京1
大阪夏の陣から十五日後
慶長二〇年五月二十二日
京、二条城
勝姫は生きていた。
そして、苦しんでいた。
御殿の寝室に敷かれた布団の上でもがき続けている。
勝姫は越前藩主松平忠直の救出部隊によって、崩れ落ちる大坂城から間一髪で助け出された。
しかし、体内に宿した四十八の鬼力を未だに屈従させることができないでいた。
体の奥底から這い上がってくる圧と苦しみを全身に感じつつも、精神の高揚はとどまることを知らない。
終わりのない絶望と悦楽の狭間で勝姫の体力と精神は限界に達しつつあった。
勝姫の体内に巣くう四十八の鬼の力を封じるには、鬼封刀四十八本が必要だった。
しかし、鬼封刀四十八本の大半は大坂城落城と共に焼け身となり、破魔の力を失ってしまった。
十兵衛が遺した短刀「薬研藤四郎」が守り刀として勝姫の枕元に置かれているが、この一本では全ての鬼力を押さえ込めない。
ただ、すべての希望がなくなったわけではなかった。
今、勝姫は床に伏しながら、四十八の鬼力を封じられる算段を知る人物の到着を待っていた。
「天海僧正がお見えになりました」
勝姫の侍女がそう告げた。
「お通ししろ……」
からりと襖が開く音が聞こえ、懐かしい師の顔が勝姫の視界に現れた。
顔全体に広がる火傷の痕、それを覆い隠すように深く刻まれたしわ、一方で生気に満ちた大きな眼……。
あの日、一年半前に江戸城で別れた時と同じ異相がそこにあった。
「お久しぶりです……」
息も絶え絶えの勝姫の手を天海は力強く握り締めた。
「おいたわしや姫様。小さき身の内で四十八もの鬼の力が暴れているのですな。おいたしや、おいたわしや」
天海は勝姫の手の甲を何度も撫でた。
「しかし、この苦しみもすぐに終わりますぞ。この天海が姫様の苦しみを取り除いてしんぜましょう。そのために江戸よりはせ参じたのです」
「どうやって……鬼の力を……」
「まずは人払いを」
勝姫は足元にかしずく侍女に向かって右手を上げ、か細く「いね」と告げた。
侍女は命に従い、部屋から出て行った。
部屋には勝姫と天海のみが残された。
「早速、始めましょう」
天海は勝姫の手を離して居ずまいを正すと、懐にしのばしていた一本の刀を取り出した。
「それは……?」
「明智光秀が織田信長を討った時に佩刀していた太刀『近景』にございます」
「なぜ天海殿がお持ちに……?」
「本能寺の変の後、拙僧がずっと所持しておりまする」
「その近景に全ての鬼力を封じるのですか……?」
「さにあらず」
天海はなぜか悲しげに首を振った。
「姫様は信長に宿っていた鬼が何匹いたかご存じか?」
勝姫は天海の質問の意味がよく分からなかった。
四十八匹に決まっている。
「さにあらず」
天海は哀しげに勝姫を見つめた。
「信長の体に宿っていた鬼は四十九匹なのです。では、いったい誰が四十八などと偽りの数を世間に流布したかご存じか?」
勝姫は、この老師の話す声色に少しずつ歓喜の色合いが交じっていくことに気付いた。
「拙僧にそうろう」
天海の口の端が不気味に持ち上がった。
「信長の鬼力は四十八。その力を宿した鬼封刀も四十八。すべての鬼刀を集めれば魔王信長が復活する。などと天下の諸侯に流布して回ったのは拙僧にございます。さすれば、秀吉や家康、上杉に毛利、伊達、島津も先を競って鬼封刀を集め出すと分かっていましたからな」
天海の笑みが広がる。
「そして、拙僧の思惑通りに天下に散らばっていた四十八の鬼力は、今、こうして一つの器に集まった」
天海は天上のご馳走を見るかのように満足げに勝姫を見つめた。
「最後の鬼力、四十九個目の鬼力はこの近景に宿っておりまする。つまり、三十三年ぶりに四十九全ての鬼が揃ったのです」
勝姫はかねてから、なぜこの老僧が織田家や鬼の事情に詳しいのか疑問に思っていた。
そして、今、その謎が明らかになったと思った。
「あなたは明智光秀なのか……?」
「さにあらず」
天海は愉快げに唇の端を上げた。
「しかし、半分は当たっておる。さすがは我が優秀な教え子じゃ。その明晰な頭脳といい、類いまれなる剣術の才能といい、そなたこそが第六天魔王の器にふさわしい」
天海は悦ばしげに舌なめずりをした。
勝姫はその仕草に見覚えがあった。
小さな胸に得体の知れない恐怖が広がっていく。
この老人が見せた仕草は、大阪城の天守閣最上階であの人が見せた舌なめずりと瓜二つだった。
「淀君も同じ仕草を……」
「で、あるか」
天海はわざとらしくおどけて見せた。
「娘が父に似るのは道理じゃ」
「あなたは信長……?」
「さよう」
天海、いや、第六天魔王織田信長が、かんらかんらと大笑いしながら、火傷の痕と深いしわを歪ませた。




