シルバーテイル
エルフの長い耳は周囲の音をよく拾う。
だからそれに気付いたのも当然だった。
男集団の怒号と悲鳴。
そして獣の慟哭。
肉が引きちぎれる音と剣戟の音。
誰がどう考えてもモンスターとの戦闘の音だった。
「避けて通るのが安全なのは間違いないけど」
リリアの中身は俺。つまりネット小説大好きな二十代後半いわゆるアラサーの男性だ。
異世界転生ものに毒されたその頭はこれをイベントと考えている。
ここが転生した現実世界だと認識した今でも俺はどこかまだゲーム感覚でいた。
避けて通れば安全だがこのイベントを逃しては勿体ない。という後から考えれば意味不明な理由でその足は騒音の方に向かって行った。
結論から言うと辿り着いた時にはモンスターが皆殺しにしていた。
床には折れた武器や砕けた防具が散乱し、馬車は横転してるし馬は肉片になってるし。多分数分前まで生きていた人達は肉と臓器になってそこら辺に散らばっていた。
不思議なことに嫌悪感も吐気もない。
定期検診の血液検査で自分の血を見るだけで気分が悪くなる俺がである。
ここがゲーム世界だと思っているからなのか、それとも転生した時に何かがおかしくなってしまったのか。
とにかく頭は冴えていて不思議なくらいに冷静だった。
そのモンスターはブラックベア一体でそんな脅威ではない。
リリアのレベルが引き継がれていればの話だが。
ブラックベアは高い物理攻撃力と物理防御力で序盤の難敵として有名だが、致命的に魔法防御が低い。
パーティーに魔法アタッカーがいればその高い経験値から序盤のレベリングとしてはかなり効率が良い。
物理攻撃しかないならば強敵だが魔法攻撃手段を持っていれば美味しい餌にしか見えなくなる。
そんなモンスターだ。
俺がやっていたゲームの通りなら。
ブラックベアは血肉に塗れた腕を振り上げて今まさに馬車の荷台に振り下ろそうとしている。
何故か。
それはよく見たら半壊した荷台の残骸に生き残りがいたからだ。
咄嗟のことだった。
出来る。と、確信した。
方法も訳も分からず。
ただ勝手に体と口が動く。
まるで自分の体ではないみたいに。
「アイシクルピアス」
掌をブラックベアに向ける。
虚空に魔法陣が描かれて。
次の瞬間には鋭く尖った氷の塊が弾丸のように飛んでいき。
ブラックベアが木っ端微塵に爆発四散した。
あ、これはレベル引き継いでるわ。
その光景を見て確信した。
アイシクルピアスはかなり初歩的な氷属性魔法だ。
ブラックベアを倒すのに初期レベルの攻撃魔法系役職で恐らく二発〜三発の乱数が発生する。
それが補助職のキャラで一撃。それも恐らく過剰なダメージで。
これは高レベル高ステータスによる過剰な威力であることの証明だろう。
いくら基礎ステータス半減の影響があってもレベルはカンストしたキャラのステータスだ。
初期エリアのブラックベアくらい敵ではない。
威力が高過ぎてもはや死体と呼べる形状をとどめていないブラックベアだっただろう残骸に近付くとこちらを呆けたように見つめる美少女がいた。
リリアもかなりの美少女にデザインしたが、その少女もそれに負けず劣らない。
まず目に付くのは首元だ。
見覚えのある無骨なデザインの首輪が装着されている。
奴隷の証だろう。
そして美しい銀髪。肩ほどで切り揃えられたその髪は幻想的な印象を受ける。
頭には狐のような耳。
そして見るからにもふもふでふさふさな銀色の尻尾。
整った顔立ちはまだ幼さが残り、しかし近い将来確実に美人になるだろうことは明らかだ。
亜人種で銀色の狐。
ゲーム内でも超がつくレア種族。シルバーテイルだ。
課金ガチャで手に入る非常に希少なアイテムを使わないとキャラ作成時に選択出来ないレア中のレア。
欲しいと思った。
思った時には既に動いていた。
リリアの美しい手が勝手にシルバーテイルの頬に伸びる。
綺麗な指先で撫でるように彼女の頬に添えて。
「貴女の名前は?」
「わ、……私は、私の名前はシアン、……です」
「そう、シアン。貴女が欲しい」
真っ直ぐに見つめてそう囁いた。
「はい。……シアンはご主人様の物になります」
恍惚とした表情でシアンはそう言う。
まるで見惚れたように。
恋する乙女のように。
頬を赤く染めた彼女は、とびっきりの笑顔で頬に添えられた手に頬擦りをした。
背中の奴隷紋が淡く輝き、リリアとシアンの間に見えない絆が結ばれる。
主従契約。それが二人の間に出来上がっていた。
積み上がった死体の山の上で。
散乱する肉塊の中心で。
赤く染まった地獄のような風景の中。
二人は結ばれたのだ。