駿府13
戦いから三日後、安倍川の茶屋街
「うまいではないか!」
町娘の服を着た勝姫が、きな粉をまぶした餅を頰張った途端に喜びの声を上げた。
「お勝ちゃん『うまい』ではなく。『おいしい』とおっしゃいませ」
旅人姿の十兵衛が、きな粉を口のまわりに付けたままの勝姫をたしなめた。
「うまいものはうまい。それでいいではないか。なあ助九郎」
声をかけられた旅姿の助九郎が、番茶をすすってからゆっくりと頷いた。
「ほらみろ、うまい、でよい」
「助九郎、お主は相変わらず甘すぎる……」
「……うむ」
助九郎は無言のまま首肯した。
「十兵衛は餅を食べぬのか? うまいぞ」
「まだ胸が痛みますので、よく噛まぬといけない食べ物は遠慮いたします。医者にも当面は安静にしろと言われましたし」
木村重成との戦いの後、一行は駿府城へと引き返し、勝姫は事のてん末を家康に報告した。
十兵衛は医者の手当てを受け、肋骨五本が折れていることが分かった。
ただ、医者曰く「きれいに折れているので、安静にしていればすぐに良くなる」とのことだった。
なので、十兵衛は胸にきつくさらしを巻くと、二日後に出立するという勝姫にお供すると言い出した。
勝姫は「しっかり直してから追いついて来い」と言ったのだが、十兵衛は「もう直りました」と言って聞かなかった。
そして結局、三人で駿府城を出立することになったのだ。
「なんじゃ、やっぱりまだ直っておらぬのか」
勝姫が心配げに十兵衛を見た。
「あっ、いや、直っております。養生しておるだけです」
「ふーん。では、これはどうじゃ」
勝姫はいたずらっぽく笑うと、十兵衛の胸を指で軽く小突いた。
「うっ!」
十兵衛の全身に鋭い痛みが走った。
「どうじゃ、痛いか?」
「痛く……ないです……」
十兵衛は口角を不自然に釣り上げた。
だが、その目尻には涙が浮かんでいる。
「そうか、痛くないのか……」
勝姫はいかにも退屈だというふうに口を尖らせると、今度は少し強めに十兵衛の胸を突いた。
「ぐぅ!」
十兵衛がたまらずに胸を押さる。
「今度は痛いか?」
「……い、痛いでござる……」
「これからは、痛いときは痛いと素直に申せ。わらわとお主は共に戦う仲間じゃ。お互いに遠慮は無用」
勝姫は満足顔で茶をすすった。
十兵衛が胸を押さえながら顔を上げると、勝姫は「そう言えば」と唐突に話題を変えた。
「十兵衛はよくあの状況で動かずにジッとしておられたな」
勝姫は不思議そうに十兵衛の顔をのぞき込んだ。
「なんのことですか?」
「重成が刻を移ろう鬼力『今昔』を使った時じゃ。お主、向かってくる大軍を前に一歩も動かなかったであろう。もし、大軍の迫力に臆して一歩でも動いておれば、過去の合戦に放り込まれ、命は危うかったぞ」
「ご命令とあれば絶対でござる。下知あらば、拙者、地獄の業火にも飛び込みまする」
十兵衛が痛みを我慢してわざとらしく胸を張った。
「さすがにそんな命令はせぬ……」
勝姫は不満げに頬を膨らませつつ話を続けた。
「てっきり、痣丸の『真贋』で『今昔』の刻を移ろう能力を読み取っていたから動かなかったのかと思っていたぞ」
十兵衛は胸を張りながら答える。
「『真贋』の発動には相手の顔だけではなく、その者の心の中をのぞく必要があるのです。重成が二本目の刀を抜いた後、その能力を知ろうと奴の心の中をのぞき込んだのですが、重成め、拙者の能力に感づいたのか、心中を無にしてしまったのです」
そう言うと悔しそうに唇を噛んだ。
「その直前に戦った浪人は……あっ、こ奴は斬れば斬るほど分裂して体が増える奴でしたが、心を持っているのは本体の一人のみでした。つまり、本体の居場所は我が『真贋』でばればれでしたので拙者の圧勝でした。再生などできぬほどになます斬りにしてやりました」
「ふーん、そうか、そうか……うん?」
勝姫は眉をしかめた。
「心を読む? 『真贋』は鬼刀の能力を読み取る力ではないのか? 相手の心を読むのならば、『真贋』ではなく、心の眼と書く方の『心眼』ではないか! お主、今までわらわをたばかっておったな!」
「あ、いや……決して姫……お勝ちゃんを騙したわけではなく。本当の能力を伝えると、ほら……あれじゃないですか……嫌でしょ?」
「あ、あほう! こっちを見るな」
勝姫は、己を見つめ返した十兵衛の顔に慌てて手を伸ばし、強引にその方向を変えた。
十兵衛の首がボッキという小気味いい音で鳴った。
「痛っ!」
「心の中をのぞかれてたまるか」
勝姫は頬をふくらませた。
「今までもそうやって、わらわの心を盗み見ておったのだろう!」
「違いまする! そうならないように、念には念を……ほ、ほら、こ、このように普段は眼帯をしております」
首を捻られたまま十兵衛が必死に右目の眼帯を指差した。
「眼帯をすると心が読めぬのか?」
「はい」
「絶対の絶対だな?」
「はい!」
「よし、では、こちらを向け」
勝姫が十兵衛の顔から手を離すと、機械仕掛けの人形のようにゆっくりと十兵衛の首が戻ってきて勝姫の方を向いて止まった。
「確認するが、これまで一度もわらわの心の中を読んだことはないな?」
「はい! 誓って」
十兵衛が激しく頭を縦に振った。
「では聞こう。わらわの思い人は誰じゃ?」
わざとらしくにっこりと笑う勝姫。
一方、十兵衛の引きつった顔はあっという間に真っ赤に染まっていった。
そして、
「ぞ、存じませぬ」
と言って顔を伏せた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁあああ! 貴様、し、知っておるだろう!」
十兵衛に負けぬぐらい顔を真っ赤した勝姫が、十兵衛の胸ぐらを掴んで激しく揺らした。
「ぞ、存じませぬ!」
「いや、その顔は、知っておる顔じゃ! そ、そうでなければ、ああ、だ、だから、こっちを向くなと言っておるだろう!」
勝姫は渾身の掌拳を十兵衛の胸に叩き込んだ。
十兵衛の体が長椅子から吹っ飛ぶ。
「うごおおおぉぉぉぉぉぉおおお!」
街道に這いつくばって痛みにのたうち回る十兵衛を尻目に、勝姫は頬を朱に染めたまま急いで椅子から立ち上がった。
「もっ、もう、わらわ一人で大坂まで行く!」
そして、安倍川の方へと駆けだしていった。
「お、お待ちを……」
十兵衛は弱々しく立ち上がると、胸を押さえたままふらふらと勝姫の後を追った。
騒ぎを聞いて何事かと店先まで出てきた茶屋の主人に、助九郎が釣りのないように三人分の茶代をきっちりと支払った。
「何の騒ぎだい。また近くで斬り合いでもあったのかね?」
主人が心配そうに眉根を寄せた。
「……いや、世は泰平なり」
助九郎はそう言って白い歯を見せた。
この大柄の若者にとっては数年ぶりの笑顔だったのだが、そうとは知らぬ主人は助九郎の真意を計りかねた。
助九郎は、勝姫の思い人が誰なのかも、十兵衛の恋の相手が誰なのかも知っていた。
そんなことは鬼力「心眼」に頼るまでもないのだ。
幼い頃からあの二人のそばにいれば、自然と気付く普通のことだった。
ただ、勝姫と十兵衛の二人の恋は、互いを想えば想うほどに報われない。
身分、血筋、家柄、その他もろもろの壁によって決して報われない。
さらに、勝姫には生まれながらにして許嫁がいる。
徳川家康の次男結城秀康の嫡子である越前藩主松平忠直だ。
身分、血筋的にも申し分ない貴公子である。
そんな逃れられない運命の壁を一番身に染みて理解しているのは、当事者の二人だということを助九郎は分かっている。
だから、江戸城出立の際、全員で町人の格好をしようと勝姫が言い出した時、助九郎は反対しなかった。
せめて、この旅の間だけは身分や主従の壁を越え、同じ立場で語り、肩を並べて歩き、ともに戦い、笑い合いたいという勝姫の思いが理解できたからだ。
今、その思いが叶った様子を見ることができて、助九郎は嬉しくてたまらなかった。
「……失礼する」
助九郎は茶屋の主人に軽く頭を下げた。
この若い旅人の出立を、主人は「お気をつけて」とだけ言って見送った。
その大きな背中は、先日の若侍のように突如として霧に消えることはなく、先を行く小さな二人の背中にすぐに合流した。
そして、旅姿の三人は肩を並べて安倍川を越えていった。




