転生したのはサブアカウントでした。
目覚めたら知らない景色だった。
少なくとも自室の天井ではなく、目の前には雲ひとつない真っ青な空が視界いっぱいに広がっている。
肌に刺さるチクチクとした感触がくすぐったく、どうやら草の上に仰向けで寝ているらしい。
上体を起こして周囲を見渡してみる。
思わず息を呑んだ。
圧倒的なその光景に、だ。
遥か彼方に見える、空に浮かぶ大きな島。
岩肌からは大量の水が流れ出てその滝は地上にたどり着く前に霧となって消えている。島の上には木々が生い茂っており、人工物らしき建物の影も見える。
とても現実の風景には思えない。
目の前にある巨大な湖には見覚えのある幻想的な蝶が舞うように飛び回っている。
そう、自分はこの景色を知っている。
空に浮かぶ島も。巨大な湖も。幻想的な蝶も。全て。
しかしあり得ないのだ。
存在しない筈のものだ。
何故ならその景色は液晶越しに見ていたもの。
自分がやり込んだゲームの世界にある景色そのものなのだから。
「なるほど、夢か」
呟く声に驚く。
「……え?」
声が高い。
とても二十台後半の男性のものとは思えない。
「なん、……で……?」
鈴を転がしたような透き通ったボイス。
高い女性のもの。
いや、女性というには幼い。まるで少女のような。
立ち上がってみてあまりにも低い目線に違和感が拭えない。
ふらつきながらもなんとか湖まで歩き、水底が覗き込めるほどに透き通った湖の水面に映り込む揺らいだその姿を見て納得した。
そこに映っていたのは紛れもなく少女。
それも。
見覚えがあるどころの話ではない。
毎日見ていた姿だ。
その背中をここ最近毎日何時間も見ていた。
何度も何度もやり直して少しずつ調整してようやく納得がいったその姿は完成までに一週間を費やした。
自分がやり込んだゲームの操作キャラクター。
「嘘だろ……」
見た目10代前半のエルフ族。
煌びやかな金髪の枝毛や切れ毛の見当たらない艶々な腰まで伸びたストレート。絹のように滑らかなシミひとつない雪のように真っ白な肌。宝石のように輝いているエメラルドグリーンの瞳。
自分の性癖を詰め込んだ傑作がまさにそこにいた。
「痛い」
頬をつねってみるが夢は覚める気配がない。
いや、夢なのだろうか?
しかしこのリアリティは夢とはとても信じられない。
肌を撫でる生暖かい風も。
森の中特有の酸素が濃く感じる空気も。
湖から感じる湿気も。
その全てがこの世界が現実であると訴えてくる。
「もしかしてこれ転生ってやつか?」
俺はネット小説ってやつを好んで読んでいる。
仕事の昼休憩や通勤時の空いた時間に少しずつ読み進めるのが日課になっていて、そのため転生ものの物語も嫌というほど見てきていた。
仕事が嫌すぎて現実逃避した極みの幻覚やあまりにもリアル過ぎる夢である可能性を除けばこの状況はゲームの世界に転生したと考えるのがしっくりくる。
となればとりあえず試すことは例のアレだ。
「ステータスオープン」
うんともすんともいやしない。
言葉が間違っていたのか。それともそういうタイプの異世界転生じゃないのか。
というか現実の俺はどうなったのだろう。
正直ここで目覚めるまでの記憶があまりはっきりとしていない。
どこか朧げというか。
寝て起きたらこうなっていた気もするし、そうでない気もする。
「とりあえず細かいことを気にしても仕方がないか」
転生したのは仕方がない。
正直仕事は嫌いだし、ゲーム以外の趣味もない。
嫁もいなければ彼女もいない。
友人もネットゲームの世界にしかいない。
現実にそれほど未練がないのだ。
もう戻れないと言われても困るのは漫画の続きが読めないとか、ネット小説の続きが気になるとかその程度のものだ。
それよりも残念なのはよりにもよって転生したキャラクターがこのリリアと名付けたエルフだということだ。
俺はアカウントを複数持っていた。
やり込みにやり込み抜き、鯖内ランキング上位まで食い込んだメイン垢。
友人を誘って一緒にやるために新たに作ったサブ垢。
PK用の垢。実験用の垢。
そしてこのリリアの垢。
リリアはサポートに特化した補助極振りの性能をしており、ソロでやることを一切考慮していない。
サポートとしての性能は一級品だ。出来ないことはないといっても過言ではない。
しかしその代償として重いデメリットを多く抱えている。
例えば自身のステータス半減。自身の攻撃によるダメージボーナスの全カット。クリティカル判定が0%であったり例を挙げればキリがない。
キャラクターのレベルはカンストしているが、ソロでのその実力は正直実際のレベルの半分以下だろう。
つまりは絶望的に転生するキャラとしては向いてない。
異世界転生無双で俺最強が出来ないのである。
「ここがまだ初心者御用達の初期エリアだからまだいいけどさぁ」
間違って高難易度エリアに飛ばされていたら危うかった。
リリアのソロなんて自殺に等しいのだから。
そもそもレベルは引き継いでいるのだろうか?
ステータスが見れなかったので分からない。
着ている衣装は確かにゲーム最後の装備と同じだが、杖が見当たらない。
とにかく情報が欲しい。
「ここら辺のモンスターと戦って試すのは簡単だけど、レベルリセットされてるなら本当に死ぬ」
このキャラクターは作成初期段階から全て計算して作ったものだ。サポートキャラとしての完成系を描きそこから逆算して育成した。
つまり味方に依存したパワーレベリングを前提にしてあるので自身が戦ってレベル上げなんて全く想定していない。
レベルカンスト状態ならばいくらソロ向きではないとはいえ、中級者帯までならなんとかなる。
しかしこの世界がゲームではないなら恐らくこの体に宿る命はたったひとつだ。
リセットもコンテニューもない。
死んだら終わり。
戦って試すにはリスクが重すぎる。
となれば、必要なのは仲間だ。
正直このキャラがゲームのままならサポート性能はぶっ壊れている。
中級者クラスを上級者クラスまで押し上げることも不可能ではないだろう。
しかし貧弱なこの体は味方に裏切られたらひとたまりもない。
抵抗虚しく全てを失うことは想像に難くない。そしてそういう小説ではよくある展開だ。
異世界で不安な主人公が心を許した相手が実は盗賊で裏切られてなんてあまりにもベタ過ぎる。
擦られ過ぎてお約束まである。
そんなのは絶対に嫌だ。
となれば必要となるのは絶対に裏切らない味方。あるいは手下だ。
テイム技能があれば色々手段もあるが、もちろんリリアにそんなものはない。
考えつく手段はふたつ。
心を許せる信頼出来る仲間を見つけるか、あるいは奴隷を購入するかだ。
どちらにしたってこの湖で出来ることは限られている。
まずは近くの街に向かうのが先決だろう。
なるべくモンスターに遭遇しないように、遭遇したとしても逃走を試みて最悪はレベルがそのままであることを信じて戦うしかない。
そもそもどうやって魔法を使うかも分からないこの状態で戦えるか未知数ではあるものの。
とりあえずの方向性は定まった。
ゲームの通りの街なら場所はなんとなく分かる。
「とにかく街に向かって歩いてみるしかないよな」
こうしてゲーム世界に転生した新たな人生の幕が開かれた。