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シアン

 連れてこられた場所は無機質な部屋でした。


 ベッドがふたつ置かれただけのあまりにも殺風景な部屋。

 その部屋には私以外にもう一人、同じくらいの年齢の女の子がいました。


 私と同じように両手両足を手錠で繋がれている彼女は、ベッドに腰掛けて魂が抜けたようにぼーっとしています。

 この部屋に入って来た私を見もしません。


 部屋には窓がなく、扉以外を壁で覆われています。

 家具もなく、絨毯もない。

 本当にこの部屋にはベッドしかありませんでした。


 ここに連れてきた人曰く、奴隷として売られるには最高の扱いだとのことです。


「あのぉ……」


 恐る恐る声をかけます。


 反応がありません。


「私、シアンです。貴女は?」


 彼女はゆっくりとした動作でこちらを見ました。


 真紅の瞳がこちらに向けられます。

 色素の抜けた幻想的な真っ白な髪。

 健康的に焼けた小麦色の肌。

 

 聞いたことがある特徴です。

 見た目の年齢も一致します。


 彼女が答える前に、思わず口に出しました。


「アニス……、さん?」


 呼ばれた彼女の目が驚いたように見開かれました。

 

「私を知ってるの?」

「やっぱりアニスさんなんですね? 私、冒険者ギルドの依頼で貴女のお母さんから見つけ出して助けるように頼まれてて……」


 アニスは視線を落として私の手錠を見ます。

 そしてまた視線を上げて私を見ました。


「助けてくれるようには見えないけど……」


 そうでした。

 私も捕まっているんでした。


 忘れてました。


「わ、私がポンコツでも私のご主人様が助けてくれますので……っ!?」

「ご主人様?」

「そうです。私の持ち主で、凄く強くて頭も良くて、綺麗で優しくていい匂いもするんですよ!!」

「だとしても、無理だよ」


 そう言って彼女は俯いてしまった。


「これがあるから」


 アニスさんは背中を向けると、身に纏った布を捲り上げてその素肌を晒します。

 そこには見るだけで嫌悪感を覚えるような禍々しい奴隷紋が刻まれていました。


「これは……?」

「男の人に刻まれた奴隷隷属用の特別仕様の魔法の刻印だって言ってた。今の私は持ち主に逆らえば死ぬし、持ち主が死ねと命じるだけで死ぬ状態なの」

「そんな、酷いっ」


 奴隷だからっていくらなんでもそんな扱い酷過ぎる。

 

 でもこの都市では特別なことではないのかもしれない。

 ご主人様が特別優しいだけで、本来奴隷というものはもっと酷使されるものだと聞いています。

 使い潰して壊れたら新しい奴隷を買えばいい。

 そんな考えが蔓延しているのです。


「だからもう諦めたの。オウカにも迷惑をかけた。私のせいで、オウカは関係ないのに、私が助けて欲しいなんて願ったからオウカが……」

「オウカ、さん? ですか?」

「うん、私を助けてくれようとした優しい人」

「その人はどうなったのですか?」

「捕まっちゃった。オウカ強いのに、本当はみんなやっつけられるのに、私にこんな刻印があるせいで、私が死ねば良かったんだ!!」


 涙目で叫ぶ彼女は死ねば良かったなんて言っていますが、とてもそうとは思えません。

 生きたいとその目は訴えています。

 そして私も彼女が死ねば良かったなんて思えませんし、恐らくオウカと言う人も望まない筈です。


 自ら捕まってまで、アニスさんを助けたかった人なのですから。


「アニスさん、オウカさんは貴女が死ねば良かったなんて思っていると知ったら悲しむんじゃないですか?」

「そんなこと分かってるよ!! 分かったようなこと言わないで!!」

「…………っ」


 彼女は心を閉ざしている。


 人攫いに会い、母親から引き離されて。

 奴隷として売られる立場。

 オウカという人のことは全然知らないけど、きっと彼女にとって救いだったのでしょう。

 それすらも奪われて、彼女は絶望している。


 見知らぬ他人である私の言葉なんて届くわけがない。


 でも私が死ねば良かったなんて間違ってます。

 ここから脱出出来なくても。

 このまま奴隷として売られる未来が待っていたとしても。

 それでもそんな顔をしては救われるものも救われない。

 

 そんな気がしました。


 心を開いて欲しいなら、先に私が心を開くべきです。

 自身を曝け出さない人から、お前のことを分かってやれる。

 理解者だ。

 そんなことを言われても心を開かないのは当然の話です。


「私は妖精族と妖狐族の村出身です。そこでは妖精族も、妖狐族も、そのハーフもみんな仲良く暮らしていました」

「……え?」


 いきなりの身の上話にアニスさんは驚きます。

 構わず話し続けました。


「私はシルバーテイルという特殊な種族で、とても希少なのだそうです。この銀色の髪に銀色の耳と尻尾が特徴なのです。銀色の妖狐は村で私一人でした」


 どうしてみんなと違うんだろう。

 お母さんともお父さんとも違う。

 おじいちゃんともおばあちゃんとも違う。

 村の子供達とも違う。


 私だけが、銀色。


 それが寂しかった時もありました。


 でも今は違います。


 ご主人様はこの銀色の髪も耳も尻尾も誉めてくれます。

 撫でてくれて。

 可愛いって言ってくれて。


 優しく抱きしめてくれるんです。

 だから、次第に私はみんなと違うことが気にならなくなっていきました。

 これでいいんだ。

 こんな私でもいいんだって。


「私の村は山奥にあって、村を出てから知ったのですがとても小さな村で。いわゆる田舎と呼ばれるようなところでした」


 村を出るまでは私の世界は村と山だけで。


 それしか知らなかった。

 でも本当はもっと世界は広くて。

 私が見ていた世界なんてほんの片隅で。

 きっと今だって世界のほんの僅かな側面しか知らない。


 でも今なら分かる。

 私の村は田舎で、山は辺境で。


 都会は人が沢山いて街もおっきかったんです。


「村ではみんなが協力して生きていました。隣の家もその隣の家もみんな家族みたいで、辺境の山の過酷さではみんなで協力しないと生きられなかったってことでもあるんですけど。……みんなで幸せに暮らしていたんです」


 そうだ幸せだった。

 狭い世界であっても。

 辺境の過酷さがあっても。

 私だけ違くてみんなからういていても。


 それでも幸せだった。


 こんな毎日が続くならこんなに幸せなことはないと思っていました。


 帰りたい。


 帰りたいよ。


 お父さんとお母さんのところに。


 視界が歪みます。


「…………え?」


 気付けば、私は泣いていました。

 

 涙が止まらなくて。


 泣くつもりなんて全然なかったのに。

 一度流れ出したら止めることなんて出来なくて。

 

「ち、ちが、私、泣くつもりなんて、な、なくて……ひくっ」


 寂しいよ。

 心細いよ。

 私を救ってくれて助けてくれて、優しくしてくれたご主人様がいるけど。

 やっぱり私は帰りたい。

 村に。

 家に。

 お父さんとお母さんの胸に。


 今まで考えないようにしてきたけど。

 攫われて。

 売られて。

 奴隷として生きるしかなくて。   


 ブラックベアに襲われて。

 ご主人様に助けられて。


 ご主人様の奴隷になった。


 幸運だと思う。

 死ぬ筈だった。

 ブラックベアに出会わなくても私は多分この貿易都市のオークションに出品されていた。

 この都市の奴隷の扱いを見て、私が買われた先で幸せに暮らす未来があったとは思えない。

 だから自分が身の丈に合わない幸運を掴んだことは理解しています。


 これ以上を望むなんて、そんなわがまま。

 

 許されるなんて思ってないです。


 だから考えないようにしてきたのに。


 アニスさんに心を開いてもらおうとして、私の心を先に晒したら感情が抑えきれなくなって……。


 その時。


 温もりを感じました。


 人肌の。


 手錠で繋がれた不自由な腕で器用に。

 アニスさんが私を抱きしめていたのです。


「泣かないで……」


 自分も辛くて苦しくて、絶望しているのに。


 目の前で泣いている私を放っておけない。

 そんな優しい人なのですね。


 アニスさんは。


 でも。

 貴女も泣いてるじゃないですか。


 瞳は濡れていなくても。

 心で泣いている筈です。


「アニスさんはとても優しいですね」

「そんなこと……」

「お話の続き、聞いてもらってもいいですか?」


 少しだけ離れて温もりが遠くなります。

 黙ったまま私の目をまっすぐに見つめて、彼女は頷きました。


「ある日、私が山奥で山菜を摘んでいると山で迷ったと言う人族の男に出会いました。初めて見た人間の男の人だったので勿論警戒しました。でも私は油断してしまったのです。迷ったから助けてほしい、山を下りたい。せめて川まで案内してほしい。そんな口車に乗って、私はその人を助けようとして……、気付いたら意識を失っていて」


 警戒を解くべきではなかった。

 見つけた時に近付くべきではなかった。

 後悔はあれから毎日しています。


「次目覚めたときには首にこれが」


 そう言って私の首にはまった金属の首輪を指差します。


 奴隷隷属の首輪。

 奴隷の証明であり、契約した持主の所有物となる証。

 そして奴隷を縛る契約でもあります。


「貴女も、人攫いに……?」

「はい。私も攫われて、奴隷として売られるところでした」

「ところでした?」

「そうはならなかったのです」


 私の女神さまが助けてくれたんです。


「攫われた私は人攫いから金貨五枚で奴隷商人に売られて、まるで荷物のように荷馬車に詰め込まれました。その時のことは私も悲しみの淵で絶望していたのであまりはっきりとは覚えていないのですが、とても劣悪な環境だったと思います。でも、そんな環境が気にならない程度には私はこの現実から目を背けていました」

 

 愚かな自分に絶望し。

 卑怯で姑息な人族を嫌悪し。

 奴隷として生きる未来に心を折られ、思考することを放棄していたのです。


「奴隷を運ぶ馬車の荷台が突然横転しました。あの時は本当に世界がひっくり返ったかと思いましたよ。馬車の荷台は運ばれる奴隷で満杯でしたので、荷台の中は地獄のような光景でした」


 人と人がぶつかり合い、人が人を圧し潰し。一番下にいた人たちは悲鳴を上げることすら出来ないまま、一瞬で物言わぬ亡骸へと変貌していました。幸いにも生物というクッションがあったおかげで上にいる人達は助かりましたけど。

 

 それでもその横転で多くの奴隷が命を落としました。


「横転で沢山の奴隷が亡くなりました。けれどその時はまだ生き残りもいたのです。でも横転した理由そのものが私達を襲いました。……馬車が横転したのはブラックベアに襲われたからだったのです。ブラックベアはその強力な腕と鋭い爪で馬車の上半分を吹き飛ばします。私が偶然助かりました。私だけが、本当に運が良かっただけです」


 私より下の人たちは下敷きとなり死んで、私の周囲と上の人はブラックベアの爪で致命傷を負いました。


 本当にたまたま偶然。

 ブラックベアの爪の間をすり抜けるような奇跡で。

 私は生き残ったのです。

 私の体が人一倍小さいことも助かった要因のひとつかもしれません。


「でも次の瞬間に私の命は終わる筈でした。なにせ目の前では血肉を絡ませた鋭いブラックベアの爪が、今まさに私目掛けて振り下ろされようとしていたのですから。ここで終わるんだ。本気でそう思いました。でも終わりではなかった。……女神さまが助けてくれたんです」


 あの時のご主人様は本当に女神さまのようでした。


 美しくて。

 神々しくて。

 

 そして圧倒的に強い。


「私はその時誓ったんです。私はこの女神さまに一生尽くそう。女神さまの為にこの命を捧げようって」

「その人が……」

「はい、私の奴隷契約の相手。ご主人様です」


 私の髪を綺麗だと褒めてくれた。

 優しく頭を撫でてくれた。

 不安な心を解きほぐすように後ろから抱きしめてくれた。

 私を可愛いと褒めてくれた。

 奴隷である私に立派な服を買い与えてくれた。

 私を信じてくれた。

 誇ってもいいと言ってくれた。

 膝枕をしてくれて。

 戦うための武器も与えてくれて。

 はぐれないように手を繋いでくれた。


 いつも優しく見守ってくれて。

 

 私を大切にしてくれるご主人様。


 そんなご主人様が私は大好きだ。


 シアンは奴隷の身でこんなこと思っちゃいけないけど。

 

 誰にも言えないけど。


 私を絶望の淵から救い上げてくれたご主人様をお慕いしているのです。


 私は心を曝け出しました。

 だから貴方も曝け出せなんて言えません。

 アニスさんの心はアニスさんだけのもの。

 でも、この話を打ち明けた今なら。


 先程と彼女に届く思いは違うと思います。


「貴女にとってオウカさんはどんな人か、シアンに教えてください」


 彼女の目をまっすぐ見て言いました。


 アニスさんも同じくまっすぐな瞳でこちらを見返しています。


 沈黙すること十秒ほど。


 彼女は口を開きます。

 こうして彼女は語り始めました。


 彼女の心を。

ストック0で前日書いたものを投稿する毎日です。

なんとかギリギリ毎日投稿継続中です。

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