サラサ
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セシリアはあたしに言った。確かにこう言った。逃げて。と。
逃げて。じゃないんだよ。
冗談じゃない。
物心ついた時には気付いたら隣に居た。
孤児院で育ってずっと一緒だった。
誰よりも仲が良くて大切で大事な親友をここで見捨てるくらいなら。
死んだ方がマシだ。
地面が砕けそうな勢いで踏み込む。
全身全霊でセシリアの目の前に体を滑り込ませるように飛び出し、己の全力でブラックベアの爪に剣を合わせる。
あまりの衝撃に全身がバラバラになりそうだ。
それでもなんとか爪を受け流すことに成功した。
「なに勝手に一人で諦めてんだ!! お前はあたしと二人で生き残るんだよ、そうだろ!? なぁ!! セシリアっ!!!!」
腰が抜けて動けないセシリアに向かって檄を飛ばす。
立ち上がれなくても、魔法を使うことは出来る。
諦めなければまだ生き残る道は残っている筈だ。
「補助と回復は頼んだ!!」
あたしの背中を守るのはセシリアだ。
セシリアの魔法が援護してくれる限りあたしが負けることはない。
あたしの後ろにいるセシリアには指一本触れさせるもんか。
「しっかりしろ!! お前はあたしの相棒だろ!?」
返事はない。
代わりにあったのは魔法の発動だ。
「プロテクション!!」
耐久力向上の補助魔法。これがあればブラックベアの攻撃も致命傷ではなく重傷程度に抑えられるかもしれない。
即死さえしなければ回復魔法で誤魔化せる。
続くブラックベアの攻撃。再び振るわれた鋭い爪の引っ搔きを剣で受け流す。
たった二撃。
それを受け流しただけで手が痺れる。
「セシリア!!」
「インスタント・キュア」
名を呼ぶだけで意思疎通は完了した。
手の痺れから三度目は受けられないと判断。握力の低下で剣を手放す前に回復を求め。
そしてそれを察したセシリアは素早く簡易治療魔法を発動した。
阿吽の呼吸。
僅かでもミスがあれば即死に繋がる極限の状況でも二人は間違えない。
ブラックベアは隙だらけだ。
完全にこちらを舐めている。
当然だ。
こちらにあの頑丈な体毛を攻略する方法はない。
剣で斬りかかっても致命的な隙を晒すだけだ。
なので攻撃しないで耐え続ける。
一秒でも長く戦闘を長引かせるのだ。
ブラックベアがその大きな口を開いて噛みつきに切り替えた。
爪での攻撃では埒が明かないと判断したのだろう。
本来であればステップするなりで回避すれば簡単に対応出来る攻撃だ。
しかし今は事情が違う。
後ろにはセシリアがいる。
回避は出来ない。
しかし防げば間違いなく剣が折られる。
追い詰められた。
思考を切り替える。
口はあの鋼のように頑丈な体毛に覆われていない。
弱点を晒しているのだ。
守って駄目なら。
攻撃するしかない。
逆転の発想だ。
剣を水平に構え、ブラックベアの喉目掛けて剣先を定める。
こちらを絶命させるに十二分な破壊力を持った牙が迫りくる中。
あえて前に踏み込む。
腕一本くれてやる。
その覚悟で。
あたしは全力で剣を突き出した。
「喰らいやがれっ!!」
剣が肉を貫く感触とあたしの腕に牙が食い込む感触が同時にやってくる。
まだ生きてるってことはブラックベアの噛みつきはなんとか止めたってことだろう。
あたしの剣はブラックベアの喉を貫いていた。
そしてブラックベアの牙もあたしの腕と肩に深く突き刺さっている。
痛みからか喉に刺さった剣のお陰か。なんとかあたしの腕は食い千切られずにいるらしい。
剣を持つ腕が熱い。
燃えるように熱い。
感覚が殆ど残っていない。
本当にまだ腕は繋がっているのか。
剣は手放していないのか。
分からない。
ブラックベアの顔がすぐ目の前にある。
その瞳があたしを見て。
怒り狂ってあたしを振り払うように頭を大きく振った。
天と地がひっくり返ったかのような浮遊感。
そして背中から叩きつけられた激痛。
肺の空気を全部吐き出して、あまりの衝撃に呼吸すらままならない。
呻き声すら上げられない苦痛の中。
遠くからセシリアの声が聞こえる。
「ファースト・エイド!!」
応急回復魔法だ。
痛みが引く。
なんとか立ち上がると、目の前にこちらを睨みつけるブラックベアがいた。
腕を振り上げている。
あれに直撃したら死ぬ。
全力で横に飛んだ。
転がるように地面に飛び込む。
少しでも距離を取るように足をばたつかせるように地面を蹴った。
体勢を崩して顔面から地面に突っ込み口の中に土の塊が入る。
それを吐き出す暇もなく。
なんとかもう一度立ち上がる。
そこには首の後ろから剣が突き出しても尚、力強い眼光でこちらを見据える化物がいた。
とてもじゃないが倒せる気がしない。
剣も失ってしまった。
右手もまともに動かない。
膝も笑っている。
もう恐怖で震えているのか疲労で震えているのか判別がつかない。
あたしは気力だけで立っていた。
体力は既に限界だ。
噛みつかれ、叩きつけられただけで殆ど戦闘不能まで追い詰められてしまった。
セシリアの回復魔法は優秀だが、体力が尽きかけて右腕の重傷を負った状況を改善することは出来ない。
それでも心は折れなかった。
あたしだけならあるいはもう既に折れていたかもしれない。
しかしここにはセシリアがいる。
あたしが諦めればセシリアは死ぬ。
そんなことは許されない。
絶対に許したくはない。
「来いよ、化物。……両手失っても腸食い千切られてもその喉に食らいついてやる」
「ダメっ!! もういい!! サラサだけでも逃げて!!」
それは無理な相談だ。
あたしはセシリアを裏切らない。
死ぬときは一緒だ。
第一、そもそもここから走って逃げる体力なんて残ってはいないのだ。
ブラックベアがその両手をついて四足歩行となり、その巨体を突撃させてくる。
身を捩って躱そうとするも上手くあたしの身体は動いてはくれない。
躓く様に地面に倒れる途中で全身の骨が砕けるかのような衝撃で吹き飛ばされ――。
初めてセシリアを見たとき。
妖精かと思った。
それだけ可愛くて浮世離れしていたんだ。
あたしは昔からガサツで男の子のようだと言われて育ってきた。
女の子らしくなんて言われても従わなかったし、あたしはあたしらしくでいいんだって思っていた。
でも確かに憧れは少しはあって。
あたしの憧れた女の子ってやつは間違いなくセシリアそのものだった。
大人しくてお淑やかで。
家庭的で優しくて。
そして誰よりも可愛くて綺麗だった。
同じ女のあたしが見惚れてしまうくらいに。
腰まで届く長い髪の毛は色素の薄い水色で癖っ毛で遊ぶようにくねくね巻かれていて。
二重のぱっちりで大きな瞳は深い海のような濃い青色で見ていたら飲み込まれそう。
睫毛も長くて。肌も白くて。
人形のように整ったその造形は芸術品のようで。
見る人の息を呑ませるような美貌なのに、笑うと朗らかで皆をほっとさせるのだ。
私はセシリアの笑顔が大好きだった。
セシリアは成長すると共にどんどん美しくなった。
色褪せることなんて全然なくて。
見飽きることもなかった。
そんな彼女の一番近くにいられることが。
セシリアの親友であることがあたしの自慢であり誇りだった。
一緒に冒険者になったのはあたしの我儘だ。
頭が悪くて剣しか取り柄がないあたしと違ってセシリアには選択肢があった。
あの美貌と性格で家庭的な彼女は引く手数多だ。
恋人だって結婚相手だって困ることはない。
あたしと違って頭もいい。
それに回復魔法は需要が多い。
セシリアは本当は冒険者なんてしなくても生きていけるのだ。
だから一緒に冒険者になったのはあたしの我儘だ。
あたしがセシリアをこんな危険な世界に連れてきた。
だから責任がある。
絶対に。
命に代えても。
セシリアを生きて返す責任があたしにはある。
「――サラサっ!!」
目を覚ます。
目の前にはセシリアがいた。
どうやら意識を失っていたらしい。
意識がはっきりするにつれて全身が焼けるように痛い。
痛みで再び意識を失いかける。
舌を噛んで無理矢理意識を繋ぎとめた。
どうなっている。どれだけの時間意識を失っていた。
まだ生きてる。
あたしも、セシリアもだ。
確かあたしはブラックベアの突進を躱せずに直撃し、吹き飛ばされた筈だ。
そこで意識を失った。
どうやらあまり時間は経過していないらしい。
意識を失っていたのはほんの一瞬のようだ。
吹き飛ばされたのはセシリアの目の前、手の届く距離だ。
セシリアがこちらを見ている。
泣いていた。
泣かしたのはあたしだ。
本当に嫌だ。あたしのせいでセシリアが泣くのは。
彼女には笑顔が似合う。
ずっと笑っていて欲しい。
恐らくブラックベアがとどめを刺しにこちらに来ているのだろう。
もう指一本動かせる気がしない。
セシリアが必死に回復魔法をかけているがそんなものではすぐに動けるようにはならないだろう。
もう尽きかけているあたしの命の灯を繋ぎとめるのが精々だろう。
認めたくないが、ここで死ぬのだ。
あたしとセシリアは。
だから最後に伝えておこうと思った。
悔いの残らないように。
「セシリア、……聞いてほしい」
返事は聞こえない。
セシリアが何かを答えているが、耳鳴りが酷くていまいち聞き取れないのだ。
だから勝手に言葉を続ける。
「あたしに付き合わせてごめんなさい。冒険者になんて無理矢理付き合わせてごめんなさい。もっとセシリアには幸せな未来が沢山あったのに、こんな最後で本当にごめんなさい」
許してはもらえないと思う。
それでも心を込めて謝った。
自己満足かもしれないけど。
「うるさいっ!! ばかっ!!!!」
耳鳴りが煩かったのに。セシリアのその言葉だけはいやにはっきりと聞こえた。
声を荒げて、怒りを隠そうともせず、感情をぶつけるように怒鳴るセシリアの姿は初めて見た。
「なんでそんなこと言うの!? 私は幸せだった!! サラサと一緒で幸せだった。私はサラサに付き合わされたんじゃない!! 私が一緒にいたかったの!! 私がサラサと一緒に冒険者をしたかったの!! どうしてそんなことも分からないの!?!? ずっと一緒にいたのに、分かり合えてると思ってたのに!!」
ああ、あたしは本当にばかだな。
何も分かってなかった。
こんな死の淵に追い込まれるまで気付かないなんて。
本当にどうしようもないばかだ。
だって伝えないといけない言葉はごめんなさいじゃなくて。
きっと。
「セシリア、あたしの親友になってくれてありがとう」
「本当にサラサはばかだよ。そんなの私の台詞だよ……」
涙でぐちゃぐちゃになった酷い顔だけれど。
流石の美貌も台無しだったけれど。
それはセシリアの笑顔だった。
あたしの大好きな彼女の表情だった。
「放てぇっ!!!!!」
遠くからの野太い声とほぼ同時に雨のように降り注ぐ矢。
こちらを睨みつけたまま退くブラックベア。
それを見たあたしは意識を手放した。
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