大坂10
その時、
「させぬ!」
勝姫の背後から淀君の怒号が部屋にこだました。
南側の壁にたたきつけられていた淀君がゆっくりと起き上がった。
その手にはまだ鬼切安綱が握られている。
「天下を徳川などに渡してなるものか」
淀君の体から大量の黒い煙が巻き上がる。
勝姫にはそれが、大量の鬼力を解放させる前兆であると分かった。
今の勝姫と同じように鬼力を体内で解放しようというのだ。
淀君の鬼力数は四十五、勝姫は三。
数の上では勝ち目はない。
「させるか!」
勝姫は童子切安綱を振りかぶって、淀君の元へと駆けた。
そして、黒煙に包まれ始めた伯母の体を渾身の力で斬りつけた。
が、その刃は淀君の体に届く寸前に、とてつもない圧力によってはね返されてしまう。
その衝撃で勝姫の体は激しく後方に吹っ飛び、壁に派手な音を立ててぶつかって止まった。
「姫様!」
十兵衛が駆け寄り、勝姫の身を起こした。
「大丈夫じゃ」
十兵衛に寄り掛かるように起き上がった勝姫は、目の前で展開していく光景の凄まじさにゴクリと唾を飲み込んだ。
淀君の体が南蛮風の銀色の鎧に包まれたかと思うと、その手、胴、足、頭がぐんぐんと膨らみ、伸び、巨大化していく。
「なんと……」
勝姫の隣で十兵衛が声をなくした。
あっという間に淀君の銀色の兜は天守閣の天井へと達した。
しかし、その巨大化が収まる気配はなく、ついには圧力に耐えかねた天井の梁がみしみしと音を立て、激しく揺れだした。
天守閣の天井が巨大化した淀君によって突き破られた。
大量の梁、柱、土塀、瓦のかけらが天守最上階に降りそそぐ中、勝姫は天へと駆け上がる黒煙を背に仁王立ちする鬼女の姿を見た。
その身の丈は十間(約十八メートル)を超え、体に合わせるかのように巨大化した鬼切安綱を手にしている。
「天下はわらわのものじゃ」
淀君は唸るような声を上げた。
その声は空気を重く震わし、勝姫を腹の底から揺さぶる。
「天下は元々この茶々のものじゃ。それを我が子に譲るのは天下の道理。母が兄信長と密通して授かった子、この茶々こそが天下人の真の後継者なのじゃ!」
勝姫は頭を金づちで殴られたかのような衝撃と怒りを覚えた。
淀君の出自の謎に衝撃を、そして、この伯母が己の出自という矜持のためだけに天下に執着している事実に怒った。
「貴様の矜持のためにどれだけの民草が死んだことか。貴様に天下を語る資格などない」
勝姫は童子切安綱を握り締めると、鬼力を集中させた足で床を力いっぱいに踏みつけた。
その反動で、勝姫の身は矢のごとく宙へ跳びだした。
勝姫の狙いは淀君の兜と鎧の間。
首だ。
僅かに皮膚が露出している。
疾風のように宙を突き進む勝姫に向かって、淀君は巨大な刃を振り下ろした。
だが、勝姫は鬼力「心眼」で敵の動きを読み取っていた。
勝姫は巨大な刀身に童子切安綱を当て、その反動を使って空中で前転。
そのまま鬼切安綱の刀身に着地すると、再び鬼力を集中させた足で鬼切安綱を踏みつけた。
勝姫の身は、淀君の首を目がけて再び宙を突き進む。
「おのれ!」
淀君がうなる。
鬼力「心眼」を全開にしている勝姫の心に淀君の動揺が流れ込んでくる。
守りに入った淀君は鬼力「不破」の力を上げ、鎧と兜を一体化させた。
僅かに見えていた首が途端に見えなくなる。
しかし、勝姫は動じない。
勝姫は体内のあるもう一つの鬼力を全開にさせた。
――鬼力「奥義」。
いかなる物質の上からでも敵を斬ることができる能力。
「くらえ!」
勝姫は童子切安綱が淀君の首めがけて一閃した。
漆黒の刃が銀色の鎧を突き抜け、淀君の巨大な首を切り裂いていく。
「うおおおおおおおおりゃあ!」
勝姫の身が淀君の左肩に躍り上がったそのとき、淀君の巨大な首は壮大な血しぶきを上げながら後ろに傾きだしていた。
首がもげていく。
――勝姫が勝った。
と、その場にいた誰もが思った。
しかし、もげ落ちようとする銀色の兜の中で、淀君の瞳だけがギョロリと動いた。
直後、突如として天から黄金の矢が放たれる。
いきなり現れた稲妻が勝姫の全身を打ち抜く。
「ぎゃ!」
雷に打たれた勝姫の身が煙を上げ、淀君の肩から力なく落下していく。
その身は、床にたたきつけられると同時に激しい炎に包み込まれた。
「アハアハハハハハア!」
皮一枚を残し、壮大に血を吹き上げる淀君の首から狂ったような笑い声が湧き起こった。
「あほうが。わずか三つの鬼力で四十五の鬼力に勝てるわけがなかろう」
首がもげたままの淀君が愉快そうに笑っている。
そして、皮一枚で首とつながっている頭を左手で持ち上げると、そのまま本来あるべき場所へと戻した。
「どんな傷すら即座に直す鬼力『恢復』じゃ」
あれほど溢れていた血がピタリと止み、頭と胴体が元通りにつながった。
「死ねや」
淀君は虫を踏み付けるがごとく、炎に包まれた勝姫を目がけて右足を振り下ろした。
だが、その右足の底に鋭い痛みを感じ、慌てて足を引っ込めた。
見ると、先ほどまで炎に包まれていたはずの勝姫が童子切安綱を手に立ち上がっていた。




