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鬼を食らう姫  作者: 皆城さかえ
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終幕

 大坂夏の陣から一年後

 元和二年五月

 信濃国埴科郡


 江戸から越前に向かう勝姫の絢爛豪華な花嫁行列は、途上にある信濃国を通る北国街道を北へ北へと進んでいた。

 

 勝姫はかごの御簾をそっと開け、外の様子を見た。

 新緑に笑う山々のすそ野に小さな農村が点在している。


「善光寺にはまだ着かぬのか?」

 勝姫はかごに付き従う侍女にそう尋ねた。


「もう少しでございます」

「そうか」

 短く答えると、勝姫はまた薄暗いかごの中に顔を戻した。


 勝姫は越前松平家への輿入れの途上で、信濃国の善光寺に参拝しようとしていた。

 女人でも本殿に入って参拝ができる数少ない古刹だ。


 勝姫は善光寺で柳生十兵衛と小野助九郎の供養をするつもりだった。

 善光寺の本尊が阿弥陀如来であると知ったので、二人の魂が極楽浄土へ導かれるように祈りたいと思ったのだ。

 

 江戸出立の際、勝姫は江戸城内にて父秀忠と母江君に別れのあいさつをした。

 父とは前日にじっくりと別れ話をしていたので、この日、勝姫は型通りのあいさつをすませるとすぐに席を立った。

 すると、驚いた事に江君が勝姫を呼び止めた。


 そして、

「思えば姫を抱いてやったこともなかった。最後に母に抱かせてたもれ」

 と言って勝姫を抱擁ほうようしたのだ。

 

 思いがけない出来事に勝姫の体は硬直し、母の体を抱き返すことはできなかった。

 驚いたのは、あれほど求めた母の抱擁を受けたのに、心には何も響くものがなかったことだ。

 嬉しさも哀しさもなんの感情も湧いてこなかった。

 

 ――なぜだろう。

 今、籠の中で揺られながら、勝姫はあらためて考えてみる。


  ――母上の愛に飢えるあまり、それを上回るたくさんの愛を周囲からもらっていたことに気付かずにいたのかもしれない。

 十兵衛からの親愛、助九郎からの忠義、秀忠からの比護……。

 思えばたくさんの愛を与えられていたのだ。

 

 籠に揺られながら勝姫は決意する。

 これからは愛を与えられる存在から、与える存在になろうと。

 夫を愛し、子を慈しみ、家臣を労り、民を想おう。

 

 勝姫は、引出物として秀忠に持たされた名刀童子切安綱の鞘を撫でながら、大きく高笑いしたい気分になった。

 ああ、今までどうしてこんなに簡単なことに気付かなかったのだろう。

 天下太平を成し遂げるために、武は必要ないのだ。


 ――己の周りの人々を愛する。

 万民がたったこれだけの事を想い、実行するだけで世の安寧は続いていくのだ。


「天下太平の世で、お主はどう生きたのだろうか」

 勝姫は十兵衛の優しい笑顔を思い出した。


「すまん……約束を破ってしまいそうじゃ……」

 勝姫は籠の中で人目がないことを幸いに泣いた。

 

 そして、久しぶりに涙を流し、十兵衛を想い気付いた。

 十兵衛が与えてくれた愛は自分の中に確かに残っていると。

 

 この愛と共にこれからも生きていける。

 心が強く、温かくなる。

 涙は止まり、笑顔が残った。

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