感情の決壊
目の前の軽薄そうな男が突然真っ二つに斬れました。
ええ、それはもう見事に左右半分です。
決めた覚悟がどこかに吹っ飛ぶような衝撃的な光景。
それを塗り替えるさらなる衝撃が私を襲いました。
正直自分の目が信じられません。
これは幻覚でしょうか。
「セシリア、無事なようで良かった」
そこには男の血で真っ赤に染まった剣を握りしめたサラサがいました。
え、だって今までこの部屋には私と軽薄な男二人だけで。
気配なんてしなかったし。
足音も聞こえなかったし。
だって何度も確認した。
失敗は許されなかったから神経質に探った。
目の前の男は確実に一人っきりだった筈だ。
「あ? なんでいきなり気配が一人分増えてんだ?」
オウカの声が遠くから聞こえてきます。
「他に誰かいるのか。……セシリア、時間がない急ごう」
サラサが剣を振って私の手錠に繋がった鎖を両断します。
「えっと、待ってサラサ。えっと鍵、男の人が鍵……」
「え? ああ、こいつ鍵持ってるのか」
「そう、でね。あのね……。私、わた、私……」
あれ。
どうして声が震えて。
視界が滲んで。
なんだ。なにこれ。
震えが止まんない。
どうして?
え、何が起こって……。
「セシリア、もう。安心していい」
気付けばサラサに抱きしめられていて。
私は我慢出来ずに何かが決壊したかのようにわんわんと泣いた。
子供のように。
それはもうみっともなく泣いた。
「おーい、いい感じのところ悪いがこっちの鍵も開けてくれねぇかい?」
「うるさいな、誰だお前?」
「そこで泣いてるお嬢ちゃんの協力者だよ。まさか自力で脱出する前に外から助けが来るとはね。ここに忍び込めるような実力者だ、凄腕なんだろ?」
「残念ながら凄腕なのはあたしじゃない」
「あん?」
いつまでも泣いている時間はない。
サラサが言っていた。
急げって。
私は強引に感情を押し殺してほんの少しだけ深呼吸を挟む。
男の懐から鍵を奪ったサラサは私の手錠を外してくれた。
その彼女に伝える。
「滅茶苦茶な人だけど、私の協力者でここについて知ってる。信じてあげて」
「……お荷物抱えて逃げる余裕はないぞ?」
「荷物にはならねぇ。約束する」
「口だけなら何とでも言えるだろ?」
「おいおい、この状況で口以外でどうしろってんだい?」
「それもそうだな……。お前を信じるつもりはないけど、あたしはセシリアを信じるよ」
サラサは鍵を使って隣の扉を開ける。
なるほど隣だったのね。
私も彼女に続いていく。
声だけ知っているオウカ。
彼女の姿を初めて見た。
まずは鮮やかなピンク色の髪に目を引かれる。
そしてあまりにも鋭い黄色の眼光。
見たこともない変な服を身に纏っていて。
胸に何かを巻いています。
異国の方、でしょうか。
「サラサだ。セシリアの家族で仲間で親友だな」
「あたしゃオウカだ。よろしく頼む」
「えっと、改めましてセシリアです。協力して脱出しましょう」
オウカは手錠を外し自由になると肩を勢いよくぐるぐる回して言います。
「それにしても自警団の本部の最奥部であるここによく忍び込めたな、本当に大したもんだ」
「ええ!? ここ自警団の本部だったんですか!?」
「ああ? 言ってなかったっけか?」
「言ってませんよ!! 聞いてませんっ!!」
「おい、本当に時間がないんだ。お喋りは歩きながらにしてくれ!」
私達はいくつもの重厚な鉄の扉が並ぶ長い廊下を歩きながら話します。
「リリアが正面玄関から応接間らへんで暴れてるんだ。囮になって敵を引き付けてくれてる」
「ええ!? リリアさんが!? 自殺行為ですよ!!」
「……そのリリアってのは?」
「えっと、私達の冒険者パーティの仲間です」
「一人で自警団の本部を襲撃なんて正気じゃないねぇ」
「だから時間がないって言ってんだ!」
辱めを受けたトイレを通り過ぎると上へと続く階段があります。
迷いなく進むサラサに続くように私とオウカさんは進み、そして階段を上がり切った先で息を呑みました。
多少開けた空間。
石造りの小部屋。
そこにはテーブルと椅子が並び、そしていくつもの死体が転がっていました。
食事中だったのか肉料理の乗った皿の上には臓物と血肉が飛び散り、壁には血の跡がべったりとこびり付いています。
これをサラサが? たった一人で?
確かにサラサは優れた剣士です。
それは私自身が良く知っていて、何度もその背中に助けられてきました。
けれど、これだけの人数を一方的になんて可能なのでしょうか。
「妙だな……」
「オウカ?」
「応戦した様子がない。まるで食事中にいきなり背中から斬られたような」
「……おい、十秒くらいさっき上がって来た階段見ろ」
「何言ってんだ?」
「いいから」
オウカと私は大人しく従います。
心の中できっかり十秒数えて振り返ると。
そこにはサラサはいませんでした。
「え……?」
「消えた、だと?」
忽然と。
足音も。
消えた気配もなく。
この部屋から姿を消していました。
「消えてない」
え?
今あり得ないことが起きました。
どこにもいなかったサラサがそこにいたのです。
彼女が言葉を発した瞬間にそこに現れたと表現するのが最も相応しいでしょう。
「あたしはここにずっといたよ」
どういう、こと?
「一歩も動いてない。意識して見てないと認知から消えるんだと。そういう魔法を付与されてる」
「なんだその滅茶苦茶な魔法は!?」
「あたしも半信半疑だったけど、こっちから話しかけない限り気付きやしない。これで不意打ちして一方的に虐殺できないなら冒険者失格だな」
「それでここまで来れたのね……」
「あとはリリアが引き付けてくれてるのもデカいけどな。とにかく、ここに来るまでに相当始末してる。道中は安全だ。ただシアンの姿が見当たらない」
「え? シアンちゃんもここに!?」
「リリアはそう考えてる。でも見つからないんだよ……」
時間がないのにシアンちゃんの居場所を探さないといけない。
ここにいるかも定かじゃないのに。
余裕はない。
ある程度のあてがないと時間は無駄に出来ないのだから。
どうすればいいか、熟考する私。
その時オウカが言います。
「そのシアンってのは攫われた奴隷候補かい?」
「ああ、そうだ。あたし達の仲間だよ」
「もしかして希少な種族じゃねぇだろうな?」
「……私達も詳しくはないのですけれど、リリアさん曰く、シルバーテイルという希少種だという話です」
「ならもっと上等な部屋に軟禁されてる。……上だな」
「なんでそんなこと知ってんだ?」
「オウカはもともとここで働いていたらしいのよ」
「それがあんな独房いきとは難儀な人生だな」
「そりゃどうも……、っていいもん見つけたよ」
いつの間にか部屋を物色していたオウカが長細い棒のような物を見つけます。
艶のある真っ黒な棒で、少し反りがありました。
「なんです? これ」
「相棒だよ」
「相棒?」
オウカはにやりと笑うと掴み、それの中身を引き抜きました。
「あたしの、刀さ」
それは美しい刃物でした。
弧を描き、まるで三日月のような形をしています。
側面に波打ったような模様があり、その刀身は怪しく光を反射していて、見る者を誘惑するようなそんな独特の美しさがありました。
「なんだそのほっそい剣は?」
「あたしのいた大陸では皆使っていた武器だよ」
オウカは刀と呼ぶ刃物を納めるとそれを腰の服を縛る布に差し込みます。
「あたしゃサムライだからね」
その姿はなんというか完成しているというか、その刀という武器と一心同体というか。
彼女は刀とあることでようやくひとつの存在なのだと思わされる。
そんな雰囲気がありました。
「ついてきな、アンタらの目的の場所は恐らくあたしと同じだよ」
こうして先導するオウカに続き、私とサラサは先を急ぎました。
 




