大坂7
八年前に十兵衛が天下太平を欲したことは本音であり、その思いは今も変わりはない。
しかし、勝姫に天下太平を願ったのは十兵衛にとってはたわむれ以外の何事でもなかった。
天下太平を成し遂げるのは、徳川家康であり秀忠であると思っていた。
だが、鬼力を封じた刀の存在が、天下の覇権をかけた騒乱の表舞台に勝姫を引き上げてしまった。
勝姫にとっては十兵衛との約束がたわむれではなく、己が戦う理由の一つになっていた。
――幼子同士の約束事のために姫様が命を賭けるなど馬鹿げている。
十兵衛は頭ではそう十分に理解できた。
しかし、勝姫の純粋な思いに心を大きく揺さぶられた。
陪臣の一人にすぎない自分との約束を覚えていてくれただけでなく、それを果たすために必死になってくれている。
これが嬉しくない臣下などいようか。
いや、想い人にここまで言われたのなら、もう他に何もいらぬではないか。
十兵衛は覚悟を決め、右手に持つ痣丸を勝姫に差し出した。
「姫様、お使いくだされ」
「十兵衛!」
勝姫が破顔して痣丸を受け取ろうとする。
その動きを制するように、十兵衛は
「ただし!」
と大声を上げた。
勝姫は指先を止め、きょとんとした顔で十兵衛を見上げた。
「ただし。この十兵衛も姫様の戦いにお供いたします。この十兵衛、秀忠様、大御所様のみならず、忠直様にも必ず姫様を無事に連れてまいると約束してまいりました。ですから、命に代えても姫様をお守りいたします。これも二人の約束事でございます」
十兵衛が左目だけで勝姫をしかと見つめた。
「しかし……」
勝姫は痣丸を受け取ろうとした手を止めた。
今回の敵は四十を越える鬼力をその身に宿した淀君である。
これまでの鬼憑きたちとは次元が違う。
たとえ勝姫が鬼力「心眼」を体内で解放しても勝てる見込みは少ない。
この戦いに同行を許すということは、十兵衛の命を危険にさらすということである。
「駄目……」
だが、勝姫のそのか細い声は、十兵衛の後ろから現れた巨躯の若侍の野太い声によって遮られた。
「……姫様!」
現れたのは鎧姿の小野助九郎だった。
助九郎は松平忠直の兵たちと共に大広間にいた豊臣の兵のせん滅を図っていたので、救出役の十兵衛より遅れて勝姫の元に駆けつける結果になったのだ。
助九郎は勝姫の無事を確認すると、晴れ晴れとした顔を浮かべた。
一方の勝姫は助九郎の鎧姿に大いに驚かされた。
「何じゃその格好は!」
助九郎は古めかしく彩色豊かな鎧兜で身を包んでいた。
もはや源平合戦の絵巻物でしか見られない姿だ。
「……小野家伝来の甲冑」
助九郎は誇らしげに大きく胸を張った。
「ふ、古すぎるぞ助九郎! アハハハハ、鎌倉武士がいる、こんな所に鎌倉武士が、アハハハハハハッハ」
勝姫は我慢できずに噴き出した。
「……変?」
助九郎は怪訝な顔で我が身の甲冑を見つめた。
「いや、似合っておる、似合っておるぞ。クック、あ、でも、やっぱりおかしい。アハハハハハハハ」
勝姫はひいひい言いながらお腹を抱えた。
「だから出撃前に言ったではないか、姫様に笑われるぞと」
十兵衛が肘で助九郎の胸当てを小突きながら、心の中でこの竹馬の友に感謝した。
勝姫と十兵衛の間に漂っていた湿った空気を一変させただけではなく、勝姫の心からの笑顔を半年ぶりに引き出してくれた。
――そう言えば、拙者と姫様の間をうまく取り持ってくれるのは、いつもお主であったな。
十兵衛は助九郎への感謝の気持ちを込め、その大きな背中を手の平で力強く叩いた。
「……おう」
助九郎は武骨な顔に爽やかな笑みを浮かべ、十兵衛の気持ちに応えた。
勝姫はその顔にまた驚き、そして嬉しくなった。
助九郎の笑顔などここ何年も見ていなかったからだ。
そして、助九郎はすぐに笑顔を引っ込めていつもの朴念仁に戻ると、やおらに手に持つ朝倉篭手切を勝姫に差し出した。
「……武士の本願」
――共に戦おうと言ってくれている。
勝姫はそう感じた。
三人で戦う覚悟が決まった瞬間だった。
勝姫の心の曇りが晴れた。
思えば、幼い頃から厳しい修行も秀忠へのいたずらも、市中へのお忍びも、そして鬼憑きたちとの戦いも、勝姫のそばにはいつもこの二人がいた。
――三人一緒なら何でもできる。
そんな思いが勝姫の胸に急激に湧き上がる。
「十兵衛、助九郎、共に戦ってくれるか」
勝姫はにこりと笑った。
「おう!」
十兵衛と助九郎が力強く応える声を聞きながら、勝姫は自分に言い聞かせた。
――大丈夫。わらわが必ず二人を守ってみせる。




