大坂12
いや、動かないというよりも重い。
それも、上から押さえつけられている感覚ではなく、体の内側から巨大な力によって引き込まれているような感じだ。
その感覚に耐えかね、勝姫は思わずその場に片膝をついてしまう。
「アハハハハハ」
勝姫の様子を見た淀君が艶やかな笑い声を上げた。
「四十八もの鬼力を難なく扱えるのは伯父上とわらわぐらいなものじゃ。伯父上の血が薄いお主には荷が重すぎる」
淀君は人さし指の傷口をいとおしげに舐め上げると、血に濡れた舌で唇をなぞった。
「これで四十八の鬼力すべてが真の依り代に集まった。我が願い成就せり」
今、勝姫は淀君の策略の真意を知った。
淀君は、わざと童子切安綱に鬼力「暴飲」を残したのだ。
勝姫が徳川軍に残る鬼力を全て呑み取り、この天守閣まで運んでくるように。
まんまとその策に乗り、全四十八の鬼力を一カ所に集めてしまった。
それだけではない。淀君は「真の依り代」と言った。
つまり、最初から勝姫に四十八の鬼力を憑かせ、勝姫を人身御供として第六天魔王信長の復活を図っていたのだ。
勝姫は幾重にも網を掛けられた鬼女の巣に飛び込んだか弱き蝶にすぎなかった。
「復活の儀式の再開じゃ」
淀君が高らかにそう告げると、天守最上階に再びあの不気味な読経が鳴り響き始めた。
十兵衛によってはねられ、床に転がった四人の坊主の生首が、床に転がったまま口を動かし読経を再開した。
その読経に反応し、処女の生き血で描かれた床の文様が妖しく朱色に光り始めた。
勝姫は自分が片膝をついた場所が、天主最上階の中心部であると気付いた。
千姫が寝かされていた場所だ。
魔王信長の魂が降臨するために、依り代がいるべき場所。
――動かなくては。
勝姫は這ってでもその場から出ようとした。
しかし、血の文様が突如として床から浮き上がると、勝姫の体中に巻き付き、その身を床に縛り付けた。
「ぐっ!」
血色の紐によって、勝姫の体は天守閣最上階の床に仰向けの状態で縫い付けられた。
周囲で生首の読経が幾重にもこだます。
勝姫を中心に空気が渦を巻き、激しく回転を始める。
その渦を中心にどす黒い雲が天空へと湧き上がり、夕暮れの茜空を覆っていく。
天守閣下部を取り囲んでいた巨大な炎が最上階まで一気に巻き上げられる。
巨大な炎と黒煙が天守最上階を包み込んだ。
「伯父上との再会が近い」
四方を覆った炎に照らされた淀君が恍惚とした表情を浮かべた。
豊臣秀頼はただ黙って天に巻き上がる巨大な炎を見つめている。
ただ、この二人は気付いていなかった。
死んだ友の目を閉じてやった一人の若武者が手にした太刀を捨てたことを。
そして、腰の短刀を抜刀したことを。
若武者は淀君に向かって大音量を発した。
「申し上げる!」
淀君が、秀頼が、そして勝姫が柳生十兵衛を見た。
「鬼力『暴飲』と鬼力『暴食』はもともと二つで一つの鬼力『暴飲暴食』。それが二つに分かれ『暴飲』と『暴食』になったにすぎぬ。よって、勝姫様に憑きし鬼力は四十七のみ。最後の一つの鬼力『爪牙』は、拙者が持つこの薬研藤四郎に宿っている」
十兵衛は名刀「薬研藤四郎」を高らかに掲げた。
◆◆◆
〈薬研藤四郎〉守護大名畠山政長は切腹しようとこの短刀を三度も腹に突き立てた。しかし、刺さらない。諦めて放ると、そこにあった薬研を貫通した。短刀は「主人の腹を切らせない名刀」として名を馳せた。
◆◆◆
十兵衛はこの薬研藤四郎を将軍徳川秀忠から勝姫の守り刀として託されていた。
「鬼力が一つ足りぬままでは魔王信長は完全体では復活できぬ」
十兵衛は薬研藤四郎の切っ先を淀君に向けた。
「馬鹿め」
淀君が嘲笑を浮かべた。
「四十七あれば十分じゃ。儀式は止まらん。復活した伯父上による最初の犠牲者はお前じゃ。そして、その最後の鬼力を献上せよ」
「残念ながら、そうはなりませぬ」
「何じゃと」
「薬研藤四郎は主人を決して殺さぬ、主を守り抜く名刀にござる」
勝姫には鬼力「心眼」の力で十兵衛の思いがわかった。
だから、
「やめて!」
と必死に叫んだ。
「姫様との約束を果たすときでござる」
十兵衛は勝姫に優しく笑いかけた。
幼き頃のあの日、稽古場で互いに打ち合った後に勝姫に見せたのと同じ笑顔だった。
動けない勝姫の心の中に、十兵衛の温かで圧倒的な愛が流れ込んでくる。
勝姫は両眼から涙が溢れ出て止まらない。
「鬼力『爪牙』よ、我が体内で力を解放せよ」
「十兵衛!」
勝姫の絶叫を聞きながらも十兵衛はためらうことなく薬研藤四郎を己の心臓に突き立てた。
その時、天守閣上空に渦巻く黒雲から一筋の蒼色の光が勝姫に向かって放たれた。
蒼い光の矢には確かに第六天魔王の魂が宿されているはずだった。
その光が勝姫を射抜くと、魔王の転生が完成するのだ。
淀君は歓喜の表情を浮かべた。
彼女の野望がついに果たされる時が来た。
しかし、蒼い光が床に呪縛された依り代を射抜いた瞬間、淀君は啞然とすることになった。
光が射抜いたのは、四十七の鬼力を宿した勝姫ではなかった。
柳生十兵衛だった。
いつの間にか、十兵衛と勝姫の居場所が入れ替わっていた。
鬼力「爪牙」の能力は、自己犠牲により愛する人を守り抜く力。
第六天魔王信長の血肉を継がない、依り代になりえない十兵衛の体に信長の魂に捧げられたことで、魔王復活の儀式は土壇場で失敗に終わる。
天守上空を覆っていた黒雲がたちどころに消え去っていく。
読経を続けていた四人の坊主の生首の声が止み、その首と体は渇ききった泥のように崩れ落ちた。
勝姫を呪縛していた朱色の文様も瞬時に消え去った。
「十兵衛!」
勝姫は四十七の鬼力を宿した重い体を引きずりながら、必死に十兵衛の元へと近づいた。




