大坂11
雷は淀君の鬼力「九天」、その後の炎は鬼力「煉獄」による攻撃だった。
しかし、鬼化した勝姫の身体を死に至らせるまでにはいかなかった。
「まだまだじゃ!」
勝姫は鬼力「奥義」を全開にさせると、淀君の左足の腱に向かって童子切安綱を一閃した。
しかし、その振り切った刀身の先には、先ほどまで確かにあった淀君の左足がなかった。
いや、左足どころではない。
淀君そのものがいない。
姿を消している。
虚を突かれた勝姫の思考が一瞬、停止した。
「後ろ!」
十兵衛の声に勝姫が慌てて振り向くと、その視界いっぱいに銀色の巨大な塊が見えた。
淀君のつま先が、小さな勝姫を捉えたまま思いっ切り振り抜かれた。
勝姫の身が激しく吹き飛ぶ。
その小さな身が壁に激突する寸前、勝姫の行く手に突如として淀君が現れた。
巨大な淀君はその左足を振り上げて空中を飛んでいた勝姫を捉えると、そのまま床を踏み付けた。
「ぐっ!」
勝姫は仰向けの状態で、淀君の巨大な左足と床の間に挟まれてしまった。
「鬼力『空隙』と『収斂』を使った戦いはお主の得手じゃと聞いた。どうじゃ、自分で味わった感想は」
淀君が愉快そうに笑った。
勝姫は鬼力を体中に満たすことでなんとか踏み潰されることだけは避けているものの、とてもはね返そうにない。
「さて、とどめを刺してしんぜよう」
淀君は右膝を床につけて身を屈めると、左手の人さし指を突き出した。
そして、その指先を勝姫の頭に押しつけた。
圧倒的な質量と圧力が勝姫の頭蓋骨を粉砕しようとする。
「姫様!」
十兵衛が勝姫を救うべく走り出した。
が、それよりも速い一陣の風が十兵衛の横を駆け抜けていく。
小野助九郎であった。
「……後は任せた」
十兵衛の耳にその言葉を残したまま、色鮮やかな甲冑を着込んだ助九郎が朝倉篭手切を手に淀君に向かって突っ込んでいった。
その時、鬼力「心眼」の能力によって、勝姫の心に助九郎の考えが流れ込んできた。
――駄目じゃ!
勝姫は助九郎を止めたかった。
だが、その思いを声に出して伝える前に、助九郎の身は勝姫の頭に押し付けられた淀君の人さし指に向かって跳躍していた。
「邪魔だ!」
淀君の巨大な人さし指が勝姫から離れ、助九郎の身へと突きつけられた。
その指先は助九郎の鎧ごとその胴体を貫通し、串刺しにした。
「虫けらめが」
淀君の嘲笑が響く。
「……一刀流奥義、瓶割り」
瀕死の助九郎は不敵に笑うと、右手で振り上げていた朝倉篭手切を横に構えた。
そして、その刃を、己の腹に突き刺さった巨大な指に目がけて静かに、そして素早く振り下ろした。
――瓶割り。
一刀流の開祖、伊東一刀斎より受け継げし、小野一刀流の奥義。
鎧ごと敵を斬ることができる神技である。
その力の源は、鬼力という人外の力に頼るものではない。
幼い頃からの血に滲む努力と鍛錬、そして斬るという行為、その一点にのみに凝縮された意思の力によって成し遂げられる人の技である。
助九郎はこれまでの鬼憑きとの戦いにおいて、鬼力「奥義」を使ったことはなかった。
常に己の、人の力のみで戦ってきたのだ。
朝倉篭手切の刃が、鎧ごと淀君の人さし指を切断した。
「ぎゃああああああああああ」
思いがけない窮鼠の一撃に鬼女が絶叫を上げる。
淀君は、切断された人さし指を鬼力「恢復」の力で元に戻そうとした。
が、その肝心の人さし指が戻ってこない。
瀕死の助九郎が力を振り絞り、淀君の指を腹に抱え込んでいる。
その人さし指を取り戻そうと、淀君の体が僅かに動いた。
一瞬、淀君の左足の裏に隙間が生まれた。
勝姫はその隙を逃さずに、その身を躍らせる。
「助九郎、大義である! わらわたちの勝ちじゃ」
勝姫は、死に行く助九郎を安心させてやりたくて、涙を堪えてできるだけ威厳に満ちた声を上げた。
助九郎が満足げに笑った。
それが死に顔になった。
勝姫は、助九郎が切断した淀君の左手の人さし指の斬り口に、その血と肉がしたたる巨大な傷口に己の頭を思いっきりぶち込んだ。
淀君の生暖かい血、肉が勝姫の顔面を覆う。
勝姫は躊躇することなく目の前にある肉にかじりついた。
そして、己が有する一つの鬼力を全開にした。
――暴飲。
淀君の血肉に流れる四十五もの鬼力が勝姫の体内に一気に流れ込んできた。
この世のものとも言えぬ甘美が勝姫の全身を包む。
勝姫は、あふれる涙とともに四十五の鬼力を一気に飲みきった。
勝姫が振り向くと、左手の人さし指から血を流した淀君が元通りの大きさでふらついていた。
鬼力が抜け落ち、ただの人に戻っている。
勝姫は口の中にある淀君の人さし指を吐き捨てた。
指が転がった床のそばでは、腹に巨大な穴を開けた助九郎が息絶えていた。
「よくも……」
勝姫は文字通りの鬼の形相で淀君を見つめた。
童子切安綱でその首をはねようと思った。
しかし、腕が上がらない。
体内から力が溢れ、天啓を受けたような高揚感が胸に去来しているのに、体が動かない。




