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鬼を食らう姫  作者: 皆城さかえ
36/48

大坂4

 ――体が重く、視界が狭い。


 黒煙が充満する奥御殿の大広間で勝姫は疲れ切っていた。

 大広間の畳に踏ん張る足は、己のそれではなく木の棒のようだった。

 

 疲労の原因は勝姫の前に無数に転がっていた。

 これまでに勝姫が切り捨てた数多くの豊臣の兵の死体だ。

 

 勝姫と吉之進の二人は、豊臣の兵を斬っては逃げ、斬っては逃げているうちに、いつしかこの大広間へと追い込まれていた。


「でぇえええいいい」

 新たな豊臣の兵二人が死屍累々の山と黒煙を越え、刀で斬りかかってきた。

 その一人の喉元を吉之進の槍が突き刺し、もう一人は勝姫が反射的に突き出した刃によって命が絶たれた。


 勝姫の目の前にある死体の山の高さがまた増した。


 吉之進の強さは本物だった。

 ここまで勝姫を守りつつ、敵陣を突破しようと槍を振るい続け、あまたの兵をほふっていた。

 

 しかし、年齢による体力の衰えは隠しきれないようだった。

 この大広間に追い詰められてからは、勝姫と同様に全身で息をし、繰り出す槍の速さは格段に遅くなっている。

 

 ただ、先ほどのように臆した相手が様子見のために兵力を逐次投入してくる限りは、まだ吉之進も己も大丈夫だと勝姫は感じていた。

 

 こうして時間を稼いでいれば、いずれ徳川の大軍が駆けつけ、二人を救出してくれるだろう。

 しかし、敵の武将もそこまでは愚かではないようだった。

 先ほどから切り込みの間隔がめっきり減っているのに、立ちこめる黒煙の向こうにいる敵の気配は増す一方だった。


「総攻撃を仕掛けてくるかの?」

 勝姫が隣にいる吉之進に声をかけた。


「否。いま城に残っているのは、これまで野戦に出なかった臆病者ばかりでござる。おそらく、これでござるよ」

 吉之進はそう言うと、槍を水平に構えて穂先を軽く上に動かし、鉄砲を撃つまね事をした。


「内堀の塀にへばり付いている鉄砲隊でも呼び付けたか」

「おそらくは」


「畳は弾避けになるか?」

 勝姫は豊臣兵の死体によって血塗られた足元を見た。


「そうですな……」

 吉兵衛が思案げに唇を噛んだその時、黒煙の向こう側からガジャガジャという多数の金属音が聞こえてきた。

 その音を聞いて、勝姫は吉之進の予感が当たったことを知った。


 直後、勝姫が身を屈めようとしたのと、「放て!」という大音量が大広間に響き渡るのはほぼ同時だった。

 多数の銃声が空気を切り裂いた。


 勝姫は死を覚悟した。

 が、体に焼けるような痛みは湧き上がってこなかった。

 

 恐る恐る開けた目にとびこんできたのは、吉之進のかしの木のような背中だった。

 その締まった背中がゆっくりと崩れ落ちる。


「吉之進!」

 勝姫は倒れた吉之進の上半身を抱き起こした。

 その胸の鎧にはいたるところに銃痕が空き、血が溢れ出ている。

 吉之進が弾雨から勝姫をかばったのだ。


「姫様、鉄砲隊が次の弾を込めるまで……いくばくか間があります……この隙にお逃げを」

 吉之進が勝姫の腕を掴み、途切れ途切れの声で懇願した。


「あほう! お主を置いて行けるか」

「捨てていってくだされ……そうでなければ……ご恩が返せぬ……」

「もう十分に返してもらった!」


 風の気まぐれか、勝姫の前方に立ちこめていた黒煙が僅かに薄くなった。

 勝姫が目を凝らすと、大広間の端に片膝をついて横一列に並ぶ鉄砲隊の人影が見えた。

 

 その数は十人。

 全員が鉄砲を構え直し、銃口を勝姫たちに向けた。


「お早く……」

 吉之進が促すように勝姫の袖を引っ張った。


「置いていけぬ!」

 勝姫の視界の先で、鉄砲隊の後ろに立つ指揮官の人影がゆっくりと片手を上げた。


 ――ここまでか。

 勝姫は吉之進を抱く手に力を込めた。


 指揮官が攻撃の下知を伝えるべく、振り上げた片手を下ろそうとした。

 だが、指揮官がその手を振り下ろす前に、指揮官の首が飛んでいた。

 続いて、鉄砲隊の兵たちの首が次々とはねられていく。

 

 空を舞ったそれらの首が大広間の畳に叩きつけられる前に、一人の武者が黒煙を突き破って疾風のごとく勝姫の元へと駆けてくる。


「十兵衛!」

 勝姫は確信を込めてそう叫んだ。

 その名を出した途端、ずっと我慢していた涙が勝姫の両眼から流れ出した。

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