拷問部屋
それを見た時、膝から崩れ落ちた。
遠目で見て明らかに生存していないことが分かる。
何度も熱された何かを押し当てられただろう焼け爛れた皮膚。
爪は両手両足含めてひとつも残っていない。
片方の眼球は潰れて窪んでおり。
目元から涙を流すように血が流れ出ていた。
生きたまま腹を裂かれたのか腸が傷口から飛び出ており、頭蓋が砕けているのか頭も歪な形に歪んでいる。
辛うじて残った特徴が彼だと伝えていた。
「ロイ……、兄?」
震える声で名を呼ぶ。
当然返事はない。
死んでいるのだから。
無骨な金属製の椅子に両手両足を縛られた状態で。
椅子の下に夥しい量の血液の海を作り。
物言わぬ亡骸となった兄貴分の姿が。
そこにはあった。
「ひっでぇなこれは」
オウカが嫌悪感を隠さずに呟いた。
セシリアは現実を受け入れられないようで、涙を流しながら口を手で押さえて首を横に振り続けている。
ロイ兄を痛めつける為だけに使われた器具がいくつも床に転がっていた。
ここは拷問部屋だ。
オウカに案内され、恐らくアニスとシアンが軟禁されているだろう場所に行く道中で近道と言われついてきた場所である。
拷問器具を置く机。
拷問相手を拘束する為の椅子。
それしかない全面石造りの部屋。
壁には拷問器具が掛けられており、そのどれもが赤黒く汚れている。
歯も爪も残っていない。
眼球も片方しか残っていない。
肉が削げて骨が露出している箇所もある。
どれだけの拷問を受けたのだろうか。
息絶えるその瞬間まで、どれだけの苦痛を浴びせられたのだろう。
残響するロイ兄の悲鳴が部屋に染み付いてるような気がする。
痛みと苦しみから溢れるロイ兄の絶叫の幻聴が消えない。
なんでロイ兄がこんな目に合わないといけない。
誰がロイ兄をこんな目に合わせたんだ。
許さない。
絶対に許さない。
「…………知り合いか?」
「あたしとセシリアの兄貴みたいな人だよ」
絞り出すように、なんとかそう答えることが出来た。
「ここは見ての通り拷問部屋だ。基本的に拷問は知りたいことがあるから痛めつけるんだが……」
そう言ってオウカはロイ兄の体を調べる。
「これは殺す前提ってやってるように見える」
会話するあたしとオウカの視界の端で。
セシリアは力無くその場に座り込み。
嗚咽を漏らしながら泣いていた。
駆け寄って慰めてやりたいが。
今はあたしだって余裕がない。
「まるで痛めつけて殺すことそのものが目的のようだ」
「ロイ兄を苦しめて殺す為だけに、拷問した奴がいるってことか……?」
握りしめた拳から血が滴る。
やり場のない怒りが震える程に握りしめられた拳に集まって爪が手の平に食い込んだのだ。
「どうして……、こんな酷い……」
セシリアは両手で顔を覆ってすすり泣いている。
「仏さんをこのままにするのは忍びねぇな」
オウカは腰の長い刃物を抜くと目にも止まらなぬ速さで振る。
あたしの目じゃ追いきれない剣捌き。
一目で分かった。
オウカは私よりも遥かに強い。
彼女が斬ったのは椅子に両手両足を固定していた拘束具だった。
そのままロイ兄の体を抱きかかえると冷たい床に横たえる。
彼女は優しい手つきで残った瞳の瞼を閉じさせ、懐から小さい布を取り出した。
「手拭いですまねぇが」
そう言うとロイ兄の顔にその布を被せた。
「こんな場所じゃまともな弔いも出来やしねぇ」
「…………ありがとう」
あたしも無理矢理心を落ち着かせる。
なんでロイ兄がこんなところで拷問されているのか。
どうしてロイ兄が死ななければならないのか。
誰がこんなことをしたのか。
気になることは沢山ある。
それを強引に押し殺して。
深呼吸し。
セシリアのもとへと向かう。
「セシリア……」
声をかけるとセシリアは顔を上げて真っ赤に泣きはらした目でこちらを見た。
「サラサ、ロイ兄さんが……っ!?」
「今は考えるな」
「!?」
酷なことを言っているという自覚はある。
考えるな、言われて出来れば苦労はない。
でも今はそんな場合ではない。
この貴重な時間はリリアが作ってくれているものだ。
彼女が囮となって命懸けで稼いだ時間を浪費は出来ない。
ここで悲しみに暮れる時間も。
怒りに身を任せる時間もありはしない。
「シアンとアニスを探さないといけない」
「…………っ!?」
セシリアも頭では分かっている筈だ。
冷静になれないだけで。
目をまっすぐ見つめる。
多くの言葉はいらない。
言葉以上に瞳に想いを込めた。
「分かるだろ?」
「………………」
ゆっくりと、しかし力強く頷いた。
「ごめん、私が間違ってた」
セシリアは立ち上がる。
切り替えが早い。
彼女の長所だ。
「先に行きましょう」
「いいのか?」
「良くないけど仕方ないだろ。……ここでロイ兄の死を悼む時間の余裕はないんだ」
「ロイ兄さんごめんね」
セシリアは一度だけロイ兄の遺体に謝ると背を向け、もう振り返ることはなかった。
オウカを先頭にして拷問部屋を後にする。
拷問部屋を抜け、長い廊下を抜けると拷問部屋のあった石造りの部屋とは明らかに雰囲気が異なる場所に出る。
真っ赤な絨毯が伸びる廊下にはところどころ絵画や骨董品が飾られており、壁にはモンスターの頭部の剥製が掛けられていた。
「趣味の悪い廊下だな」
「あたしもそう思うよ」
「どなたの趣味ですかこれは……?」
「ガウンという男だね」
ガウン。
先生が手紙でやり取りしていた男の名前。
「商人組合の幹部で、自警団の裏の顔でもあるな」
「そういえばどこに向かっているのですか?」
「滅茶苦茶値の付きそうな奴隷は特別室で軟禁されるんだよ。あたしゃその警備もしたことがあるから場所を知っていてね。……恐らく、アンタらの探しているシアンって子とあたしの探しているアニスはそこにいる」
「は!?」
「え!?」
アニスだと!?
オウカはアニスを探してるのか?
「なんだい? その反応は」
どういうことだ?
くそ、難しいことはあたしには分かんねぇ。
考えるのはセシリアの役割だからな。
余計なことを言わないように黙っておくべきか。
「アニスというのは私達も探している少女です」
「なにぃ?」
「私達は彼女の母親から依頼されて人攫いにあった娘を捜索しています」
「それがアニスって訳か……」
セシリアは警戒しながら言葉を続ける。
あたしはすぐに察した。
戦う可能性があるということだ。
あたしもいつでも剣を抜けるように構える。
勝てる気はしないが、それでも諦めると言う選択肢はない。
「貴女がどうしてアニスを探しているのか、お聞きしても?」
「そんな警戒しないでくれ。多分アンタらの敵じゃないよ」
オウカは両手を上げて降参の意を示し、敵意がないことをアピールする。
「あたしはアニスに刀を捧げたんだ。あたしも彼女を助け出したくて動いてる」
「信じていいの?」
「任せるさ、信じられねぇってんなら分かれて動くだけだ。一人でもやることは変わらねぇしな」
「セシリア」
「分かってる。取れる手段も時間も多くはないもの」
セシリアは警戒を解く。同時にあたしも合わせて構えるのをやめた。
「信じてくれるってことでいいんだよな?」
「そうとってもらって構わないわ」
「あたしはセシリアがそう判断したなら、セシリアの判断を信じるさ」
張り詰めた空気は一度弛緩し、三人はもう一度歩き始める。
「貴女とアニスの話を聞いてもいい?」
「ここから目的の場所に着くまでならな、歩きながら話すさ」
そうしてオウカは語り始めた。
彼女とアニスの物語を。
 




