駿府11
重成の体は二十間(約三十六メートル)離れた勝姫へ目がけ、一度も着地することなく疾風の速さで飛び込んできた。
そして、勝姫の元に達する直前、空中で二本の腕の刃を振るった。
「空隙」
勝姫は重成との距離を一瞬にしてまた二十間ほど空けた。
いや、そのはずだった。
勝姫が空隙によって移動を終えた次の瞬間には、すでに重成の体は勝姫の目の前にいた。
常人では追えないはずの空隙による移動の速さを、敵の虚空の目はしっかり捉え、しかも追ってきているのだ。
重成が下から右腕の刃を振り上げた。勝姫は童子切安綱で受け止める。
が、重成の圧倒的な力と勢いを抑えきれず、勝姫の身は軽々と吹き飛ばされてしまった。
「く、空隙!」
吹き飛ばされながら勝姫は空隙を使った。
このまま大地に叩きつけられれば、その瞬間に重成の二本の腕の刃が我が身を突き刺すと思った。
勝姫の身は大地で喘ぐ十兵衛のすぐ隣まで移動した。
顔を上げると、本来は自分がいたであろうその場所で重成が刃を振り下ろしていた。
重成は、胴体は勝姫に背を向けたまま、首だけをぐるりと後ろに回した。
虚空の瞳が再び勝姫を見つめる。
「解放された鬼の力がここまでとはな。どうやら、わらわは鬼となる覚悟が足りなかったようじゃ。化け物は化け物らしくせぬとな」
勝姫はそう言うと、凜とした瞳で重成を見つめ返した。
「尾張織田家より継ぎし我が血肉によって、鬼力『空隙』『収斂』『金満』『指顧』に命ずる。お前たちの力を我が体内で解放せよ!」
勝姫の体が激しくうねり始めた。
「うっぐっつう……」
腹の下から不快な感覚が全身に広がっていく。
そばにいる十兵衛が痣丸を杖代わりに起き上がった。
「姫様! おやめください!」
「案ずるな。呪われし尾張織田家の血を甘く見るな。鬼力の四つぐらい簡単に飼いならしてみせる」
勝姫は十兵衛の方を向いて笑った。
その顔を見て、十兵衛は胸が締め付けられた。
先ほどまでは一本だった額の角が二本に増えている。
角の大きさは一尺(約三十センチ)はある。
そして、少女がほほ笑んでみせたその口元からは、鋭く尖った牙が左右に一本ずつ伸びていた。
まさしく鬼の子であった。
「姫様! 拙者が戦います! ですから、もう……」
「案ずるな。お主はそのまま休んでいろ。ちと、鬼退治に行ってくるぞ」
勝姫は事もなげにほほ笑むと、虚空に向けて叫んだ。
「収ぅ斂っ!」
「姫様!」
勝姫の姿が一瞬にして十兵衛の視界から消えた。
十兵衛は勝姫が向かった戦いの場を見やって絶句した。
勝姫と重成の姿がどこにも見えない。
霧も風雨もすでになく、晴天の下に確かに視界は開けているのに、二人の姿が見えないのだ。
ただ、激しく刃と刃が交わる音のみが絶え間なく響いてくる。巻き上がり続ける土煙。その音と煙の双方が激しく場所を変えながら時にはぶつかり、離れ、衝突を繰り返す。
二人の動きが速すぎて、十兵衛の目ではその姿を捉えられないのだ。
「これほどの力がこの刀に……」
十兵衛は己が手にする痣丸を見つめ武者震いが起きた。
そして、勝姫を助けるためには、痣丸が封じる鬼力を己の身に解放せねばならぬと覚悟した。
先ほどの重成の様子を見れば、己の身に鬼刀を突き刺し、刀に宿る鬼の力を体内に直接取り込むことが鬼力の解放につながるようだった。
すでに鬼力「暴飲」の力を体内に宿している勝姫には、刀身を突き刺す必要はない。
だが、十兵衛には必要だった。
――躊躇している間はない。
十兵衛は痣丸の切っ先を己の右目に向けた。
その時、激しい剣戟が鳴り止んだ。
激しく巻き起こった土煙の中に勝姫と重成の影が見える。
そのうち一人の影だけがゆっくりと大地に崩れ落ちた。
十兵衛は必死に土煙の中へと駆け寄った。
近づくにつれ、土煙は晴れていく。
童子切安綱を携えた勝姫が立っていた。
そして、勝姫の足元には重成が虫の息で仰向けに倒れていた。
それはもう鬼の姿ではなく、人の姿に戻っている。
いつの間にか腹から二本の鬼封刀が抜け落ちていた。
驚くのは、その二本が突き刺さっていた腹には傷痕がなく、出血もないことだった。
ただ、重成の首から大量の血が流れている。
「姫様、お怪我は?」
駆け寄ってきた十兵衛の声に勝姫が振り向いた。
「無事じゃ……案ずるなっ……と申した……であろう」
勝姫は上気した顔で、はあはあと吐息を漏らしながら答えた。
その額には角もなく、口には牙も生えていない。
いつもの勝姫の顔だった。
ただ、口元が血に濡れていた。
「姫様、お顔が元に戻っております!」
「そうか……」
十兵衛の声に勝姫は片手で自分の額を確かめた。
確かに角はない。
「解放した鬼力を……しっかりと再び封じるようにと……童子切安綱の『暴食』に命じたのじゃ。どうやら鬼力に対する我が身の耐性が上がっているようじゃな……」
勝姫が嬉しそうに目を細めた。
その幼さがまだ残る笑顔を見て、十兵衛は大きく安堵した。
同時に、今後は勝姫が鬼と化さなくともすむように、己がより強くなり、守らねばならぬと心に誓った。
「それにしても、目にもとまらぬ速さの戦いでございました。勝因は首への一刀ですか」
十兵衛は重成の首筋に深く鋭く刻まれた傷を見やった。
「それは……戦いの最中に……」
勝姫がなぜか恥じらった。
「噛みついた……のじゃ」
「噛みつた?」
「うん。噛みついて……血を吸って……『暴飲』の力で……重成の体内にいた鬼力『九天』と『今昔』を呑み取ってやった……」
勝姫は目を潤ませ、何かを思い出したかのように身をよじった。
「な、なるほど……」
十兵衛はその様子を見て、生死をかけた激戦の直後にもかかわらず勝姫の顔が上気し、声に艶がある理由が分かった。
鬼力「暴飲」で呑み取った、新しい二つの鬼力の甘美に酔いしれているのだ。




