱いていて、渇望していた。そんなことに気付けたのは、間違いなく戦から距離を置いて色々考える時間が出来たおかげだった。
あたしにはそんな当たり前のことと向き合う余裕すらなかったらしい。
「どうしたのですか?」
「いや、働き者だと思ったんだよ」
殺せ、守れ。そんな命令が来ない限り基本的にあたしは暇だ。
自警団ではあたしの実力はかなり評価されているらしく、待遇としては同じ職場の奴らに比べるとかなり良い。
腕っぷしに自信がある奴らばかり集まっているからか、あたしの実力を知っている仕事仲間からは不満は見られない。
強ければ特別待遇は当たり前という価値観なんだろう。
だからなんの命令もない今日は暇だった。
昼間からあくびを噛み殺しながらベッドで横になっている。
ぐうたらしているだけ。
アニスは違う。
掃除をして片付けをして、忙しなく動いている。
どこかに行ったと思ったら大量の洗濯物を終えているし、厨房に顔を出しては料理を教えてもらっているらしい。
なんでも料理長に気に入られたのだそうだ。
昨日の今日でとんでもない行動力だと感心する。
「えっと、その、下心があります」
「下心だぁ?」
「はい。……オウカに気に入られてここにずっと置いてもらいたいんです」
「健気なことだねぇ」
そんなにここがいいとはあたしは思えないけど。
でも確かにここより悪いところは沢山あるだろう。
彼女を見てあたしの胸に宿るこの思いはなんなのだろうか。
贖罪か。
後悔か。
未練か。
あたしが考えることもなく殺してきた相手には家族がいたかもしれない。
そいつの帰りを待つ人がいたかもしれない。
戦場ではそんなことを考えている暇はなかった。
考えていたらあたしは今頃生きてはいないだろう。
考えないから生き残れたとも言える。
息子や娘が待つ親を斬り殺したかもしれない。
そうしないと生き残れなかった。
それは確かだ。
ただ、自身が望んで戦場に立ち。
そして深く考えませずに殺していたこともまた事実だ。
覚悟もなく。
責任もなく。
ただ考えるのを放棄して刀を振るった。
その皺寄せが、落ち着いた頃にあたしを追い立てる。
あたしが殺したことで恐らくいくつもの家族が不幸になっている。
親を失い孤児となった子供は数え切れないだろう。
力無く息絶える子供もいれば生き残るために体を売る子供もいたことは疑いようがない。
かつて誰かに助けられたかった過去の自分。
そしてあたしが不幸にしたかもしれない無数の子供達。
それをあたしは無意識のうちにアニスに重ねていた。
「アンタが望むなら、ここにずっといな」
「本当ですか!?」
「ああ、いいよ」
自覚した。
あたしはこの子を助けたいんだ。
守りたいんだ。
そうすることで自分の心を救おうとしている。
自らが奪ってきた命。振りまいた不幸。その犠牲となった者達。
それらに押し潰されないように。
アニスを助け、守ることで贖罪として。
心を軽くしようとしている。
なんて女々しい話だ。
あたしは後悔して許しが欲しいのか。
奉仕の心を持たなければ自分が保てない程に追い詰められていたのだ。
それに気付いた時、あたしにはアニスが救いに見えた。
「えっと私の顔に何かついてますか?」
「いや、なにも」
この娘を守ろう。
そう心に固く誓った。
その日の夜。
狭いベッドの上で。
アニスは啜り泣いていた。
声を押し殺して。
人攫いにあった不幸を嘆いているのか。
親と会えない寂しさからか。
理不尽な運命に対する憤りからか。
体は小刻みに震えている。
不安だろう。
先の見えない未来。
奴隷としての身分。
彼女はまだ小さな子供だ。
しっかりしているように見えても。
まだ親に甘えたい年頃だろう。
それくらいあたしにだって分かる。
恐る恐るアニスの肩に触れる。
彼女の体が跳ねた。
「起こして、しまい、……ましたか?」
声が震えていた。
なんて細い肩だ。
力を入れれば砕けそうな華奢な体。
「ごめんなさい、静かにしますから……。ごめんなさい許して、嫌いにならないで……っ」
泣き腫らした目で懇願するアニスを。
優しく抱きしめた。
「…………っ!? え?」
あたしゃバカだから気の利いた言葉なんて思いつかない。
愛情なんてものを貰った記憶もないから、どうやって伝えればいいのかなんて分からなかった。
ただ想いを込めて。
優しく、壊れ物を扱うかのように。
両手で今にも壊れそうなこの命を包み込んだ。
「あり、がどう……、ございまず……」
あたしはようやく。
人になれた気がした。




