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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

聖なるどろどろ

作者: 河辺 螢

 もう終わりだ。

 ここで命運は尽き果てた、そう思った。

 切れかかった腕。脇腹の深い傷。足は折れ、もう立ち上がることもできない。

 周囲には、既に事切れた味方の兵。

 もう数分後には、自分もまたあの兵達と同じく、苦しみを顔に彫り込んだまま永遠の眠りにつくのだろうか。

 全身の痛みに気を失いそうになりながらも、地面に爪を立て、幾分かでも動こうともがくが、もはや何をすることもできず…


 諦め、力尽きようとしていたところに、何か液体がかかった。それもバケツでぶっかけたように全身にばしゃりと。

 …

 ……っ

「うええええええっ!」

 あまりの強烈な匂いに、思わず声が出た。

 何を腐らせたらこんな臭いになるのか。そしてその臭いを出すにふさわしい、不吉な色。深い深い緑に黒、紫…何を混ぜても表現しがたい色の液体が、死を迎えようとしている我が身にぶちまけられたのだ。

「何をするかっ!」

 怒りに立ち上がると、粘りをもった沼色の液体がどろりと垂れ落ちてきた。顔に着いたどろどろを手でふき取り、見ると、…そこにはその液体と同じ色のローブを着た人間がいた。

「あ、生きてた」

 思ったよりも声は甲高く、幼く聞こえた。

 手に持ったバケツは空っぽで、恐らくそのバケツの中にかけられた液体が入っていたのだろう。

 辺りを見回すと、皆同じ液体をかけられていたが、起き上がっているのは俺一人だった。

「やっぱり死んじゃったら効かないね…」

 効く?

 ふと見ると、折れた足も、切れかけていた腕も、脇腹から流れていた血も止まっていた。全身の痛みも知らない間に治まっていて、激痛を発するような傷は何一つない。

 さっきまで死を覚悟していたのに、今、俺は起き上がっているじゃないか。

 こ、…これは一体…。

「元気になったら、とっとと帰りな」

 沼色の人がバケツを水平にし、怪しげな呪文を唱えると、バケツは再びあの沼色の液体で満ちていた。

 それを周囲にまき散らしたが、結局自分の他には誰も文句を言うことはなかった。沼色の人はその辺の死体に沼色の液体をかけ終わると、ふうっと溜息をつき、近くに止めてあった荷馬車に乗って立ち去ろうとした。


「ちょっと待ってくれ。よければ街まで乗せて行ってくれないか」

「街には行かない。これから家に帰るところ。街はあっち」

 沼色の人は馬の鼻と反対方向を指さした。

「それでも…、うっ」

 慌てて駆け寄ろうとしたが、急にめまいがして力が入らなくなり、その場に両膝をつくと、沼色の人は荷馬車から降り、こっちに寄ってきた。

「さっきまで死にかけて、血も大量に流れてたんだ。無理はしないほうがいい。…仕方ない、明日街まで送ってやるから、今日はうちに来な」

 肩を借りて荷馬車のところまで行き、荷台に横になるといつの間にか眠りに落ちていた。


 翌朝、目覚めれば馬小屋の端で藁の中に突っ込まれていた。

 藁を敷き詰められた小屋の端で尻尾で虫を追いながら草を食んでいる馬。

 あのまま寝てしまっていたらしく、乾いたあの沼色の液体が固まり、腕を近づけると幾分か薄まってはいるものの、あの独特な臭いが漂っていた。

 剣を刺され、裂けた服から見えた地肌には傷ひとつ残らず、少々血の気は足りないが、死にかけていたのが夢のように思えた。

 それにしても馬小屋に放置とはずいぶんな扱いだ。しかし、こんなに臭う人間をここまで運んでくれただけでも感謝しなければいけない。


 外に出るとそこは森の中で、馬小屋のそばには小さな庵があり、煙突から煙が出ていた。

 昨日の人の家なのだろうか。訪ねて行くにもずいぶんな匂いだ。近くに川でもあれば洗い流した方がいいかもしれない。

 付近を歩き回ると、小川があった。顔を洗い、口に含むと、ほんのりと甘みがあって実にうまい水だった。喉が渇いていたことを思い出し、ごくごくと飲んだ。

 続けて体を洗おうとすると、

「待った!」

と叫ぶ声がした。

「そこで体を洗うんじゃない。ほらほら、こっちに来て!」

 現れたのは、昨日の沼色のローブを着た人だった。

 木でできた杖を振り回し、俺の尻を叩いて川の下流へと導いていく。ここは飲み水に使う場所なのかもしれない。

 しばらく歩いたところで少し大きな川と合流した。

「体を洗うならこっちの川」

 指示された通り、本流と思われる川につかると体を洗い、ついでに脱いだ服も洗った。泥は臭いも汚れもかなりひどいのに、水で流しただけで簡単に取れ、臭いが残ってないのが不思議だった。

 遠くから投げられた布を受け取ると体に巻いて岸に上がり、洗いあがった服を持ってその人の後について行った。

 庵の裏手にある洗濯物をかけるロープを指さされ、そこに洗った服をかけた。風があるので、早く乾くだろう。


 庵の中に案内されると、朝食が用意されていた。

 パンは麦と何かの粉を混ぜていて、少し硬めだが香ばしく、摘み取ったまま出された赤い木の実が二個添えられていた。具の少ないスープはその割に味は良く、体に染みわたっていった。

「服が乾いたら街まで送って行くよ」

「ああ、すまない。それまでの時間、何か手伝えることがあれば…」

 ささやかながらもお礼を考えていたが、

「貧血なおっさんを働かせる趣味はない。しっかり休んで、無一文で街でどうするか、考えた方がいいよ」

 そっけなくそう言い渡すと奥にある台の前に移動し、その上に山と積まれた干からびた草の葉を摘み取り始めた。


「昨日、…俺にぶっかけたあの薬は、あなたが作ったものなのか?」

 葉を摘み取る作業を止めることなく、目は台に向いたまま、

「あれは人が作れるものじゃない」

と答えた。

「あれは沼の水だよ。五百年前に湖で死んだドラゴンが沈み、その力を得ようと三百の魔物が湖に入ったがそのまま浮かび上がることはなかったそうだ。ドラゴンの鎮魂のために年に1回聖女が薬草と魔石を放り込んでいたが、いつの間にかその祭事も廃れ、長く放置された結果、あんな沼に…」

 顎で指された窓の向こうには、木々の間に沼と思われる闇色のぬかるみが見えた。

「自然にできたのか?!」

「言い伝えだけどね。底に近いところから銀のひしゃくで掬い出したものがあれ。三日のうちに使わないと効果はなくなるけど」

「三日…。たった三日か。王都まで運んでいたらもたないな…」

 治癒の力を持つという聖女の祈りでも、ここまでの効果はない。聖女は国に三人しかおらず、一日に数人の傷を治すのがせいぜい。王族や貴族が高額を払って自分たちの病を治すのに独占し、市民や一般兵がその恩恵にあずかることなどほとんどない。

 これがあれば、きっと多くの人が助かるだろう。そう思っていたが、

「…昔、どこかの貴族に乞われて、あれを薬として王都で売りに出した者がいた。効き目はすごいけど色と臭いはどうにもならない。やがてこの薬は悪魔の所業だ、反魂の魔力でも使ってあるんじゃないかと噂が流れ、悪魔使いとして捕らえられ、殺された。…私の両親だ」

 淡々と話しているが、それは沼色の人にとっては思い出したくもない過去だろう。

「壺に入れ、魔法で封印されていた薬は、一度封を解くと薬の効き目は数日でなくなり、強欲な連中が後で慌てふためいても無駄だった。死んだ者にかけても、生き返りはしないからね」

 それを、昨日はバケツで豪快に撒き散らしていた。恐らく魔法を使って何度も汲み上げ、倒れる者に一人残さず…。

「…何で昨日はあんなに大量に撒いていたんだ? やはり誰か生き残ってないかと思って…?」

「臭い消し」

 振り返った沼色の人は、にやりと口元を緩めた。

「ここは国境に近いから時々ああやって小競り合いがあって、多くの死体が放置されるんだ。死体は腐ると臭う。あれは生きている者には傷を治す効果があるけど、死んだ者は腐敗を促し、次の日にはみんな骨になり、その翌日には骨も砂になる。…まれに死に損なった奴がいて回復することがあっても、また戦場に戻り、次会った時には死体になってる。…バカだよね」

 まるで自分の未来を言い当てようとしているようで、少し気味が悪かった。

 部隊は自分以外全滅だ。自分一人逃れたところで誰も気が付かないだろう。下っ端の一兵卒に過ぎない俺のことなど…。

「…俺はもう戦場には戻らないさ」

「その方がいい。この辺で死んだら骨も残らないからね」


 服が乾くと、沼色の人は馬車の準備をすると言って庵を出たので、その間に着替えをした。

 窓の向こうで沼に近づく沼色の人が見えた。さっきまで摘んでいた葉と石のようなものをポイっと沼に投げ入れ、見るからに適当に魔法を唱えた。すると、あの沼が一瞬金色に光り、光が消えるとますます闇色を深くした。


 沼色の人は街まで俺を送ってくれた。

 荷台には木箱が一箱積まれていた。何が入っているのか、カチャカチャとガラスか陶器の当たるような音がしていた。

 沼色の人は商店の裏手に馬車を止め、俺に少し待つよう言った。そして荷台の箱を持って商店に裏口から入ると、しばらくして似たような箱と掌くらいの大きさの何かがパンパンに詰まった袋を持って出てきた。

 箱を荷台に置くと、袋を開け、中から銀貨を数枚取り出した。

「餞別だ。命は大事に」

 そう言って俺に銀貨を手渡すとにやっと笑い、そのまま元いた森の方へと帰って行った。


 しばらくすると、その店の店員が窓にかけてある札を裏返した。

   悪魔な泥 入荷

 とたんに、一人、また一人と女性客がやってきて、見ている間に札はひっくり返され

   悪魔な泥 次回入荷未定

に変わっていた。

 店先で最後の「悪魔な泥」を手に入れて喜んでいる女に問いかけた。

「『悪魔な泥』って、何なんだ?」

「これよ」

 女は小さな白い瓶に入ったものを見せた。その瓶には

  悪魔な泥 フェイシャルパック 

  封を開けたら三日以内にご使用ください

と書いてあった。よく見ると、魔法で封がしてある。

「ものすごくよく効くパックなの。色と臭いはひどいんだけど、これを顔に塗ると、肌荒れやシミ、しわもなくなるのよ。日持ちしなくて困るんだけど。入荷したらすぐに買いに来るの。前回は売り切れだったから、最後の一本が手に入ってよかったわ」

 見ると、入荷未定の札を見て、出遅れてがっくりしながら帰っていく女もいた。


 なるほど、瀕死の人間を生き返らせるほどの力を持ちながら、聖水とは認められない色も臭いも、女心の前では何の障害にもならないという訳だ。

 ふと気が付くと、自分の肌はつるつるピカピカだった。


 縁あってその街に仕事を見つけた俺は、そこで暮らすことにした。

 何度かあの庵を探してみたが、たどり着くことはなかった。

 しかし時々街まで納品には来ているようで、今日もあの店には「悪魔な泥 入荷」の札が掛けられている。






お読みいただき、ありがとうございました。

誤字ラ出現のご連絡ありがとうございました。

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